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人間は人間の結果しか観測できない  ~剥がしブームがなぜ生まれたのか~

こんにちは。理学療法士のこうやうです。

何やら難しそうなタイトルですが

割と簡単な話なので安心してください。


理学療法士は評価をしてはじめて

治療の方向性がわかります。

ではその評価の情報源はなんでしょうか。

それは

姿勢、筋力、関節可動域、動作など

身体が作り出した結果です。

よくいわれるのが

ROM制限があるからROMex、筋力低下があるから筋トレ

といったように

結果を基に運動療法の方向性は決められないというものです。

ですから私たちセラピストは

その結果に至った過程を推測しなければいけません。

しかしここで注意しなければいけないのは

私たちは結果という事実しか観測できない点です。

理学療法士に限らず人間は

「生きている」生命の活動の中身を見ることも

その歴史も観測することができません。

どんなに根拠や矛盾のない考察をしたとしても

妄想の域を出ることはないのです。

つまり言ってしまえば

本当の意味での原因療法はほぼ不可能なのです

原因を事実として観測できないからです。

では根拠のある理学療法とは一体何なのでしょうか。

その求めるべき根拠とはなんなのでしょうか。

それはまさしく

患者さまに良好な変化がみられることに他なりません。

逆に観測できる根拠としてはこれぐらいしかありません。

学術的情報から得た根拠は

観測できるものになりうることがほぼないのです。


しかしこの良好な変化に対して

解釈をしようとするのが人間です。

良好な変化は我々に変化していること以外は教えてくれないはずですが

我々は勝手に解釈をし

だからこの構造に問題があったと

勝手に納得して経験として積んでしまうわけです。

この最たる例が

筋膜剥がし、骨膜剥がし、内臓剥がしといったような

~~~剥がしブームです。

理学療法士あるあるですが

良好な変化が出てもその原因組織がこれだったという

ミクロ的情報の解釈はあまりに飛躍しすぎています。

仮に解剖学や機能解剖学に沿っており、矛盾のない現象だとしても

体を切り開いているわけではありませんから

原因組織なんてわかりっこありません。

わかる事実は

その理学療法プログラムに効果があった

ただそれだけです。




私たち理学療法士は

良好or悪化した変化に対して

解剖学や運動学、生理学を駆使したミクロ的解釈をしたがります。

しかしながら現代の技術でそれは不可能に近いです。

知識としての記憶の定着にはいい考え方かもしれませんが。


マクロ(動作、症状など)レベルでの変化から

ミクロ(解剖学、組織学)レベルの変化を推測できることはありません。

これは人間の知性の限界です。

私たちはただミクロレベルの知識を指標にして

アプローチしているに過ぎないことを念頭に置いて

リハビリをしましょう。

我々の業界は

「~剥がしはあるのか」「遺体解剖でそんなの見たことない」

など不毛な議論があまりに多すぎます。




本日はこれで以上です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。



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