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エビデンスにもできないことがある

こんにちは。理学療法士のこうやうです。

今回も独り言です。

私は

Medical Emergence Groupの影響を

多分に受けて臨床に取り組んでいるのですが

そこで圧倒的に認識させられたのは

人間が複雑系である

ということです。


これは理論ではなく

原理原則だと思うのですが

なかなか浸透させるのが難しい概念も思っています。

その一つに

エビデンス

というものが確立されていることが

影響を受けていると考えています。

さまざまな情報の中でも

研究されており、信頼が最も高いものが

みんなの思い浮かべてる

エビデンスのイメージだとは思うのですが

実際その通りではないのでしょうか。

厳密にいうと、専門外の意見も

エビデンスに含まれるので

すべてがそういうわけではないのですが

ここでは無視していきましょう。


結論というか、私の意見ではあるのですが

このエビデンスですら

人間の複雑性の考慮するのが難しい

と考えています。


例えば

スクワットをしたら腰痛は改善する

という旨の研究があった場合

「腰痛の人にはスクワットをさせたらいい!」

という単純な結論に至ることは非常に難しいです。

スクワットの足幅の定義、膝の角度、

実施した時のキューイング、期間など

さまざまな定義が明確になってないと

実用には難しいです。

じゃあ定義をちゃんとしていればいいのか

というとそうでもありません。

被験者の運動経験、トラウマ、

スクワットへのイメージ、筋トレのイメージなど

数値で表せない要素があまりにも

多すぎるのです。


ちょっと強めにいうと

スクワットで腰痛が良くなったことは実はたまたまかもしれない

可能性は十分なほどにあるのです。


ですが

その点を補っている研究手法が

システマティックレビューだと思います。

類似したデータをまとめることで

おおよその傾向が出せることには

大いに価値がある思います。


ただそこまでしても

エビデンスにはできないことがあります。

それは

ヒトの多様性に応用することです。

皆さんが知っている通り

人には個人差というものが存在し

システマティックレビューで実証されている

エクササイズや徒手療法も

万人に効くわけではありません。

結局、どれだけ信頼のできる研究でも

やって見なきゃ何もわからないのです。


つまり

私がエビデンスにはできないと思っているのは

個別性の尊重です。

エビデンスはわたしたちが思っているよりも

不確実かつ不安定だと思います。

複雑なものに対してシンプルな結果を求めること自体

かなり難しいことです。


ただこの個別性を尊重することが

臨床だと思うのですが

そこが研究の方向性とミスマッチしているのは

少し問題なのだとも思います。


それでも論文読めるようになったり研究できたり

することは大事なんですが。


エビデンスにできないことを理解してないと

よくある質問が

「そこにエビデンスはあるんですか?」

という質問です。

症例報告のような患者の個別性に焦点をあてたもの

に対して

統計的な事実を求めるのは非常にナンセンスに

感じます。

エビデンスは本来個々のデータを

積み上げてできていくものだから

です。

エビデンスがないからやる価値がない

という判断は本末転倒だと思います。



臨床家と研究者はなんで距離があるんだろう

と感じていたのですが

探求の方向性があまりに違うんですよね。

そりゃ意見が合わないはずです。

ただ全く違う価値観だからこそ

受け入れて共有していきたいものです。

方向性が違えど、

患者を良くする

という目的は一緒のはずなので。


本日はこれで以上です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。






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