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映画鑑賞の記録 『怪物』

私がここで書かなくとも各所にレビューが書いてあるので、そうなると私なんぞの書いたものになんの価値も無い気がするのだが、せっかく観たんだから書くことは書いておく。

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したような作品が面白くないはずがなかろうよ。そりゃあ、なかには是枝裕和監督の映画は苦手やねん、とか、辛気臭そうやさかいわしはよろしいわ、とか、そういう人もいるでしょうけど、そういう好みを抜きにしたら面白くないわけがないやろ。

物語の内容については各所に書いてあるからもはや私がここに書く必要もないだろうと思うので、観て感じたことを記しておく。

最近、私は俳句を始めた。四月に初めて句会に参加して先月も同じ句会に参加。勢いで調子に乗って角川俳句賞に応募までしてやった。遅ればせながら青春を謳歌している気でいるのだが、その習いたての俳句について、俳句の先生が「季語の説明をしてはいけない」とおっしゃっていました。季語はそこにあるだけでもう意味を包含しているのであり、それをさらに説明するのは「余計」なんである。これは初心者の陥りがちなミスであるとともに初心者としては「そやけどそこに説明を入れたいんやけどな」という思いもあったりする。なんとなく私はこの「説明してはいけない」というルールを咀嚼しきれずにいたんですけど、『怪物』を観終わって「あ、これが説明しないということか」と腑に落ちた。

俳句も映画もその辺は同じらしい。いや、知らないけれどもそうなんじゃないかと思った。説明くさい描写がほとんどなくて、鑑賞する我々に委ねられている部分がすごく大きくて、この作品は俳句の句会と同じで、観た者同士で解釈をああでもないこうでもないと語らいあって完成するんじゃないかと思う。思えば俳句に限らず映画に限らず、エンターテイメントとかアートとかいうものは、そういうものなんじゃないかという気がした。

あと、私はTOHOシネマズ二条で観たんですが、本編はじまるまでにいろんな映画の予告動画が流れるんです。そこで、タイトルは忘れたんですけど、宮藤官九郎さんが脚本かなんかを手掛ける青春ものの映画の予告が流れており、その映画は、1秒早く生きてる男と1秒遅く生きてる女(性別はそれぞれ逆だったかもしれない)のすれ違いを描いた作品のようなんですが、『怪物』は、むしろ、1秒もずれていない世界を生きている人たちの悲劇を描いていました。わずか1秒ずれていたら生まれなかった誤解、齟齬、抜き差しならなさ。ほんの少しの「ずれ」が問題を大きくしてしまう。人間関係とはそんなものであり、そのわずかばかりの「ずれ」が怪物を生み出してしまう。それが人間なのだ。

映画のフライヤーなどには「怪物だーれだ」と書いてあるんですが、怪物なんて一人もおらん、みんな人間やった。悲しいくらいに。その悲しさゆえ、私は泣いてしまった。たまらん映画でした。

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