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猫の短編小説『猫語翻訳飴』

「な、な、なんやて?いきなりどういうことやねん?何を言い出すねん?」
 
私の話す声を聞いて、竜也くんは明らかに狼狽していました。飼い猫が言葉を発したことへの驚きというよりも、何を言っているのかよくわからないことへの戸惑いのようでした。竜也くんは私を飼っているご主人の息子です。実質、私の面倒をみてくれているのは竜也くんですが、経済面を考慮すれば、私を飼ってくださっているのは竜也くんのお父さんです。
 
「おい、ホルス。せっかく喋れるようになったんやから、わしにもわかる言葉を喋ってくれや」
 
ホルスというのは私の名前です。エジプト神話における天空の神様のことではなく、乳牛のホルスタインのような柄だからホルスなんだそうです。竜也くんのお家でお世話してくれるようになってもう随分経ちます。長くお世話になるつもりもなかったので、飼ってもらえるようになってから何日経ったとか、そういうことはよく覚えていません。
竜也くんとはずっと、言葉を介さないコミュニケーションを続けていて、私はそれに不自由を感じていなかったのですが、竜也くんは私と喋りたくてしかたなかったようで、つい先ほど、駅前の駄菓子屋さんで「猫語翻訳飴」というものを買ってきて、さっそく私にそれを舐めさせたのです。
 
「もう何回おやつ我慢したかわからんのやで。この飴買うために耐えに耐えたのに、なんでよ~わからんことばっかり喋るねん。なんか、わしにわかること言うてくれや」
 
竜也くんは泣きそうになりながら私を見つめています。
竜也くんのそんな顔は見たくないから、私もなんとか喋りたいと思うのですが、いざ喋るとなると
「私は・・私は・・私は・・」なかなか次の言葉が出てこないのです。
 
去年、大阪万博が開かれて以来、人々が科学の分野に興味を持つようになり、よくわからない「新しい発明品」が町中で売られるようになりました。玉石混淆というそうなんですが、瞬間移動できるベルトとか、透明人間になれるぶら下がり機とか、紛い物が世に出回るなか、竜也くんが駄菓子屋で見つけた「猫語翻訳飴」は、実際に私が舐めてみたところ、どうやら私は人間の使う言葉を話せるようにはなっているみたいです。
 
「なんや、ホルス。おまえも泣きそうな顔になってるやないか。泣きたいんはこっちのほうやで。せっかく喋れてるのになんやねん、さっきから。意味わかって言うてんのか?」
 
そんなこと言われましても竜也くん、私だってこんなこと初めてのことですから、どうやって普段私が猫として発している「猫語」と言っていいのかもよくわからないものを、竜也くんに伝わるようにすればいいのかわからずにいるなかで、ようやく「私は、私は、私は」とだけ口にできているのです。
 
「頼むさかい、そんな縁起の悪いことばっかり言わんと、なんか別のことも言うてくれよ。あ、せや、ホルス。この飴ちゃん、どや?美味いけ?」
 
竜也くんは飴にだけ「ちゃん」を付けます。竜也くんのお父さんも、竜也くんの友達の涼介くんも佳和くんも、竜也くんの友達はみんな飴にだけ「ちゃん」を付けます。竜也くんのお母さんが「飴ちゃん」と言っているのは聞いたことがありません。竜也くんが舐めさせてくれた「猫語翻訳飴」は、はっきり言って、本当に美味しかったです。どうやら「甘い」と言うらしいのですが、それは初めての味わいで、コロコロと舌で転がすたびに味わいが舌にしみこんできて、しみこんだ分、飴ちゃんは小さくなっていき、もうこれ以上小さくはならないというくらいに小さくなったかと思ったら、私の舌の上から溶けて消えてしまったのです。いまも残る余韻を味わいながら、私は気づけば「美味しい!」と叫んでいました。
 
「びっくりした~!なんやねん、急に大声出しやがって。ほんでまた意味わからへんし。飴ちゃんは一個二個て数えるねん。数え方は一本二本やないし、千個もないで」
 
う~ん。どうも噛み合わないですね。私の発する言葉は竜也くんに伝わってはいるみたいですが、通じてはいないようです。でも、せっかく伝わったのですから、こうなったら繰り返すしかありません。
 
「私は、美味しい!私は、美味しい!私は、美味しい!」
 
「やめやめやめ~!意味わかって言うてんのか?そんなに水の中に沈みたいんか?ほんで千本千本うるさいねん!どういうことやねん」
苛立った様子の竜也くんは「猫語翻訳飴」の入っていたパッケージを見てみました。パッケージの裏側には小さくfabriqué en France(フランス製)と書かれてありました。
 
「je suis C'est bon,je suis C'est bon,je suis C'est bon」
 
二、三日もすると、竜也くんは私と喋るのを諦めてくれました。喋らなくても楽しいね!
 
まだ翻訳技術が発展途上であった頃のお話です。


このお話を関西屈指のラジオDJによる独自すぎる朗読バラエティ「魔女ラジライブラリー」にてJovandyさん(川島郁子さん)が朗読しています!
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#令和3年7月18日  #コラム #エッセイ #日記
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