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あるのはいつも、そこにラブだけ

 思えば物心がついた頃からずっと、二次創作小説を書いている。誰かに読まれることもあれば全く読まれないこともあるけれど、そんなことはお構いなしに書いている。

 理由は単純で、書くと自分が「癒やされるから」。

 プラトニックなものもポルノも書く。幅広い作風で書く、と言いたいところだが、書けるものと好きなものの範囲が極端に狭いので、人様から見たらどれも同じにしか見えないような話をずうっと書いている。飽きもせずに書いている。

 二次創作とはつまり既存のキャラクターを用いた創作のため、作者や版元などに禁止されたらやめざるを得ないが、空想の世界は基本的に自由だ。原作では死んでしまったキャラクターを生き返らせることも、不幸に苦しんでいたキャラクターを幸せにすることもできる。別の時代に生まれていたら?異なる性別に生まれていたら?といったことに思いを巡らせることもできる。

 感情移入して見守っていたキャラクターの死は辛い。しばらくその事実にじっと向き合って、悲しみを噛みしめる。噛み締めて噛み締めて、その痛みが自分の中に十分に沁み渡った頃、彼や彼女が死ななかった世界のことを想像する。あるいは生まれ変わった姿を想像する。その頭の中だけにある空想を、ぽつりぽつりと文字にすることで形にする。書くために、もっと濃密にその姿を、言動を、背景を想像する。書いている瞬間も、頭の中で思い巡らせているだけの瞬間も、すでに幸せな時間になっていることに気が付く。だんだんと心が癒やされていることが分かる。

 「二次創作は弔い」と言った友人がいる。長い時間をかけて頭の中で様々な可能性に思いを巡らせ、一字一字書き進めていくことは確かに弔いに近い感覚がある。自分の心が癒やしに向かっていくために、必要な作業をしているという実感がある。

 けれど、二次創作は悲しみからの脱却や弔いだけを意味しない。ただただ幸福な二次創作もある。

 好きなキャラクターと好きなキャラクターが幸せに暮らしている姿を想像すると、思わず顔がほころんでしまう。これはきっと私だけに限った話ではなく、多くの人に共感してもらえることだろう。

 心の中に二人の人物を住まわせて、彼らや彼女らが時には衝突し、時には手を取り合って暮らしている様を思い描く。思い描いたものを、忘れてしまわないように文章として頭や心の外に取り出す。あまりにも辛いことの多い現実の中、それでも私が想像し書くことで、大好きな二人を幸せにできるという実感は計り知れないほど私を癒やし、同時に勇気づけてもくれる。

 現実の問題には現実的な対処が必要だ。生きづらい世の中を変えるために、SNSで声をあげ、署名をし、デモに行き、投票をし、しかるべきところにご意見を送る。対話をし、連帯の輪を広げる。できることをやる。それしかないことは分かっている。

 ただ、そんな現実を戦い、生き延びていくために、愛しいキャラクターたちを胸のうちに住まわせ、幸せにし、更にそれを書き綴ることで私は私のためのエネルギーを生み出している。どちらだけでも足りない。どちらも必要なのだ。

 誰かに読まれるためでもなく、私は私が癒やされ前進するエネルギーを得るためだけに、今日も書いている。そこにはいつも、「愛」だけがある。

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