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ひきこもりの正体は?社会的孤立との関係

ひきこもりに関する内閣府の調査結果が3月末に発表され、私も「元ひきこもり」「ひきこもり経験者」として取材を受けました。自分が女なので、「女性のひきこもり」とか「ひきこもり主婦」などの切り口になりがちなんだけど、それだけでは弱いと思ってます。ひきこもり問題はロスジェネ問題とも重なるし、失われた30年の産物であって、自己責任論の影響も大きい。


「ひきこもり」の定義について、ここらで私見を述べておこうと思う。かつての私みたいに、外出はできるけど人とのつながりがない状態は「広義のひきこもり」に含まれるそうです。でも、私にとっては狭義も広義もあまりこだわりはない。どちらも「社会的孤立」でいいんじゃないか、と思ってます。

「ひきこもり」は当初、教育とか心理学・精神医学の分野で取り沙汰されたこともあり、個人的な問題、メンタルヘルスの問題とされがちですが、そこには待ったをかけたい。

こんなにひきこもり状態の人が増えているということは、個人の問題のレベルを超えてるよね。そういう状態に追い込むような、世間とか制度とか政治の不備・失敗がある。社会問題として、社会的文脈で語るべきなんです。だからこそ、「ひきこもり」というよりは「社会的孤立」といいたいのです。

「ひきこもり」という人種がいるわけじゃないんです。何かのきっかけで孤立して、ひきこもってしまうだけで。「ひきこもり」という名詞を使うと、そういう状態にある人へのレッテル貼りになりかねない。「ひきこもる」「ひきこもっている」という動詞なら、一時的な状態を表すから、レッテルにはなりにくいけど。

私が終始一貫して訴えてるのは、自己責任論を脱しよう、個人に押し付けられた問題を社会に押し戻して、みんなで考えよう、ってことです。

かつてひきこもっていた人や今ひきこもっている人、いわゆる「当事者」だけの問題じゃない。今ひきこもっていない人も、一緒に考えてほしいんです。その人たちだって、これからひきこもってしまうかもしれない。そうでなくても、こんなにたくさんのひきこもり状態の人たちを生んだ責任の一端は、あなたたちにもあるんです。わたしたちみんなにあるんですよ。私はそう言いたい。


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★いわゆる「ひきこもり」について、かなり突っ込んで書いてます。弱者アイデンティティーの固定化、居場所の弊害、当事者/支援者団体の欺瞞とメディアとの癒着など


★シリーズものです。支援団体とメディアの癒着・欺瞞について、掘り下げてみました。全6話の予定。鋭意執筆中。


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