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映画『異邦人』

令和3年4月20日の日記
自分の趣味に合うものしか観ないほど、私は自分のセンスを信頼していませんので、定期的に自分のセンスとは違うエッセンスを取り入れるよう努力しております。一つのやり方が毎週決まった時間に上映される映画を観るというものです。その時間に上映されるものならば、プリキュアでも仁義なき戦いでもゴダールでもスピルバーグでもとにかく観るということをしています。ただ、ミニシアターゆえ、スピルバーグやプリキュアなどに巡りあう機会は限りなくゼロに近いのですが。

しかしながら、そういう「縛り」のなかで映画を観るにしろ、できれば観たい映画を観たいというのが正直なところでして、今日はそれが「当たり」でした。『異邦人』のデジタル復元版。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品で、日本初公開は1968年。私、生まれておりません。初公開時は英語版だったそうですが、今回の復元版はイタリア語版でした。フランス語っぽいな、と思いつつ、でも何か違うな、と感じつつ観終えて、フライヤーを確認したらイタリア語でした。私の耳はその程度には敏感である。

昨年来続くコロナ禍で、伝染病の恐ろしさを描いた代表作『ペスト』が再び脚光を浴びたカミュの、もう一つの代表作といえるのが原作の『異邦人』だと思います。昨年、読みたい読みたいと思いながら、あまりにもヒットしたから「もういいや」と思って『ペスト』は読むのをやめて、その代わりに『異邦人』を読んだばかりでしたので、今回の上映は私にとって、なんというナイスタイミング!というわけだったのでした。

主人公のムルソーは、決定的に欠陥のある人物なので、演じるのは大変だろうな、と思いましたが、マルチェロ・マストロヤンニという峰岸徹似のハンサムが見事に演じておりました。恋人役のアンナ・カリーナ(これまためちゃくちゃハマり役でとにかく綺麗だから、この人観るためだけにもう一回観たいくらい)に「愛してる?」と聞かれるたびに「いいえ」と答えるところなんか、羨ましくもあります。

なぜ羨ましいのかといえば、これは私だけかもしれませんが、恋人なり友達なり上司なりなんなり、相手が誰であれ、「相手の期待する答えを返す」という、いわゆる「忖度」ってやつですが、そういう気持ちが100でないにしろ、人間関係を円満にするために、ある程度、必要であると考えるわけですが、このムルソーという男には、そういうちっぽけな考えが微塵もなく、いっそすがすがしい。

夏の浜辺でアラブ人を射殺したうえ、さらに5発撃ち込んだわけですが、裁判で検事に(裁判長やったかな)「どうして殺したのか」と聞かれて「太陽のせいだ」と言う場面は、小説以上に「キターーーーー!」と思いましたね。ひょっとすると、もう少し思い入れがあればキャスティングほか演出などにも、文句の一つでも出てくるのかもしれませんが、そこまでの思いを抱いていないためか、まったくその類の不満はなく、むしろ、「ああ、そうそう!ママンの遺体が置いてる場所はそんな感じよね!」「そうそう、アラブ人たちと一触即発になる浜辺はそんなんそんなん!」などといちいち納得しながら、どうしてこうまで頭に思い描いていた情景と一致するのかしら?ひょっとして私ったらヴィスコンティ監督と感性が著しく似ているのかしら、とか思っていたんですが、おそらく、20年ほど前、学生時代にDVDかVHSで、この映画を観ているのだと思われます。当時、私はこの手のヨーロッパ映画をよく観ておりました。

それにしても、アンナ・カリーナめちゃくちゃ綺麗やったなー。

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