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魔法の言葉 僕、言いましたよね

「僕、言いましたよね」
「ぼくいいましたよね」
わずか9文字のなかにいろんな意味が込められています。本当に「僕」が言ったかどうかは問題ではありません。その主張を言われたことになっている側よりも早くしたことが重要なのです。

「僕、言いましたよね」と言った人を、腹が立つから原さんということにしましょう。もちろん腹が立つ読売巨人軍の原監督から頂戴したものです。この原さんに言われた側の人は涌井さんにしておきます。原さんは渡辺さんから仕事をもらっており、その仕事を涌井さんに発注しています。涌井さんに仕事を振る際、渡辺さんから何でもいいです、例えば何かの原稿を書くお仕事で「ピザのことはピッツァと表記してください」と言われていたとしましょう。原さんはその旨をメールの最後のほうに一言書き添えていました。普段、原さん以外からもいろいろと仕事の依頼がある涌井さんは、なるべく注意をしてメールを読むようにしていますが、人間だもの。たまに(かどうかはわかりませんが)読み落としがあり、今回もどうやら読み落としていたようで、「ピザ」と表記してしまっている原稿を作っておりました。

渡辺さんはクライアントのピッツァのデリバリー店の社長様、原さんはその仕事を担当する代理店の方、涌井さんはラジオ番組のディレクターです。ピッツァをピザと書いた原稿を番組DJの鞠小路さんに渡し、収録にのぞみます。初回の収録は渡辺社長も代理店の原氏も立ち会っております。いざ収録。

「じゃあ鞠小路さん、まず読み合わせしましょか」「はい、わかりました。読みますね。
石窯ピザの専門店なべつねからのお知らせです」

ここで渡辺社長がすかさず「うちはピッツァでやらしてもらってますねん」と発するのですが、「やらして」くらいのところで間、髪を入れずに原氏が割り込んで一言「僕、言いましたよね」

いやぁ、素晴らしい切れ味。その鋭さたるや。それは涌井に向けての発言なのですが、背後にいる渡辺社長に聞かせるための一言でもあるのです。「渡辺社長様、私はあなたのおっしゃられるようにピザのことはピッツァと言いなさいとこのクズディレクターに指示していたはずなのにまっことクズ中のクズ男なのでどれだけ言い聞かせても言う通りにしやがらんどうしようもない男なんですわ、今からきっつーく言い聞かせますさかいちょっと待っといてくらはいね、おい、このくずディレクターのアホ涌井、おまえはワシがピザはピッツァやでと念押ししといたんをなんで念押ししたんかもわからんほんまに仕事のできんクズ中のクズやな、ピザはピッツァと言うてくださいと僕、言いましたよね」
表に出てくるのは最後の9文字だけですが、これぞまさに氷山の一角でして、見えないところには、兎に角「社長さん社長さん、わしは悪ないんでっせ、これまでのあんさんとわしとの関係でそないな初歩的な間違いをわしがおかすはずがおまへんがな。全部こいつが悪いんですわ。わしは悪ぅおまへん。聡明な社長ならおわかりでっしゃろ?そうでっしゃろ?悪いのはこのクズの涌井でわしに責任は何一つおまへんのやで」という、責任を回避し、全てを涌井になすりつけるという非常に熱い熱い思いが詰まっているのです。

これはフィクションですから、実際に私はこうしたことを経験したことはないのですが、きっと会社員として生きながらえ出世していくには「いかに責任を取らないか」が大切なんだろうな、ということを思うことは現実に多々あるのです。私は同じ場面で原さんの立場であれば、例え100%涌井さんに「ピザはピッツァです」と伝えていたとしても「あー、ひょっとして言ってなかったかもしれませんね。申し訳ないです!渡辺さんのところはピザじゃなくてピッツァなんですよ。」くらいのフォローをしてやりたいし、それが許される関係を渡辺さんとも築き上げていたい。渡辺社長の立場であるなら、ディレクターがピザと書いてしまうのはまだ自社の知名度が足りないからだと反省したいし、「僕、言いましたよね」とほざく原氏のことをこそ糾弾したいわけですが、これもきっと私がこの物語における涌井の役にしかなったことがないから悠長なことを言えているのであり、原氏の立場に実際なってみれば、涌井に原氏以上に厳しくあたるかもしれないし、渡辺社長の身に実際なってみたら、自社の製品のことをよくわかっとらん涌井のことを射殺したうえで原氏のことも市中引き回しの刑に処するかもしれません。社長にそこまでできる権限があるかはわかりませんけど。

つまり、こういうことを突き詰めて考えていくと、人には人の立場があって、私には私の立場があって、誰が一番かわいいのかといえば、誰しも私が一番かわいいのであるから、責任を転嫁して回避しようと動くのも致し方ないのかもしれませんが、やはり、それでも、長期的俯瞰的に眺めてみると、私は大事なところで「僕、言いましたよね」を使う奴のことは信用してはならないし、程度が知れてると思うし、多分この人、出世しないのはそういうところなんやで、って思うんですよね。

ちなみに大事なことを最後に書いておかねばなりませんが、なんやかんや言いまして、この件の場合、いちばん悪いのはやっぱり「ピッツァ」とちゃんと書かなかった涌井であることは間違いありません。

#令和3年6月26日  #コラム #エッセイ
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