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別にたいしたことじゃない大切なこともある

 オードリーの若林さんの書いた「ネガティヴを潰すのはポジティブじゃない。没頭だ」という言葉がTwitterで回ってきて救われたような気がしました。私がネガティヴに陥ってしまうのはやっぱり何か大切にしているものを無視されたり踏み躙られたりしたときです。負の感情がカラダ全体を包み込んで中の中までどす黒くなっていくのです。

 どうして私の大切にしているものが蔑ろにされるのかといえば、おそらく私の大切にしていることを大切にしないことがその人にとって大切なことなのでしょう。私の大切にしていることなんて別にたいしたことじゃないんです。ちゃんと挨拶しましょうね、とか、締切を守りましょうね、とか、何かあったら報告してくださいね、連絡してくださいね、とか、そういうことです。「別にたいしたことじゃない」って自分で言ってるんだから別にいいじゃないか、と思われるかもしれません。それは確かにそうでしょう。しかし、たいしたことじゃないから大切にしなくていいという理屈はちょっとおかしい。普段、たいしたことないと思っていることほど、なくなってしまうと困るのです。当たり前のようにできているから「たいしたことない」と思うわけであり、それは無くなってしまうとけっこう大ごとなんです。大袈裟なことを言うと「民主主義」とか「戦争のない社会」とかと同じことだと思います。たいしたことないと思えてこそ、真の平和なのだと思います。私の大切にしている「別にたいしたことないこと」もそういうことです。みんなちゃんとしているからこそ、たいしたことないと言えるんです。ちゃんとしてない人が「別にたいしたことない」と言ってしまったらいけないんです。

 私がたいしたことじゃないと言っている「挨拶をする」「締切を守る」「報告する」「連絡する」といったあれやこれやについて、できてない人が「別にたいしたことじゃない」と言うのはプーチンが叫ぶ「戦争のない社会」と同じなんです。飛躍しすぎですかね。しかし、できている人が「別にたいしたことじゃない」と言うのと、できていない人が「別にたいしたことじゃない」と言うのとでは、まったく意味が変わってくるということは、この飛躍しすぎた例によっておわかりいただけることと思います。

 ちょっとした負の感情について誰かに話したときに「そんなの別に気にしなくていいですよ」と言われるのも何か違う気がします。あなたにとって気にしなくていい案件なのだとしても私にとっては気になるから話を聞いてもらっているのにそれに対する答えが「気にしなくていい」なんて絶対におかしい。「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」と同じくらい絶対におかしい。

 ああ、書いててちょっとすっきりしました。きっと書くことに没頭したからだと思います。没頭って大切。別にたいしたことじゃないけど。

#令和4年3月14日  #コラム #日記 #エッセイ
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