ようこそここへ遊ぼうよパラダイス
涌井慎です。趣味はお寺で自撮りすることです。私の知り合いには、あだ名が親しまれすぎて本名が知られていない人が何人かいます。大学生時代からの友人の一人は、高校生の頃に世界史か何かの先生に「君はASEANぽいな」と言われたため、そこから「ASEAN」と呼ばれるようになりました。今流行りの言い方をするなら「ASEAN顔」ですね。こんなことを高校教師が言ったら今なら大問題です。おそらく当時も本来大問題だったのだと思います。彼は大学に入学してからも「ASEAN」と呼ばれ続け、今でも私は「ASEAN」と呼びますし、他のたくさんの人に「ASEAN」と呼ばれ続けています。
お寺にもそういうところが結構あります。例えば有名なところでいうと三十三間堂は蓮華王院が正式名称ですが、おそらくタクシーで「蓮華王院まで」と言っても通じません。通じたとしても「ああ、正式名称で言わんと気が済まないタイプのめんどくさい客や」と警戒されるはずです。いつまでもスマートフォンとかミスターチルドレンとか頑なに言うタイプで、ひょっとすると経世済民とか主食用パンとか、頑なに言ってそうです。生きていくのがしんどそうですね。
富小路五条下ル本塩竈町にある上徳寺も、通称の「よつぎ地蔵」のほうが親しまれているみたいです。江戸時代、子どもを亡くした清水さんという方が、再び子どもが授かれるようにと祈願し、阿弥陀様にすがり続けたところ、夢に現れたお地蔵様から「私の姿を石に刻んで祈りなさい」とお告げがあったので、さっそくお告げの通りにお地蔵様を刻み、毎日お祈りしたところ、ついに立派な世継ぎを授かったのだそうです。こう書くと「お地蔵様を石に刻んで祈る」というのが、ちょっとした夜の営みの隠喩なのではないかと思ってしまうような大人になってしまいました。
この「よつぎ地蔵」こと上徳寺があるのは先ほども書いた通り、富小路五条下ル本塩竈町。宮城県に塩竈市という地名がありますが、かつて見たその東北の地の塩竈の景色を忘れられず、この地に在った邸宅に塩竈の浦みたいなお庭を作った男がいました。源融という方で、紫式部の著したあの源氏物語の主人公・光源氏のモデルとされています。そのお庭ときたら、この世に突如現れた楽園のような趣きであり、源融は来客に挨拶する際、「ようこそここへ遊ぼうよパラダイス」と言っていたといわれています。
当時はまだ日本に「パラダイス」という言葉は無かったと思われるので、半分は脚色だと思いますが、似たようなことは言っていたはずです。
本塩竈町という町名には、このように源氏物語にも繋がる由来があるのです。上徳寺も正式には「塩竈山上徳寺」というお寺です。毎年2月8日は世継ぎ地蔵の功徳が一年で最も大きな功徳日でなんとご利益一億倍!この日は境内が賑わうそうですが普段は閑散としています。門に掲げられた表札の苗字に驚きます。
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