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ワクチン接種日記1回目

台風が近づいているため、いつもより早起きし、念のため朝7時の番組が始まる前に局に到着していた昨日、無事、台風は外れていきましたから、準備していた私はいわば「空振り」なんですが、逆に準備していない状態で直撃する「見逃し」に比べたら何万倍か「空振り」のほうが良いと思います。これからも、いくらでも「空振り」していきたい。この場合、「本塁打」は望みません。

朝6時頃、吉野家で朝ごはんを食べたのですが、僕の後に入ってきたおじさんが、牛丼特盛に何かわからない鉄板で出てくる料理、さらに白ごはんも大盛りで注文しており、驚きました。人間、あんなに食えるものなんですね。

局までは自転車で来ましたが、ワクチン接種会場へはバスで移動。四条烏丸から京大病院へ直通のバスが1本あり、マクドナルド前の停留所から出る65系統がそれなのですが、「前日に13時40分発のがあるから接種時間の14時20分に間に合うで」と教えていただいたので待っていると、先に待っていた2人のおばはんが「あんた2時10分かいな?私もやがな」「バス待ってたら間に合わへんかもな、タクシーで行こか」と話しており、かなりの高確率で京大病院へワクチンを接種しに行くらしかったのでタクシーに同乗させてもらいたかったのですが、どうしても切り出すことができませんでした。こうやって思いを切り出すことができずに終わった恋が何度もあったよなー。

バスを待ちながら、そこはかとない尿意を感じており、マクドナルドに駆け込むか否か、迷い続けていたら13時40分になったので、そろそろ来るかと待ち構えておったのに、全くやってくる気配がないのは京都の市バスあるあるなのですが、尿意が平静を保たせてくれず、イライラを募らせていたところ、45分に到着しました。



京大病院前のバス停を降りると、そこはちようど接種会場入口のすぐ近くで、入口では青年がダンボールみたいな簡易のプラカードを掲げており、「ワクチン接種会場入口」というようなことが書いてあった気がしますが、大事なことなのに正しくは覚えていません。「九州まで連れて行ってください」とか書いてサービスエリアにいる若者みたいだな、と思っていたのが記憶の邪魔をしたようです。

手指の消毒を済ませると、病院入口にて第一の関門おばちゃんが「予診票」「接種券」「本人確認できるもの」のチェックをしたのだったか、それとも第一の関門おばちゃんは、ただ道順を指示しただけだったか。詳しくは忘れてしまっていますが、大腸のようにうねうねした動線に沿って私たちは、ベルトコンベアに乗せられたようにして、意思は剥ぎ取られ、ロボットのようにして前へ進むしかできなかったのですが、途中、ハタと気付いた私はいったん入口へ戻り、用を足したのでした。あのままベルトコンベアに乗せられていたら、とんでもない尿意に耐えながらワクチンを打ってもらわねばならなかったかもしれません。接種後、消毒綿を片手で押さえなければならないので、おしっこをしに行く場合、まずベルトを外すのに苦労するし、いざ用を足す際も、片手が使えない状態では些か心許ない。諸々考慮したうえでというわけではなく、尿意に我慢ならず、あわてて行ったわけですが、結果としてナイス判断だったと思います。



「私はP社のワクチンを接種できるつもりで来たのにどうして今日はM社なのだ」とものすごい剣幕で怒鳴り散らしている女の人がいたのでM原J子みたいだと思ってしまいました。恥を知らないといけません。

↑昨日書いたワクチン接種日記風短編小説の中の数少ない事実の描写がこれです。

ベルトコンベアは1階から3階へと続き、本物のお医者さんなのかはわかりませんが、お医者さん風のお兄さんに本人確認やら体調確認やらされたあと、1階が覗き込める吹き抜け沿いの通路を、なるべく階下を見ないよう通り抜けると、普段は待合スペースとして使われていそうな場所が接種スペースになっており、2人〜3人掛けのロビーチェアに1人ずつ看護師さんなのかわかりませんが、看護師然とした女性が待機しており、見ようによってはキャバクラのように見えなくはないような気がしてしまいました。

私が誘導された先の看護師さんは慣れたもので「どっちに打ちます?」と聞いてきまして、「あ、僕は左利きなので右に打ってもらったほうがいいから、あ、ということは僕、座り方を逆にしないとですね!」と、左に位置する看護師さんに話かけ、慌てて反対向きになり、右腕が看護師さんのほうになるようにしようとしたら、「私が動くのでそのままで結構ですよ」と微笑みかけられ、なんとなく、この人に打たれる人生でよかったと思っていたら回り込んだその人が「ちょっとチクってしますけどすぐ終わりますから力抜いてくださいね」と言い、消毒した腕に細い細い針を刺したのはあっという間のことでした。打ち終わったあと、なんとなく素っ気なく感じてしまうのもキャバクラに似ているような気がしました。



15分待機して、何も起こらなかったので1階に降り、京大病院には美味しいパン屋さんがあると聞いていたので、院内の案内図をチェックし、いったん外へ出て、別の入口から再度、院内へ入り、その噂のパン屋さんへ向かったのですが、新型コロナウイルス対策で営業時間を変更しており、土曜日は営業していませんでした。せっかくの機会やのに残念ですが仕方ありません。そういえば昔、福知山城の資料館までわざわざ行ったのに定休日だったことを思い出しました。

若者ほど副反応が出やすく、じじいは無反応などと聞いていたため、なんとなく、多少は副反応が出てほしいと思っていたので、ちょっとした気分の変化さえ「これって副反応なんじゃ、、、」と思いがちゆえ、あれが副反応だったのかどうかはわかりませんが、打ったあとから、なんとなく気分がふわふわふわふわしておりまして、なんというか、放心状態?上の空?心ここにあらずの感じで、頭がうまく働かず、本来ならバスなりタクシーなりで帰るほうがよかったのでしょうが、そういうことにも頭が回らず、結局、四条烏丸まで歩いて帰り、大丸裏の「はなまるうどん」に寄ってお昼を食べ、かけうどんに天かすをまぶし、さらにトッピングのイカ天、明太子おにぎりを食べましたが、天かすをまぶすならイカ天は要らないと思いました。ダシも全部飲み干しましたところ、汗が滝のように流れ出て、こんな時に限って手ぬぐいを忘れてきていたため、難儀しました。尋常じゃない汗を流して拭きもしなかったから、信号待ちしている私は異常だったと思います。



自転車で家まで帰ったのが16時過ぎでしょうか。帰ってからも、恋する思春期みたいにふわふわしており、なんとなく熱っぽいのですが、これも「副反応待ち」するがゆえにたいしたことないのにやばい副反応のように思い込もうとしてるだけじゃないのかという冷静な自分もいながら、とりあえず、異常な汗を風呂で流し、晩御飯をいただき、なんとなくしんどいので21時前には床に就いたわけですが、考えてみれば、今朝は台風情報を入れるため、いつもより早く4時台に起きていたから、それで疲れただけなのではないか、とわかり、ああ、そうか。私は所詮じじいなのか、と納得して眠りに落ちました。



翌日、つまり今日は、朝からずっと右腕が痛いです。硬球をぶち当てられたような鈍痛がずっと続いております。それ以外は何もありません。右腕の痛みの分だけ、まだまだ若いのだと思うと、明日から生きる活力になりますね。もう、まだまだ若いことはわかったから、明日の朝には痛みが無くなっていてほしいと思っています。

#令和3年9月19日  #コラム #日記 #エッセイ
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↓昨日書いたワクチン接種日記風短編小説もどうぞ。

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