エッセイ『ところでゴリラは見ましたか』
ザ・イエローモンキーに「見てないようで見てる」という曲がありますが、逆に見ているつもりで見えていないこともあります。
昨日の毎日新聞2面のコラム「火論」に大治朋子さんが書いていました。アメリカで1999年に発表された「選択的注意」なる実験では、黒色と白色のシャツを着た人々がボールをパスし合う動画を作り、被験者に「白いシャツの人は何回パスをするでしょうか?」と質問したうえで、その動画を見せます。もちろん被験者は「白いシャツの人が何回パスをするか?」を注意して動画を見るわけです。そうして動画を見終えた被験者に質問をします。
「ところでゴリラは見ましたか?」
この動画では、途中、ふつーーーにゴリラが画面を横切るんです。ところが、被験者は「白いシャツの人が何回パスをするか」に気を取られているため、多くの人がゴリラの存在に気づかないんだそうです。
この実験については、今井むつみさんの『英語独習法』という本でも紹介されていました。あるものに集中していると、周りで何が起こっているか、というのは、びっくりするくらい見えないものなのです。
「ゲームしないで歩くだけとか、人生の時間の無駄遣いだと思う」とか、「自分の歩いている速度が分からない人など、無能な人は歩きスマホをやめた方がいいと思う。ちゃんとコントロールできるのであれば、いいのではないか」などと持論を展開していた知識人枠のおじさんもこの実験に参加したらゴリラが見えないかもしれません。まぁ、見えるかもしれないけど。
仮にご本人は見えたとしても、多くの人が見えないんですから、やっぱり歩きスマホはやめたほうがいいと思うんですけど、「多くの人ってどのくらいなんですか」とか、「ゴリラが見えなくても歩きスマホとは関係ないですよね」とか、「それってあなたの感想ですよね」とか、言われるんでしょうね。
あの人の関わる議論は発展性がなく不毛です。あれこそ、本当に必要のない無駄だと思う。立場の強い人が暇を持て余して立場の弱い人に対して自分が面白いと思ってる全く面白くない話を聞かせてる時間と同じくらい無駄だと思う。白いシャツの人が何回パスをするかに集中していたら、あのしょーもない話も聞かずにいられるだろうか。
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