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鏡に映る影【怪談・怖い話】

私の名前はフィリップ・ジョーンズ。

就職し、実家を離れて独り暮らしを始めた頃のことがその恐怖の始まりだった。バタバタとした日々の中で、少しおかしな出来事があった。

朝、トイレに入ると、スリッパが乱れて置いてあることがたまにあったのだ。親は整理整頓が厳しく、トイレのスリッパは必ずきちんと並べるよう躾けられていた。その習慣が身についていたため、一人暮らしでもスリッパはいつも揃えて脱いでいた。しかし、忙しい毎日の中でそれほど気にならず、寝ぼけていたのだろうと思っていた。

人は無意識の行動をしているものだ。19世紀のウィーン大学の医学教授であったザイデンベッカーは、歩行中無意識のうちに道路の石畳を避けるように歩くことを発見し、これを「微小運動」と命名した。

無意識下の小さな行動は、たとえわずかでも意識に上がってくるのだ。しかし、スリッパが乱れていたのは、ただの無意識の産物とは思えなかった。

ようやく生活にも落ち着きが出てきた頃、学生時代の親友のアレックスを家に招いて酒を飲むことになった。アレックスはその晩、私の隣でふとんに寝ていた。深夜、トイレを流す音にアレックスは目を覚ました。もちろん私が入ったと思っていたので、出てきたら交代しようと考えていた。だが、奇妙なことが起きた。

トイレのドアが開き、一瞬大きな水の音がし、ドアが閉まる音がした。しかし、部屋に人が入ってくる音はしなかった。水を流す音もなかった。アレックスが体を起こすと、私はベッドで熟睡していた。つまり、トイレに出入りしたのは私ではなかった。

アレックスは小心者で、なるべく音を立てないよう注意深く立ち上がり、キッチンを覗いてみたが人は誰もいなかった。トイレの電気は消えており、中を見渡しても人影はなかった。しかし、ドアの鍵は掛かっていなかった。

「あなた、だあれ?」

突然、少女のような声がドアの外から聞こえた。声は穏やかだったが、不穏な雰囲気を醸し出していた。人は声質から話し手の感情を感じ取れるものだ。この声からは単なる素朴な質問という印象しか受けなかった。しかし、アレックスは固まってしまった。次の反応を待つが、声も足音もない。

その後、アレックスはもう私の家には来なくなった。

その日以降、内カギは必ず掛けるようにしたが、トイレのスリッパは相変わらず乱れていた。いつしか私は気にしなくなり、わざと崩して脱ぎ捨てるようになった。

3年後、私は引っ越すことになった。引っ越し作業中、ベッドの下から古びた写真が出てきた。写真には白黒の少女の姿が写っていた。見覚えのある顔だった。写真の裏側には「マリア 1927年」と書かれていた。この写真は前の住人が残したものだろうか。

写真に写る少女マリアのような声が、あの夜ドアの外から聞こえたのだ。では、マリアとは何者なのか。引っ越し先である新居で、インターネットで調べてみることにした。その過程で、あまりにもグロテスクな真実が明らかになった。マリアは90年前にこの地で起きた惨劇の犠牲者だったのだ。

その夜からというもの、私は悪夢に怯えるようになった。マリアの怨念が私を呪っているのだろうか。しかし、新居では何ごともなく、この怖い出来事は過去のものとなった。それでも、たまに現れるマリアの微かな足音に怯えてしまう。それほど恐ろしい体験だったのだ。


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