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京都は祇園祭 霰天神山

 四条烏丸界隈は祇園祭仕様にモードチェンジしました。室町錦西入ルの霰天神山は雷除け、火除けのご利益があるそうです。

 永正年間(1504~1520)、京都が大火に見舞われた際、霰が降って猛火がたちまちに消えました。そのとき一寸二分(約3.6センチ)ほどの天神像が降りてきたのでお祀りしたのが霰天神山の由来です。

 永正年間の火事が何年のことで季節はいつだったのか、ネットで調べてもちゃんとした答えが出てこないのですが、祇園祭山鉾連合会の霰天神山のページには「時ならぬ霰が降り」とあるので季節に関してはどうやら、普段は霰なんぞ降らない頃に降ったとみられる。

 NHK放送文化研究所のサイトによれば、「霰」も「雹」も、空から降ってくる氷の粒で成因も同。気象観測では直径が5ミリ以上のものが「雹」で5ミリ未満のものが「霰」なんだそうです。こんな言い方は失礼かもしれませんが、どうせ真偽不確かな言い伝えなら霰より大きな雹にしとけばよかったのに。でも雹天神山はなんとなく語呂が悪い。語呂も考慮したうえで霰に落ち着いたのかもしれない。

 ところで季節はというと、雹は、初夏のころ(5~6月)に雷雨を伴って降ることが多く、発生のメカニズムはというと、積乱雲の上部で小さな氷の結晶が雪に成長し、これに、0℃以下になっても水の粒のままの過冷却した小さな水滴が付いて氷あられ(小粒のひょう)になる。そのあられが過冷却水滴の集まっているところに落下する。このとき、強い上昇気流のために落下できないでいると、次々と過冷却水滴が衝突してあられが大きくなる。これを繰り返すうちに氷あられは大きな塊になり地上に落ちるというわけらしい。

 霰はというと、大きさが違うだけで、作られ方は同じですが、気象学の世界では氷霰と雪霰に区別されるそうです。氷霰は、一般には透明で気温が0℃以上の初冬に降りますが、夏でも降るときがあります。 

 雪霰は、一般には白色で気温が0℃以下のときに雪と一緒に降ることが多く、氷霰より粒がもろく、地面に落ちると、はね返って割れることがあるらしい。主に雹は初夏、霰は初冬に降り、俳句では雹は夏、霰は冬の季語です。
 ここまで、NHK放送文化研究所のサイトから引用しました。ありがとうございます。

 つまり、「時ならぬ霰」が降ったわけですから降ったのはどうやら冬では無いらしい。晩秋や春の初め頃でも「時ならぬ」とは表現しないでしょう。霰が降ったのは晩春から初秋にかけてくらいではないかとみられ、そうなってくると、実はこの霰は雹だったのではないか、という可能性が出てきます。ちょうど今くらいの時期にちょっと小さめの雹が降り、火を止めたのかもしれません。

 永正年間の夏がどのくらい暑かったか、わかりませんが、京都の夏の酷さは昔からさほど変わるまい。そうだとするならば、ただでさえ酷い暑さの京都の夏に大火事が起こっていたところ、小粒の雹が舞い落ちてきたわけですから、これは人々にとって大変な喜びであり、神様の思し召しであると考えた人がいたとしても不思議ではありません。当時、菅原道真公は既に天神様として親しまれておりました。この雹は天神様が降らせたもうたものじゃ。
 よく見てみろ、この雹の結晶はどこか道真公が破顔しているようにも見えるではないか、そうじゃ、やはり道真公が我々を救ってくださったのじゃ。という喜びが後年、「天神像が降ってきた」という伝説に昇華したのではないか。

 そんなことを考えてみると、実際にどうだったのか、検証したくなりますね。これこそが学びである。そういえば道真公は学問の神様でもあるのでした。

 それにしても、日差しのすごさたるや。もはや晴天を「いい天気」とは言い難くなってきました。傘は元来、日傘として使うのが正解なのではないかと思う。火除けも大事ですけど、いま欲しいのは日除けです。

霰天神山と今朝の空
某サイトのスクショ。
霰の字を間違えている。


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