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SUBWAYまではFAR AWAY

6年ほど前に清水寺のあたりを歩いている外国人に「地下鉄は遠いですか?」と聞かれ、私の内から咄嗟に出てきたのが「SUBWAYまではFAR AWAY」でした。咄嗟に出てきた割には韻を踏んでいたことについては自分で自分を褒めてやりたい。

四十歳を過ぎたくらいから語学の勉強をしたいと思うようになり、それは何故かといえば、外国人と会話がしたいとか、海外文学を原文で読みたいとか、そんな意識の高いものではなく、いろんな文字が読めるほうが単純に楽しいのではないか。というのと、外国語を勉強することにより、いつも使っている日本語のことを見直すことができるんじゃないか、という思いからです。後のほうは、とってつけた感がありますね。そうです。とってつけたんです。

語学の学習で最初にぶちあたる壁は発音やと思うんですけど、私なんかは、本当にthをちゃんと発音しないといけないのかしら?とか、rとlをちゃんと区別して発音しないといけないのかしら?とか、思ってしまうんですよね。例えば母語がハングルの人ってのは、一音目を濁らせることが難しいらしいんですよね。「五」は「ゴ」ではなく「コ」と発音しちゃうみたい。フランス語圏の人は「h」を発音しないですよね。無音のアッシュ。我々「そういうもんだ」って習うじゃありませんか。ということは、日本語を学ぶ外国人もたぶん、「日本語にはrとlの区別がない」とか「thの発音が下手だ」とか、そういうことは学ぶわけじゃないですか。

そうなったら、わざわざlとrの区別が付かないがために「おまえの言うてること発音下手すぎて何言うてるかわからへん」と英語で非難されますかね?ある程度、汲んでくれますわね。それが人付き合いってもんですよね。だとしたら、そんなに一生懸命にネイティブの発音を追い求めないといけないものですかね。

英語が専門の人に発音を鼻で笑われたことがあるんですが、まぁ、その方は大学でも英語を教えている方で、なんと、ラジオでも英語のことをレクチャーされていたので、とてもとても英語が得意であったのは間違いないんですけれども、「君は本当に英語の発音が情けないくらいに下手くそなんだな」というようなことを言われますと、こちら側としましては、やはり「母国の人らからしてみたら五十歩百歩じゃい、ハゲ!」なんてことを心の内で叫んでいたあの頃も、ああ、もう2年以上前のことか。時が経つのは早い。

専門の人ほど、発音のことを大切だと言うんであって、いや、事実おっしゃる通り、間違いない紛れもない事実なんでしょうけれど、そこにはなんとなく「発音をしっかりしておかないとネイティブにバカにされる」という大国に対する劣等感、コンプレックスを感じるわけで、まぁ、確かにlittleを「リトル」って言ってもwaterを「ウォーター」って言っても通じないんでしょうけれど、どちらかというと、カッコつけて必死になって使い慣れない舌の使い方をマスターしてギリギリ、ネイティブにわかってもらえるけど、それでも「あんたやっぱり下手だね」って思われる程度の発音しか習得できないくらいなら、「いいか、マイケル。俺の言う『ウォーター』はwaterのことだからね、以後よろしく」でまかり通るお付き合いができるためのコミュニケーションを教えてくれるほうがより実利があると思うんですよね。

私はといえば、とりあえず、読んで書けるようになればコミュニケーションが取れんことはないやろーということで、発音とリスニングは無視してます。目的によって勉強の仕方は変わるものなのだ。

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