『食への想い』を振り返ったら自分の分岐点に出逢えた

最近、鳥羽さんのハンバーグを食べる機会があって思い出すことがあった。

私にとって食べることは最上の幸せを体感できることだ。

おそらくそうなったのは、一人でご飯を食べることが多い幼少期を過ごしたからだと思う。
私の母は、18歳で私を産んでから女手一つで、私を育ててくれた。

その育児は世間一般で言われる、標準には達していない育児だったのかもしれないが、間違いなく生まれ変わっても、また母の元に生まれたいと感謝をしている。

そんな母親は非正規雇用で私を育ててくれていたため、日中はヤマト運輸の時給980円にも満たないアルバイトと、夜はスナックで生計を立てていた。年収は200万には満たなかったと思う。

そんなに忙しい人×一人暮らし経験のない20代前半の母親にバランスの取れた夜ご飯なんて作れるはずがないことはもう小学校くらいからわかっていた。

でも、母の元に生まれて一番良かったことは、他の母親ではできない体験をたくさんさせていただいたことだ。

私が3〜5歳くらいの時、母は23歳くらい。
遊びたい真っ盛りなので、夜は週3で居酒屋に行ってカラオケに行くような生活をしていた。

いつも仕事で忙しい時は見せない楽しそうな母の顔や若い同世代にまぢって大人ぶってる昔の写真を見るときっと私も全力でその時間を楽しんでいたのだと思う。

多分90年代に流行ってた若者のポーズw


もう一つ楽しみがあった。それは毎週水曜日におばあちゃん家で食べる夜ご飯の時間だ。水曜日だけは、なぜか毎週家族全員でご飯を食べることが催されていたのだが、居間でテレビを見ている時にキッチンから漂ってくるいい香りと、私の大好物の唐揚げの味が今も一つのシーンとして脳裏に焼き付いている。

話は変わって中学くらいになると、少し母親がうつ状態となり、2年くらい仕事をしない時期があった。おそらく生活保護と少ない貯金でやりくりしていたのであろう。


中学生といえばおしゃれに興味をもつ年代だが1枚1000円程度の服でさえも申し訳なくて買ってもらう事を遠慮していた。(その経験もあり今ではいかに安い服を高く見せれるかを楽しめるようになった)


そんな時代があったからこそ今の自分がいて、そんな母の元に命を授からなければ今の自分のアイデンティティはないと考えると、私結構いい環境で育ってきたのかもしれないと思える。

食に対してのこだわりは新卒時代から始まった。
本当は地元の銀行に就職して25歳くらいで結婚とか思ってたけど、高校時代の担任に『いい男に出会うなら大学に行きなさい』という一言で、私の人生は大きく変わったと思う。本当に単純なやつだ。でも、担任に感謝。

東京の大学に進学後、IT広告代理店に就職した。平均的に退社できる時間は21時。むしろ21時なら早い方。

クタクタに疲れても、pcを叩き割りたくなっても、やっぱりおいしいものを食べると幸せになる。

広告代理店から事業会社へ転職すると、さらに グルメを極める道がひらけた。(10年で+20kgして、-15kgまで落とした)

やっぱり、食べることっていろんな人を繋ぐし、安くても高くても平等に人を幸せにできる方法と考えると本当に素晴らしい事だと改めて思った。

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