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広いネットの世界なら少しくらいは

計算社会学者の鳥海不二夫さんが今日の朝日新聞の政治とSNSに関する記事のなかで「ネット上では多数派の声のように見える現象でも、それはごく少数者の発信による場合があり、現実の反映とは限らない」と書いていました。

ここ数年、選挙のたびに感じることをうまく言葉にしてくださっています。

『文學界』12月号の九段理江さんの小説「Schoolgirl」で14歳の少女がYouTubeで似たようなことを発信していました。

「コメントをくださったり応援をしてくださる人たちっていうのはたぶん、もともとそれなりに環境問題や社会問題に関心があって、その上でこのチャンネルを見ているパターンが多いんじゃないかと分析してて、でもそれじゃあただのエコーチェンバーになりかねませんよね?」

少女はこんなことを話します。ネットには確かにそういうところがあって、共感が共感を呼びやすい反面、違う考え方の持ち主に自分の考え方を届かせることさえできにくいものなのかもしれません。

忌野清志郎が「反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。」なんてことを言っていたらしいですが、こういうことが非常に起きにくいのがネットの世界なのではないかしら。

私なんかは忌野清志郎のようなロック魂を何一つ持ち合わせておりませんし、普段あまり自分の考えに共感してもらえない悲しみをネットにぶっつけておりますから、広いネット世界なら少しくらい共感してくれる人、いるんじゃないかな〜と思って書いています。そういう人がいてもいいんじゃないかしら。

そういえば先日、日本シリーズでヤクルトの青木がデッドボールの判定を自己申告で「当たってません、ファウルです」と訂正した、そのフェアプレー精神が素晴らしい!ということをある人に話してみたところ、「え?どうして自分のチームに不利になることをわざわざするんですか?」と返されて、ああ、やっぱり私に共感してくれる人って現実世界にあまりいないんだなと思ったものです。

だからといってネットの世界で共感の嵐!といかないところが悲しいところ。ぴえん。雷電ぴえん月光。

#令和3年11月27日  #コラム #エッセイ #日記
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