女優を目指したが為に、、、、

もし女優を目指したりしなければ自分の人生は最初から違う方向になっていたかも、いや、絶対なっていたと思う。もう少し”普通”の人が選ぶ道を選んで来たんではないかと最近よく思う。
結局、女優という職業にはついていない。若い頃幾つか小さい舞台をやったりテレビのコマーシャルに出た事もあるが、こう言う業界ではレベルもピンキリで私はピンに近いものだった。最近までそんな事をやっていた事実さえ忘れていたくらい。
40近くで子供を産んでからは特に現実味を帯びた仕事を得る為にかなり苦労した。この歳になってキャリアと呼べるものは何もないと気づいて愕然とした。これまで携わって来た旅行業のガイドの仕事や、ホテルや飲食業、そう言った業界以外でしか経験がない。業界名で言うとホスピタリティービジネスだ。
ここ数年では不動産免許も取ったので今は不動産屋もやっている。
殆ど正社員、就職などと言うものに縁のない人生を歩んで来たのも、よく考えると女優になると言う漠然とした希望と夢を長年追いかけて来たからだ。


30半ばになってもウェイトレスをやってオーディションなどに行ってる私に友達は聞いて来た。『あんたさ〜アメリカで大学卒業してるのになんでウェイトレスだけで生計たててんのー?』と。
私はその時、何言ってんのよ、ニューヨークのレストランってその辺の会社の正社員より稼げんのよ、それに私は昼間に自由に色々動けるしね、、って。
あーー〜あの30代の頃に芝居以外の事を勉強したり別の分野でキャリア積んでおけば良かったと40過ぎて子供持ってからどれだけ後悔した事か。

人生振り返ってみればその時その時に自分が選択した”普通” とは違う方向性には、少なくとも40になるまでの間は ”女優になろう” とずっと諦めきれず目指して来たからの結果だったと言うことを、ここで改めて振り返ってみようと思う。

小学校4年生の時に ”ガラスの仮面”という漫画に出会ってしまったのが
人生のそもそもの分岐点。40年以上も前の事。主人公の北島マヤという”千の仮面を持つ少女”  が女優になる為に辿るすごくリアルな演劇の世界が描かれた昭和の漫画の大御所だ。ドラマや映画や舞台化もされているのでもちろんご存知の方も沢山いらっしゃるでしょう。 因みにこの連載、まだ終わっていない。45年以上も伸ばす伸ばす、の大連載です。

この漫画との出会いが後々私の人生を大きく揺るがす事になろうとは、小学校4年生の時は思ってもみなかった。

つまり私はこの漫画を読んだ時、(ちょうどマヤが『奇跡の人、ヘレンケラー』の役創りに奮闘している辺り)ちょっと大袈裟だが自分の魂の奥から何か目覚めた様な、はっきりと確信したというか決意した。
『私は女優になる、、これしかない!』
自分が選ぶ道はこれしかないとハッキリきっぱりと思ったのだ。
10歳にしてあれほどクリアにこれがやりたいと強く思った、確信した事はその後もあの時以外にはない。

しかし、残念な事に奈良の田舎に住んでいる私の周りには入る劇団などはない。
取り敢えず小学校の演劇部とかに入ってみたが、全く物足りない。

5年生の時にガラスの仮面に良く登場する ”台本” と言うものに憧れて単純な脚本もどきを書いて友達と練習して ”お楽しみ会” と言うクラスの発表会でやってみた事がある。
ガラスの仮面で登場する ”台本” や、”パントマイム” や、”お稽古(リハーサル)”をやってみたくてしょうがなかった。
現実には自分の夢を友達や親に打ち明ける事も出来なかったけど、自分の中ではかなり熱い夢として静かに大切に育てていた。

そうこうする間に中学生になり、ここでも演劇部なんて言うのはないに近い。スポーツ系に強い学校だったのでその雰囲気にのまれソフトボール部に入った。
少なくとも周りには芸能界だとか演劇だとかそう言うエリアに関わっている人も、私と同じ様な夢を持っている人もいなかった様に思う。
部活が忙しくうわべでは演劇の事なんか忘れかけていた。
でも中学3年の時に雑誌で見つけたオーディションの情報を見て応募してみたらすぐに返信が来た。しかも東京にオーディションに来いと言う事で、これはもう内緒に出来ないと言う事で母親に説明すると、親バカは母親は早速東京の友達に連絡を取り、久しぶりにその友達にも会えると言う事である週末に私は母に連れられて東京までオーディションに行く事になる。

続きはまた明日に、、、


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