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エッセイ『当たり前になっていくのが恐ろしい』

令和4年10月25日

 毎日新聞を眺めておりますと、あ、これは「毎日新聞」を眺めているという意味ではなく「毎日、新聞」を眺めているという意味です。
「I read Mainichi-Shimbun」ではなく「I everyday read newspaper」です。※「a」とか「the」とかの付け方はわからないので間違っていたら謝るしかない。なら、最初から「毎日、新聞を」と書き出せばそれで済む話じゃないかと思うかもしれませんが、上記の話が面白いと思ったんです。すみません。

 それで思い出しましたが、何年か前「勢」という力士がいた頃、ラジオでDJが「いやー、稀勢の里と勢の一番、観てたんですけど、稀勢の里に勢いがありましたから〜」と言っていて、どっちが勢いなのかわからなくなりました。

 さて。
 「毎日」、新聞を読んでおりますと、ロシアのウクライナ侵攻に関する記事を目にしますが、最近はいよいよ日によっては、関連記事が無いこともあるようになってきました。ニュースというのは、何かしら普段とは違う出来事が起こってこそ、ニュースです。報じられなくなってきた、ということは、ロシアのウクライナ侵攻が「当たり前」になってしまっているということです。これはすごく恐ろしいことだと思います。もう随分昔から、シリアやアフガニスタンのことは「当たり前」になっています。こうやって事件は日に日に「当たり前」になっていくんだな、という、それを実感しているのが、いまはすごく恐ろしいのです。

 科学的根拠とかは何もありませんが、人というのは、何かが非日常的である場合に、「慣れる」ことによって、それを日常へと変化させ、心を安定させようとするものなのだと思います。何かがおかしいとわだかまりを抱えていても、抱え続けて暮らすのはツラいから、「おかしいけどこれが当たり前なのだな」と「慣れる」ことで無理やりに心を安定へと導くわけです。そうやって「当たり前」にしていることが、実は慣れてしまっただけで決して当たり前ではないんだよ、ということを、たまには思い出す、という作業もやっぱり、大切なんじゃないかと思います。それでも結局、どうせどうにかなるものでもないからどうしようもないか、と元に戻るしかないのですが、そうして時折、これはやっぱりおかしい、と思い出す作業によってこそ、私は人間であり続けられるのだと思うのです。

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