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古本まつりと北海道ラーメンと

3年前の秋、百万遍知恩寺の秋の古本まつりへ行きました。少し急いで行きました。DJの佐藤弘樹さんが、朝の生放送終わり、N市の副市長と会う約束をすっぽかして行っていたので、そのことを伝えるために急いだのです。

知恩寺に到着すると、境内は古本を選る人で賑わっており、佐藤弘樹さんを探すのも骨が折れそうだと思いましたが、けっこう体は大きいし、髪の毛も印象的な人だったので、まあ、すぐに見つかるだろうと思っていたらすぐに見つかりました。帽子を被っていました。

「弘樹さん、N市の副市長と会う約束だったんじゃないですか。局の皆さんが探していましたよ」

そう伝えると、それまでに見たことのない「やっちまった」という表情を浮かべたので、少しばかり貴重なものを見たような気がしました。佐藤弘樹さんはすぐにスマートフォンを取り出し電話をしました。N市の副市長にしたのか、局の人に電話をしたのかはわかりません。聞かないほうがよいだろうと思い、少し遠いところで私はたいして興味のない展覧会の図録なんぞを眺めていました。

そのまま古本を物色していようと思ったのですが、佐藤弘樹さんが飯でも食いに行こうというので、「おいおい、約束すっぽかしておいて飯なんか食ってていいのか」と思いましたが口には出さず、付いていきました。百万遍の交差点からすぐのところにある北海道ラーメンのお店でした。

食券制のお店だから、店に入ってすぐに食券を購入します。佐藤弘樹さんは還暦を過ぎておりましたが、食欲は盛んで、ラーメンの大盛りとチャーハンの食券を買っていました。
「おまえはどうする」と聞かれ、ご馳走になる身としては、本来なら、ラーメンだけにするなどしたほうがよかったのだと思いますが、結局、佐藤弘樹さんと同じラーメンの大盛りとチャーハンにしました。

店内には客が佐藤弘樹さんと私以外、ほとんどいませんでした。割とすぐに出てきました。まだコロナの無かった頃なのでマスクもしていないし、アクリル板もありません。そんな時代が来るとは誰も全く考えていなかった頃のことです。佐藤弘樹さんは翌年6月3日にお亡くなりになったので、コロナを知りません。私はといえば、あの秋、まさか翌年6月3日に佐藤弘樹さんが亡くなるなどとは全く考えておりません。佐藤弘樹さん自身はひょっとすると、自身、そう長くないことはもうわかっていたのかもしれませんが、それはわかりません。あれだけ食べる人がしかし、と思い返すたびに考えてしまいます。

「オレは北海道出身だから北海道ラーメンにはうるさいんだけど、ここのは美味しいね。北海道ラーメンって書いてあるラーメン屋はだいたい美味しくないんだけど、ここのは美味しいわ」

感心しながら食ってる佐藤弘樹さんの麺を啜る音を聴き、それほどのものかなーと思いましたが、ご馳走してもらっている身でそこを否定することはできないので、そうですねそうですね、と繰り返しておりました。

「いやー、美味いね。チャーハンも美味しいわ」と、朝の顔とまで言われ、豊富なボキャブラリーを持つDJとは思えない感想を述べながら食っていました。

百万遍知恩寺の秋の古本まつりへ行くと、いつもそれを思い出すから、必ず同じ北海道ラーメンを食べに行きます。いや、思い出したいから北海道ラーメンを食べに行くのかもしれません。今日もお昼にいただきました。それほどのものかなーと思いました。

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