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レノンが流れるロックカフェ

7月5日が何の日か、調べたわけではないのですが、ネットを見ておりましたら、たまたま「1986年7月5日にKUWATA BANDのスキップ・ビートとMERRY X'MAS IN SUMMERがリリースされた」と知りまして、ネットというのは実に欲しい情報が回ってきやすい世界であるなと感じました。回ってきすぎなのでイラッとするのは曹操が楊修のことを快く思っていなかったあの感じに似ているのでしょうね。「ちょっと気に入らない」と思っているくらいのほうがネットとのお付き合いは健全になるような気がする。

桑田佳祐とかサザンとかって、「好きです」というと「はいはいはいはい、音楽のこと、あんまり詳しくないんですね」っていう反応をされることが多い。いまは少なくなりましたけど、それでもやっぱり、雰囲気出してくる人はいます。「あ〜、あなたの音楽的沸点はその程度なんだね」っていう、そこはかとなく人をコバカにした感じを何故だか醸し出されるわけです。まず多いのは「洋楽を聴かないからあんな洋楽もどきが好きになれちゃうんだね」っていうタイプ。次に「ああ、そういう大衆音楽興味ないんで」っていうタイプ。さらには逆に「ずっと一線で活躍してるから懐かしさが感じられない」みたいな声もあったりする。意外に思われる人もいるかもしれませんが、サザン好きは割とそういう外野の声に耐えながらファンを続けていたりするのです。

圧倒的に多いのは洋楽好きにしろ、パンクやらアンビエントやら何にせよ大衆音楽とはかけ離れたジャンルの音楽を好む皆さんにしろ、「その程度の音楽で熱くなれちゃうのね」的なマウントの取り方なのであります。これは絶対に被害妄想ではないと思います。
自分の聴いている音楽は高尚であなたの聴いている音楽はそれに比べてたいしたことがないという位置付け?逆に何歌ってるかわからなくて拍子もおかしくて曲短くて叫んでしてるようなバンドの人たちは、自分の好きな音楽を卑下するかのように見せかけて「まぁ、私たちのやってることって所詮、クソみたいなもんですから一般の人にはわかってもらえなくていいんですよ」っていう姿勢を取ることによって逆に大衆音楽を好む人たちのことを嘲笑ったりしています。

いずれにせよ、いつもバカにされるのはこっち側なんですよね。サザンファンはけっこう、そういう嘲笑の的になっていることに対するパンク精神みたいなものがある気はします。たまに政治的な歌詞の曲を桑田佳祐が歌って我々は「おっ!やるねぇ」なんて思ったりしていても、聞いちゃいないのに「清志郎のほうが本気やった」「桑田は言葉遊びしてるだけ」とか言ってくるし、「マンピーとかおもいきったよなー」なんて微笑んでいても「アングラにはもっとやばい表現がいくらでもある」とか意見されたり。基本的に一段下に見てくる人のなんと多いことか。

どうしてみんな、ああして偉そうなんでしょうか。自分のほうが高いところにいる!とか、逆に地下深くで息してる私たちの音楽性ってやばみ。みたいな。別にどっちが上とか下とか無いわけでね。百貨店の1階で買い物してる人のことを「1階で満足してるんだ〜」とか「地下にいる私たちの感性にあなたたちは付いてこれないんよね〜哀れね〜」とか言われても、別にこっちは1階で必要な買い物をしているだけなわけでしてね。別に地下にも上の階にも必要とあらば出向いて買い物するわけでしてね。なんで1階にいることをフロアが違うだけでカッコ悪いみたいに言うてくるんかが心底わからん。

っていう感情を少なからず抱きながらサザンオールスターズ や桑田佳祐を応援している人はけっこういると思うんですよね。知らんけど。

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