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イタリアンファッションが世界一になった理由

このnoteでは、1980年代以降、ミラノが世界のファッションの中心になった理由、つまりイタリアのファッションが1980年代以降、世界一になった理由について説明しましょう(記述は拙稿「イタリアのファッションブランドーそのアート思考とデザインマネジメントについて―」『商品開発・管理研究』Vol.18(1),pp.39-68に基づきます[https://researchmap.jp/taro_koyama/published_papers])。

1980年代以降、パリではなくミラノが世界のファッションの中心となったのは、新たなファッションを創造する際、美術を中心とするアートを採り入れると同時に、GFT(Gruppo Finanziario Tessile)などの生地製造会社と提携して既製服の量産体制を確立したからです。シャネルが活躍した戦前のパリでは、スタイリストが芸術家や文化人と交流することから新たなファッションが創られており、様々な芸術の交差点にファッションが位置するパリのこういった仕組みをミラノは導入しつつ、量産可能な既製服をデザインしていきました(アルタ・モーダの中心地であったローマでは、芸術家や文化人は、ファッションアトリエの外部にいたため、パリのような豊かな人的交流は存在せず、また、生地製造業と連携して量産体制を整えることにも成功しませんでした。)。当時のパリでは、イタリア人であるE.スキャパレッリとC.シャネル(そして後継者としてのディオール)がファッション界を分ける二人の首領であり、二大派閥を形成していました。スキャパレッリの派閥は、芸術家のダリ、マン・レイ/アンドレ・ダースト/セシル・ビートンといった写真家、そしてP.ポワレであり、要するにシュルレアリスト(無意識の発見に驚く超現実主義者達)でした。他方、シャネルの友人は、画家のロートレック/ピカソ/ヴュイヤール、詩人のコクトー(シャネルは、彼の戯曲『アンティゴネー』のための衣装を手掛けています。)、作曲家のストラヴィンスキー、映画監督のヴィスコンティなどであり、キュビスムの芸術家達が中心でした(戦前のパリがファッションの最先端であったのは、ファッションと様々なアートとのこのような交流があったからですが、ミラノのような量産体制の確立を行わなかったため、1980年代以降、世界のファッションの中心地の座をミラノに奪われることになります。)。以上をまとめると以下のような図となります。

ファッション図5

ミラノが世界のファッションの中心となるまで、フランス(パリ)のファッションから精神的に独立することがイタリアの課題でした。それを達成したのは、ローマのアルタ・モーダ(高級仕立服;オートクチュール/ビスポーク)ではなく、ミラノのモーダ・プロンタ(既製服;プレタポルテ)でした。フランスから精神的な独立を達成した結果としての、イタリアらしいファッションの特徴は冒頭の図(イタリアンファッションの三角錐)で示される。この三角錐の要素を説明しましょう。

1.グッドテイスト

戦後、イタリアで初めてファッションショーを開いたジョルジーニ侯爵は、イタリア独自のファッションを創るため、後にアルタ・モーダの時代を創るフォンターナ(Fontana)姉妹等に対して、ルネッサンスの衣装を参照したり、イタリアの地方色を採り入れるように指示を出していますが、そういった試みは、20世紀初頭にイタリアらしさ(italianità)の確立を目指したスタイリスト(ファッションデザイナー)のR.ジェノーニ(Genoni)の提案を反復したものでもあります。ジェノーニは、イタリアらしいファッションの基本的な特徴として、品の良さ(Buon gusto;good taste)を挙げており、1943年11月号のBellezza誌によると、グッドテイストの法則は以下です―(1)生地の節約(enonomia dei tessuti)、(2)ラインの簡素さ(sobrietà della linea)、(3)細部が洗練されていること(raffinatezza dei dettagli)、(4)型紙の公開可能性(possibilità della carta dell’abbigliamento)、(5)様々な色見本があること(cartella dei colori)。『モードのイタリア史』を記したR.L.ピセツキーは、フランス的なラグジュアリー(奢侈;贅沢)に対立するグッドテイストの特徴について以下のようにまとめています。
「いわゆる「良き趣味(good taste)」というのは、それ独自の洗練された品の良さをもっており、おのずからなるエレガンスを備えている。エレガンス(おしゃれ)とは、人の注意をことさらにひきつけたり、一見して目立つのを避けることの内に存在する。・・・付属品のついた衣服のすきのないライン、派手さをおさえた上質の布地、入念に仕立てられた目立たない細部(たとえば裏地)、これらが真のエレガンスを形づくる要素である。それはあまりに新しい流行を避け、伝統主義的な変装のなかに流行を巧みに取り込んで、成り上り者のように自己を過度に目立たせようとはしないことだともいえよう。」
要するに、グッドテイストな着こなしこそが、イタリアンファッションの第一の特徴であり、そのためには、フランスのように気取ってきざになる(lezioso)のではなく、むしろわざとらしさ(affetazione)を避け、お洒落していることに対して無頓着(sprezzatura)でなければならないということです。言い換えれば、そういった着こなしは、てらいのないくったくの無さ(disinvoltura;disprezzatura)を感じさせるのであり、品の良さがさりげなく滲み出るような自然体であるがゆえにぎこちなさとはかけ離れたものなのです。ダンディズムの粋は、グッドテイストな着こなしをする人に宿るのです(ダンディーな男性とは、グッドテイストな着こなしをする人です。)。イタリアのグッドテイスには、(a)反ラグジュアリー、(b)流行に左右されない、(c)周囲の雰囲気を壊さない―例えば、貧しい地域で宝飾品を纏った身なりを呈することは雰囲気にそぐわない振る舞いである―、という三つの性質があり、(a)の反ラグジュアリーということについて付言すると、上流階級が自らの社会的地位を下層階級から区別するために、その奢侈を見せびらかすことで下層階級を圧倒しようとするラグジュアリーなファッションは、悪趣味(cattivo gusto;bad taste)となり得ます。
 くったくの無いさりげないファッションとは、第一に、動く身体の美しい輪郭(体型)、言い換えれば「伸びやかな腕、気品のある肩やしまったわき腹、細い脚や美しいプロポーションの下肢」が控え目に示される服であり、縦方向に見た時の体のライン(ネックライン・肩から腕にかけてのライン・胴体全体のライン)に逆らわず、それでいて身体の動きを邪魔しないような、ゆったり感を備えた着心地の良い服です。彫刻作品としての人の体のラインは美しいという美学に基づき、それらのラインを簡素に示すような“すっきり感”を備えた服なのです(イタリアンラインの図を参照)―人目をひくようなことを考えないため、真面目な服(abiti sinceri)であると位置づけられる一方で、人の体のラインが隠れてしまう着物とは対照的な服です(イタリアから見ると日本の着物は、体のライン(身体の輪郭)の美しさを引き立てる服ではなくて、服それ自体の美しさを追求した衣装ということになります。)。

図6

第二に、それは、消耗に耐え流行のサイクルを超えて長持ちするような上質な生地を用いたものです。生地の品質検査は非常に厳しく、生地が縮まないか、縫い目(仕立)が安定しているか、裏地の強度、損耗や毛玉が生じる程度、生地見本と一致しているかどうかのチェック、重量の確認等々を経て蒸気に曝され、その後、洗濯・乾燥・アイロン掛けを通じて品質低下が生じないかどうかも調べられますーこの辺はE.C.Altanの3冊の本に書いてある通りです。とりわけ、乳児および子供用の生地の場合は、アレルギー性のない生地であるかどうかも調べられます。
なお、セントラル・セント・マーチンズ (Central Saint Martins)校出身のデザイナーらによるイギリスのファッションは、もっぱら見た目重視の文化(culture of visibility)であり、着心地・実際の利用シーン・上質な生地そして刺繍といったことを重視するイタリアのファッション文化(culture of wearability)とは対照的である、とミラノ工科大のP.ヴォロンテは指摘しています。

2.アート思考

 新たなファッションを創る際の着想源として、美術を中心とする芸術(アート)を直接参照することには、アート思考が働いています。というのも、動くタペストリーとしての着物の帯が、日本家屋の殺風景な室内環境の中で映えるという意味で、衣服は動く絵画として捉えられ、ミラノの既製服のスタイリストらは現代美術をとりわけ参照して新たなファッションを創ってきたからです。家具を含むプロダクトデザインの場合、商品開発の際の着想源としてアートを活用することは、ファッションほど直接的ではありません―彫刻家に相談したり、芸術家に家具をデザインさせた場合(ポルトロノーヴァとガヴィーナ社の事例)はあります。このような意味でのアート思考は、商品開発の際の(直接の)着想源としてアートを活用するという意味であり、ビジネスのための価値創造源としてアートを活用すること(イノベーションの促進・組織の生産性向上・マーケティングの成功といった目的のためにアートを活用すること)の一例として位置づけられます。なお、既製服とアルタ・モーダを比較すると、アルタ・モーダの場合は、アートを参照する程度が希薄である代わりに、仕立職人(サルト)が制作する服が一点ものの芸術作品になる、という特徴があります。 イタリアでは、社会学ではなく美術史の研究者がファッションを分析してきたので、本noteでも美術史の諸概念を用いますが、それは、スタイリストが描く草稿段階の原画スケッチ(クロッキー)を、形而上絵画といった美術史の諸概念を用いて分析することが、当該ファッションの本質の理解につながるからです(ステレオタイプな社会学上の諸概念は役に立たない、とクィンタヴァッレは指摘します。)言い換えれば、VogueやHarper's BAZAARといった雑誌には、原画スケッチ(クロッキー)が掲載されないため、スタイリストの元々の創造的な思考が一体どのようなものであったか分からないということです。他方、それらの雑誌にイメージ写真として掲載された最終製品(完成形)としての衣服は、美術史の諸概念ではなく、聞き飽きた“優雅”や“上品”といったステレオタイプな言葉を用いて論評されることも、当該ファッションの本質の理解から遠ざかる一因となっています。さらには、これらの雑誌と提携しているカメラマンは、クリツィアやフェレ等のスタイリストのアトリエ(スタジオ)ではなく、当該雑誌が抱えているスタジオで、各ブランドを十把一絡げに扱ってそのイメージ写真を撮影するため、各ブランドのイメージ上での混乱や類似が生じてしまいます―これらの理由から、これらの雑誌は読者離れを引き起こしているということです(なお、ファッションブランドのイメージ写真の内、どの写真を雑誌に掲載するのかを決定するのは、イタリアでは写真家ですが、日本の場合、編集者やデザイナーだったりします。写真家をアーティストとして尊重し、写真選択の権限を与えた方が、商品カタログであれファッション誌であれ、媒体のクオリティは上昇するでしょう。)。
A.クィンタヴァッレは、美術(絵画)・映画・写真・ポスター・彫刻を含む広義の芸術(アート)にファッションは基づく、と述べていますが、諸々のアートの内では美術こそが、均衡と対称の法則に制約されている自然なもの(自然界にあるもの)を超えて、人為的に作られた想像的なものをビジュアル化する(視覚可能なものとする)力が最も高いのであり、そうであるがゆえに、建築や彫刻を絵画は模倣(ミメーシス)できるけれどもその逆は不可能です―かくして諸々のアートの中でヘゲモニーを握っているのは美術であると美術史家のアルガンは指摘します。以下の図は、ミラノの既製服のスタイリストらが、美術を中心とする諸々なアートを参照して、新たな衣服をデザインする様子を示したものです。

図7

この主要な三つの要素は、振る舞い・表情・仕草から成る(身体の)ジェスチャーの次元と、内面(心)および衣服であり、たとえばダダイズム・シュルレアリズム・形而上絵画等々の影響の下で撮られた写真のショットにおいて表現される被写体のジェスチャーを、その写真が掲載されたVogue等の雑誌を見た人々が模倣し易いような衣服を考えたり(逆に衣服が任意のジェスチャーを促すこともある)、あるいは、映画に登場する女優や俳優のジェスチャーを模倣し易いような衣服を考えることができる一方で、現代美術を直接参照して新たな衣服をデザインする、といったこともミラノの既製服のスタイリストらは行ってきました。
クラブハウスでのダンス・バレー・演劇・写真(ポスター)・映画といったアートが、非言語的な領域であるジェスチャーの次元に影響を及ぼす一方で、服飾史とジェスチャーの次元に固有の歴史は、相互に刺激を与え合いながら進んできました。(この図において)フェレにとってのエレガンスとは、“(身体の)ジェスチャーの次元(振る舞い・表情・仕草)”と“内面(心)”、そして“(身体の)ジェスチャーの次元(振る舞い・表情・仕草)”と“衣服”との間でそれぞれ調和が取れていることの内にあります。他方、ジェスチャー・内面・衣服という要素単体ではエレガンスは成立しないとフェレは述べています。またフェレは、任意の空間内での振る舞いにおいて(動作中に)新たな衣服をイメージすると述べており(具体的には、歩いている誰かが着ている服をイメージする)、それゆえフェレにとって身体とはジェスチャーと同義です。別様に言えば、“服を着ている/着ていない(裸体)”という対比の前にジェスチャー(恰好;ポーズ)の次元があるので、裸の身体に服を着せるという発想法に陥らないことが肝要です。非言語的な文化の領域であるジェスチャーの次元の記録媒体であることに写真芸術の意義があり、アートとしての映画にもこの側面があります(アルマーニ・クリツィア・フェレ・ベルサーチェ・ミッソーニといったスタイリストの具体的なアート思考の内容については、次のnote「アート思考の典型:イタリアンファッションの創造プロセス」を参照してください。)。

3.部分(衣服)と全体(インテリア/都市景観)

アルマーニ、クリツィア、フェレといった既製服のスタイリストらは、同時に家具のデザインも手掛け、反対にソトサス、メンディーニといったプロダクトデザイナーらは、同時に衣服もデザインしました。つまり、ミラノのスタイリストらによる既製服は、フロスやアルテミデの照明を備え、カッシーナやカルテルの家具が置かれた住空間全体を前提としており(人々のジェスチャーが空間の性質を反映する以上、そのジェスチャーにマッチした衣服も同様に任意の空間が持つ雰囲気を反映します)、他方、そういった住空間は、(部分としての)それらの既製服を着た人の振る舞い・表情・手の動きを前提としているのです。
ミラノの既製服のイタリア社会への受容プロセスを見ると、友人宅でのホームパーティなどで互いの家を行き来する際、アルマーニのジャケットを普段着として羽織って人々はパーティに参加したのであり、その意味で、ミラノの既製服は(結婚式などのハレ舞台ではなく)家の中で普通に着るものです。言い換えれば、家族のドラマが展開される舞台としての室内のインテリア空間にマッチするのがミラノの既製服であり、そういった室内のインテリア空間を一般の主婦が自分テイストに整える能力を育むことができたのは、家具分野のデザイン起業家らが、Domus・Ottagono・Interni・Casaといったインテリア雑誌の発行を通じて、彼女らのインテリアデザイン能力を醸成したからです。友人宅でのホームパーティでは、互いの批評(談笑)を通じて、それらの既製服を普段着として着こなすレベルが上昇していきました。要するに(「その豹柄のセーターいいわね。ミッソーニ?」といったコミュニケーションを通じて)下からの趣味の洗練が起きたのでした。この下からの趣味の洗練は、寝室のベッドでも起きたのであり、フルー社のR.メッシーナは次のように証言している。
「1970年に離婚法が成立するまで寝室は夫婦にとって神聖な場所であり、来客者にベッドを見せることは社会的なタブーであったが、女性の社会進出に伴いベッドカバーをカラフルなものへと取り換えたベッドであるナタリエを来客者にご披露する、といったことが起きた。それまで、来客者には、ソファーを覆っていた白いカバーを取ってもてなしたり、春・夏・秋・冬のそれぞれの季節に応じた衣装等を格納するために四つの部分に分かれた大きな洋服ダンス(armadio quattro stagioni)をインテリアの主役として見せるのが常であった。」
かくして、衣服のデザインと家具のデザインが、手を携えて進んでいくことをイタリアンファッションの重要な特徴の一つとして挙げることができます。言い換えれば、着ている服が、自らと釣り合うような特定の種類の照明や椅子/テーブル/キッチンまでも要請するのであり、さらには特定の種類のインテリア空間の部屋割りやその大きさ(天井の高さ)までも要求します―他方、お洒落なキッチンの方も自らの雰囲気にマッチするような衣服を要求しています(たとえば、冷蔵庫や食洗器とのインテリアデザイン上の統一感を考慮すべきBertazzoniのお洒落なガスオーブンは、今後の生活様式を鑑みると、客人にご披露するようなインテリアの中心となり得るのであって、家族や友人皆で調理できるようなスタジオ機能も付けるならば、それに相応しい服も必要でしょう―ただし、フードコートで常食するようになると調理器具やキッチンがデザイン性の優れたものへと発展する芽は摘まれるでしょう)。
この意味でミラノの既製服ブランドは、舞台としての住空間に埋め込まれており、家具調度品とともに新たな室内の景観(ニュー・ドメスティック・ランドスケープ)を創造することができました―これこそ、“奇跡の経済(Miracolo economico italiano)”とも呼ばれるイタリアの高度経済成長の内実であり、言い換えれば、資力のない勤労者に郊外の一戸建てを長期ローンで購入させるような目先のGDPを上昇させるだけで何らクオリティ・オブ・ライフの上昇をもたらさない内容のない高度成長ではなかったと言えます。
衣服とインテリアのデザインが車の両輪として進んでいくこの伝統は、ファシズムによって捻じ曲げられる前の“良きユーゲント文化” に由来し、建築家のホフマンによるストックレー邸のプロジェクトや建築家のフランク・ロイド・ライトによるプロジェクトにも見られます。住居の中に存在する衣服そのものにズームインすれば、新たな身体像とその振る舞い(ジェスチャー)や表情との関係でそのデザインが決定されます。たとえば、アルマーニは、現実にはあり得ない長さの(身体のパーツとしての)手や足を胴体に付けて新たな身体像を創りつつ(その様子はあたかもインテリア空間を割り振りってデザインしているかのようですが)、アルタ・モーダのファッションショーでキャットウォークするモデル達の振る舞いとは異なる動作を見つけるべく、バス停でバスを待っている人のジェスチャーを観察しています。他方、フェレは、同じくあり得ない肩幅の身体像を構想しています。(前節で述べたように)服を着ている/着ていない(ヌード)といった状態の前に、人々の振る舞いや表情の次元そして歴史がありますが、ズームアウトして任意の衣服を着た人が戸外に出ると、その人は都市の景観あるいは職場の景観を創る一つの要素となります。つまり、ミッソーニの様々な動物柄のセーターを着た多数の職員から職場の景観が構成されるならば、職場が動物園?らしくなるわけです(笑)。また、ベルサーチェの服は、特定の歩道、信号、街灯、モニュメント(彫像)を要請し、都市の景観を形作る一要素ともなり得ます(反対に、そういった都市にとってのインテリアに該当するショーウィンドーも、自らと調和するミラノの既製服を要求します。動く絵画としての衣服は、借景の一部になり得るのであって、屋根線のあるイタリアの路地のような絵画的な景観とともに映えるとも言えます。(劇場なら劇場といった任意の空間の中での要請された振る舞いに応答するのが衣服であり、他方、個々の夜会服は、劇場空間のクオリティに寄与し得るのです。)
このようにイタリアンファッションの一つの特徴として、インテリア空間全体の一部としての衣服、都市景観全体の一部分としての衣服という捉え方ができる点、言い換えれば、衣服のプロジェクトが、家具や照明そして都市計画のプロジェクトと同時に考えられる点が挙げられます(イタリアのアールヌーボー[リバティやユーゲントスタイルとも呼ばれます]文化の受容が、衣食住全範囲に及んだ結果です。)。

4.イタリアンファッション=定められた役割や任意の社会階層からの自己解放の手段

フランスや米国のファッションは、自らの社会的地位を確認するための手段である一方で、イタリアのファッションは、任意の社会階層に釘付けされていることから自らを解放(riscatto)し、社会階層を上昇していくための手段、あるいは定められた一定の社会的役割を果たすことから自らを解放する手段です。衣服は、固定的なアイデンティティに捉われずに、何に変身してどのような新たな生を企図したいのか、どのような新たな人生の物語を始めたいのかという気持ちが投影される場所であり、これは服を着る一般のユーザーを、消費者でもなく、市民でもなく、演劇的な舞台であるとみなされるこの世界の中でドラマチックに振る舞う俳優・女優と捉えることから導かれます。たとえば、アルマーニの服に関して言えば、外出した際に着るかっちりとしたフォーマルな服とくつろぐための部屋着の区別を再考することで、彼の服は、朝昼晩いつでも着てもいいし、老人あるいいは若者が彼の服を着てもよく、そしてまた男が女の役割を果たしても良いので女性っぽいカラフルな色彩から成るスーツを着てもよいということになります―というのも、何かに変身したいという気持ちが投影される場として幅広い可能性が彼の服にはあるからです(要するに、アルマーニファッションは、なりたい自分になれる服なのです)。もう少し述べると、彼の服は、社会の中での固定的な職務/役割ではなく、柔軟な職務/役割を提案し―豊富な同一化のパターンを提示し―、そうすることで振る舞い(仕草)の変容を促すからです(服が規定する慣習的で決まりきった役割を変えます。)。かくしてアルマーニにとって、アルタ・モーダのファッションショーで典型的に見られる、王女としての大女優が結婚式に臨む(映画等の)場面をもっぱら想定したファッションモデルの振る舞いは、普段の日常生活からあまりにもかけ離れた「同一化ための一つのモデル」に過ぎない一方で、自分の服は、一般ユーザーが様々な社会的場面で自らの役割をドラマチックに演じることに合致したものでなければならないと考えています―かくして、アルマーニのファッションショーにおけるモデルの振る舞いは神話の次元を感じさせるものではなく、むしろ食料品で買い物をするような普通の人々の振る舞いからかけ離れたものではありません。
演劇的世界観に基づく自己解放の手段としての衣服は、ラディカルデザインという観点から考えると分かりやすいでしょう。ラディカルデザインの考え方では、室内のオブジェが、その使用される文脈を離れ(入れ替えられ)、別の文脈へと挿入されたり、破壊されたりします―具体的には、ソファー・花瓶・椅子・ベッドが、従来の意味を失い、(古代メソポタミアの聖塔である)ジグラット・ギリシャの神殿・マニエリスムに由来するような異なる意味を担うようになりますが(言い換えれば、舞台装置の一部へと転化します)、それと同様に、自分がデザインしたジーンズを履けば誰でもジェームズ・ディーンに変身できることを考えたベルサーチェのように、社会の中での固定的な役割からの解放とアイデンティティの変容を促す意味での舞台衣装の側面を備えているのが、ユーザーの変身を可能にするイタリアンファッションの演劇的性格です(ベルサーチェほどではないが、アルマーニも様々な舞台衣装を手掛けました。)。
 なお、舞台衣装の対局にあるのが、型にはまったある種の儀礼的な動きを強制してくる暴力的な衣装としての制服(ユニフォーム)であり、たとえばフェレは、自分のデザインする服が、変化しない制服ファッション(Ritual clothing)であるユニフォームへと転落しないように細心の注意を払っています。というのも、ミラノの既製服ファッションが中産階級を対象とするのに対し、全ての階級に対して強制的に適用されるのが軍服的性格を持つものとしてのユニフォームであるからです。

以上で冒頭の図(「イタリアンファッションの三角錐(メード・イン・イタリーファッションの特徴)」を説明し終えたと思います。この四つの要素の内、グッドテイストは外せないけれども、その他の要素は全部揃っていなくともイタリアらしさは保持されるでしょう(あるいはその組み合わせによって様々なイタリアンファッションが考えられます)。

5. 結論

本noteのイタリアンファッションの分析から、ファッションとは何か?という問いに対する明確かつ決定的な定義を与えられることが分かります。人の身体のライン(輪郭)は美しいのであって、それを表現するということです。ファッションの定義があいまいだと、大学教育におけるカリキュラム編成がぐらつきますので、しっかりしたいところです。ファッションはアート(美術・映画・写真・ポスターをも含むという意味での芸術)に基づくのであり、アート思考が主に活用されるのは、プロダクトデザインでもインテリアデザインもなく、ファッションデザインにおいてであると言ってよいでしょう。言い換えれば、デザインは、アートと日常生活を繋ぐものとしての失われた輪(ミッシングリング)です。
2000年代になってファストファッションに負けたと言えるミラノの既製服は、現在、40代の若手デザイナーを中心として新たな挑戦を始めていますが、それから考えられる「2020年代のイタリアンファッション」については、別途説明しましょう。


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