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新しい「好き」を求めて

 昨日も書いた文化人類学者の上田紀行さんの言葉についての続き。上田さんは50年近く前に東京都交響楽団の定期会員になり、以来ずっと聴き続けているそうなんですが、コロナ禍によって東京都交響楽団は定期会員制をやめて全て1回券にしてしまいました。コンサートの中止や指揮者の交代、曲目の変更なども多発するためです。

 こうして定期会員制が無くなったことで上田さんは改めて定期会員制の大切さに気付かされます。上田さんいわく、定期会員になれば全てのコンサートを聴くわけです。会員になった当時、上田さんの家にあった中古の「世界音楽全集」にはマーラーもブルックナーもショスタコーヴィチも入っておらず、ベートーヴェンの交響曲は「運命」と「田園」のみでした。

 そんななか上田さんにとって毎回のコンサートは未知の曲との出合いの連続で、ほんとうにワクワクしたといいます。

 「好きな曲、苦手な曲、どんな演奏が自分の好みなのか、それはたくさん聴かないと分からない。」上田さんはそう言います。

 この言葉の後、昨日引用した言葉が続くわけです。今の自分にバチコンとはまった言葉なので再び引用させていただきます。

 「好きなことだけ選べる人生が幸せだという人がいる。でも「好き」はそれまでの人生経験での「好き」だから、それだけでは世界が広がらない。若者は特にそうだし、人生100年時代の年長者だって、未知の世界にどれだけ次なる「好き」が隠されているか。」

 1月26日の日経新聞夕刊1面『あすへの話題』から引用させていただきました。

 実は私も同じようなことをコロナ禍から始めています。ミニシアターが苦境に立たされているということで微力すぎますが職場の近所にある京都シネマの会員になり、好みに拘らず必ず同じ曜日の同じ時間帯の上映作品を見続けるということを半年くらい続けていたのですが、仕事が忙しくなったため、その習慣は自然消滅してしまいました。

 新しい「好き」を探すのってものすごく無駄が多いんですよね。ひょっとするとコロナ禍におけるオレの力くらい微かな微かな「好き」すら得られないかもしれないものに向き合いながら、それでも今後の人生を変えるかもしれない「好き」の蕾を探すのは心身ともにかなり疲弊するのですが、しかし、その蕾を見つけた時の喜びは他の何にも代え難いものがあります。

 年を重ねるとその労力を費やすことを躊躇い、旧知の間柄である「好き」にすがり、「おー、相変わらず面白いねー、好きだよ」と愛を確かめることに打ち込んでしまいがち。昨日書いた「答え合わせするだけ」というのはそういう状態。私の見立てでは自分のセンスを信じている人ほど陥りがちな罠です。若い頃はカッコよかったのに今のあの人は・・・という人はだいたいこのパターン。決して太ったとか毛が薄くなったとかそんな問題ではないのです。

 知らんけど。

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