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短編小説『Round&Round』

 パプリカの1番を歌い終えたらちょうど1分くらいだというので、手洗いの際は常にパプリカを1番まで歌っていますが、急いでいるときは早口で歌うのでたぶん10秒も洗っていないと思います。パプリカを聞いたら洗面所を思い浮かべてしまうようになりました。これを私はパプリカの犬と呼んで一人ほほ笑んでおります。
 近頃は赤色や黄色の鮮やかなパプリカを見るだけでどういうわけか、手を洗いたくて仕方なくなり、洗面所へ駆け込むことが多くなりました。なるべくパプリカは買わないようにしています。形は同じでもピーマンでは見ても手を洗いたくならないのが不思議です。
 年を重ねるにつれ、トイレが近くなりまして、最近はずっとパプリカを歌い続けていたら一日が終わってしまいます。昔からトイレは近すぎるほど近く、エボシラインは遠く遠く離れゆくのにトイレは近く近く近づいてくる次第でございまして、気分的にはスマートフォンよりも近くにあるような感じです。昔、いつだったか、コロナ前だったとは思うんですが、円山公園に花見へ行きましたら、ビールを飲みますから自然、トイレが近くなるわけですが、物理的にはトイレが遠かったものですから、もよおすよりも早めにトイレへ向かわないと、トイレの前には花見客が並んでおりますので、ゆっくりしていたら間に合わないもので、結局、一度もよおしてからは一度も着席することなくブルーシートの手前と遠く遠く離れたところにあるトイレを缶ビール片手に往復するに終始したこともありました。
 それほどまでにトイレが近いものですから、今は自宅で晩酌しておりましても、一度尿意が襲ってきましたらトイレへ駆け込み、お小水を垂れ流し、我が家では洋式便器に座して用を足すことになっておりますので、これは男性にしかわからない感覚かもしれませんが、座って用を足すと最後の一滴まで出切らないがため、自然、次の尿意がやってくるのが早くなり、その波の往来ときたらコロナのそれと比するまでもなく、寄せては返す次第でして、パプリカを歌いながら1分も手を洗っていたら私は一生トイレから外出できないのではないか、という恐怖にかられているコロナ禍でございます。
 それなら酒など飲まないでおけばいい、というのは、確かに常識人のまっとうな意見だとは思いますが、飲めばすぐに尿と化すため、私はいくら飲んでも酔っ払うことがなく、つまり、それは飲んでいないのと変わらないのでありますから、手洗いに忙しいなかでも、どうにか時間を見つけて酒を飲む。これは言ってみましたら、精神を清潔にするための新しいルーティンといえるのではないかと、これは今、洋式便器に座して書いておる次第でございます。

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