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コボちゃんは「さびしくないよ」と呟いた

 3月27日の読売新聞1面コラム『編集手帳』にコボちゃんの心温まるエピソードが紹介されていました。

 澄んだ空にぷかぷか浮かぶ二つの風船。転んだ女の子の手から風船が飛んでいってしまうんですが、女の子の涙顔を見たコボちゃんは、自分の風船も空に放って「さびしくないよ」と呟いたっていう話。

 優しさってこういうことなんやと思う。自分がこれと同じことをできるかといえばおそらくできないだろうから余計にカッコええなと思う。幸い、僕は今、このコボちゃんの優しさを知ったから今後似たような場面に出くわしたときにこのコボちゃんの優しさを思い出して何らかの優しさを見せようと努力できる。新聞コラム一つでも、こうやって読むことでその後の人生の選択肢を増やすことができる。読書でも映画でもスポーツでも何でも、何かを体験して知識を得るということは、そういうことなんやと思う。決してその知識をひけらかしてマウントをとるために得るものではありません。

 コボちゃんの優しさ溢れる呟きと比べて、顔の見えない大人たちのくそリプの醜さときたら。その人の奏でる音楽が好きで、その人の紡ぐ言葉が好きで、自分にはないアグレッシブな生き方をしている音楽人がおられまして、(というのは僕がほとんどその人のTwitterなどでの発信でのみ感じていることなのですが)僕は密かに応援しておりまして、また、時折活力をいただいていたりもするわけなんですが、その人に対する顔の見えない大人たちの呟きのなかに、同じ人間に対するものとは思えないものがあり、悲しい気持ちになっています。涙顔の女の子に対して「手を離した君が悪い」程度ならまだしも「これだから女は」「どうせ親が◯◯人なんだろう」そんなことをコボちゃんが呟いたらコボちゃんは大炎上するはずですが現実には顔の見えない大人たちの罵詈雑言誹謗中傷は放置されてしまうことが多いらしい。

 とても悲しい。

 昨日の読売新聞『人生案内』にお母さんとお兄さんの軽口にうんざりするという京都市の女性からの相談がありました。正月の親戚の集まりで相談者の女性は母親に「この子、橋の下で拾ってきてん!」と言われ一同大笑いだったらしい。女性が抗議しても「冗談通じひんねん」と自分たちのほうが傷ついたというような態度をとられる、とのことで。

 回答者のいしいしんじさんの回答の一部を引用します。

 自分のネタが、誰かを傷つけているなど思いもよらない。だからこそいっそうたちが悪い。「傷ついている」という訴えまで、無意識でネタと受け流し、あくまでシリアスな状況からの逃亡を試みる。

 いしいさんはこういう人が関西人には一定の数存在する、と自戒を込めて書いています。

 関西人に限らず、自分の言葉が誰かを傷つけているかもしれないということをもっと自覚しないといけないと思う。冗談じゃないし、全然面白くないです。

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