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エッセイ『普通とは』

 「普通」って何なんだろうと思うことがあります。私がよく利用する阪急電車の「普通」は「各駅停車」のことなのですが、そもそも果たして「各駅停車」は「普通」なんでしょうか。気分としては阪急では「特急」あたりが「普通」なのではないかと思います。昔はもう少し停車駅の多い「急行」っていうのがあって、そっちのほうがより「普通」っぽかった。今ある「準急」は高槻市駅まで「各駅停車」なのでどう転んでも「普通」ではない。
 
 「普通」には「デフォルト」とか「本来あるべき形」とか、そんなニュアンスもあるのでしょう。阪急電車の「普通」の場合、「この電車が本来停車すべき全ての駅に停車する」という意味なら「普通」であるといえます。それなら間違いではありませんが、その「本来あるべき形」が既に「普通」じゃない場合もあります。

 新幹線の座席の角度は、デフォルトが直角すぎやしませんかね。体感では直角よりもさらに内に傾いてる気がします。断崖絶壁です。初期設定をあんなに直角にしておきながら、後ろの席の人に「すみません、倒してもいいですか」と確認する必要が果たして本当にあるのでしょうか。もう少し後部座席側へ倒してある状態をデフォルトにしておけば、わざわざ後ろの人に幾分申し訳なさを演出しながら、倒してよいかを確認しなくてもいいのに。ひょっとして、あれは旅の最中、見知らぬ人との会話のきっかけを我々に提供しているのでしょうか。

 こうやって考えていきますと、世の中にある「普通」とされているものの「普通さ加減」というのが如何にいいかげんなものであるか、がわかってきます。それらについて、いちいち「おかしい」と声を上げれば周りから確実に煙たがられてしまいますが、しかし、もしも、その「普通」によって何かしらの実害を被っているのであれば、そのことについて、しっかり声を上げていく姿勢もまた、「普通」であるべきだと思うのです。

蠱惑暇(こわくいとま)

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