見出し画像

「犬を飼うこと」と「子供産むこと」を比較したら、少子化の本当の原因が見えてきた話

【お詫び】
まずはこの記事を読んでいただく前に大前提をお話しすると子供を産むことにコスパを求めることや、犬を飼うことと子供を育てることを比較すること自体がおかしいと思って気分を害される方もいらっしゃると思うので先にお詫び申し上げます。

さてさて、なぜそんな辺鄙なことを思ったかというと
最近子犬を家に迎えることになり、いろいろ快適な子犬の生活について調べていたところ、生涯に犬にかかる費用の平均は200万円という記事をみたことがきっかけである。

現在わたしも34歳とそろそろ「高齢出産」という世間一般にカテゴライズされた枠にはまる一歩手前なわけで、周りの友人を見る限り「出産」を意識しなくてはならない年齢になってしまった。かくして意識はしているものの夫は15歳上なので「出産」や「子育て」に対しての「恐怖心」があるようで、私の「出産」はあってもはるか先の話になりそうなのである(高齢出産確定)

そして子犬を飼いたいと思ったのは、去年の1月だった。
たまたま散歩で訪れた代官山のペットファーストでかわいいトイプードルの子犬を抱いた瞬間に夫から一言「犬かわいい。」という言葉がでた。

もともとそのときはまだ結婚前で、体のいい同棲のきっかけになればいいなくらい思っていたものの、トイプードルの子犬の脅威的な可愛さはカップルそろって圧倒的に猫派だった30年あまりの強い「推し魂」を軽々とぶち壊す破壊力だった。

一旦、無事に同棲をすることが決定したのちも、まだ飼うかわらからない子犬のために「ペット可」の物件を必須条件の中にいれこんだ。人間という生き物は本当に信用できないものだ。

そして、1年前の熱が冷めやまぬ今年の1月、ついにお迎えする子犬を決定したので、その準備をしている中でぼんやりと思い浮かぶことがあった。

「子供の生涯にかかる費用は1000万円弱、子犬にかかる生涯費用は200万円か….せいぜい一緒に入れる期間は7年程度しかかわらないのであれば、かわいさとか大変さとか含めて犬のほうがコスパ高いんじゃね?」という堕落的な考えだ。

もちろんみなさまの倫理観と同様に子供と子犬を比べるなんて信じられないと思うのですが、まんまと私は妄想の中で比較をしてしまったのでこれは書かずにはいられないということでこの記事を書いている。

そしてその罪悪感からなのか、とっさにGoogleに以下のキーワードを打ったら、やっぱりそれに関する記事がでてきたのだ!

実際の検索画面

何やら記事を読んでみると、かの崇高なローマ教皇でさえも
2022年1月、「子供を持たずにペットを飼うのは身勝手な行いだ。親になる責任から逃げるな」と発言し、各国から批判の声を浴びた。」そうだ。

しかし、記事の内容を読み進めていくと「子育て」に対しての「恐怖」が出産のハードルを上げているという日本の現状が浮かび上がってきた。

昔から給与の水準は変わっていないにもかかわらず、物価は高騰し、円の価値は下がり、90年代初期父親母親世代が当たり前のように夢見た「一戸建て」は神話となりつつある(大げさ)

また、いまでは情報化社会の中で、なんでも検索できる世の中になってしまったため、人々は賢くなりすぎてしまった。

その結果、「ちゃんとした親」への「倫理的責務」を四方八方で追及されるという「恐怖」が「子供の減少」につながっているという話がでてきた。

なにかをSNSにあげるという行動が習慣化した今、ちょっとの愚痴や完璧でない何かをアップすれば誰かに上げ足をとられる時代である。
SNSにそんなのアップしなきゃいいじゃんと言われることもあるがそれに対して反応してほしいという気持ちをどのように切り替えればいいのか?

親だと世代間ギャップが大きすぎるし、旦那がそのストレスの原因を作っている場合もあるし、そうすると同世代のママ友を頼るわけだがわざわざLINEで電話して承諾をえることすらもめんどくさい。となるとSNSに愚痴を吐露するくらいは許してほしいのである。

いろいろと論点からずれた話をしてしまったが
私が感じた罪悪感はまったく恥じることはなく現在の日本の経済環境や社会環境がそういった妄想を考えさせてしまうような世の中になっているということだった。

こちらの記事を読んで関連リンクとしてでてきた記事もなかなか読み応えのあるものだったが何よりも「少子化」を生み出しているのは、過剰な「倫理的責務」だと鑑みると、本当に日本人の「同調圧力」は怖いものだと思うし、そんな同調圧力とうまく付き合っていくことや、この現状をしっかりと後世に共有することで「少子化」は解消するのかもしれない。

関連記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?