「わかりやすく伝える」の功罪
こんにちは。理学療法士のこうやうです。
今回は
わかりやすく伝える
ことについて話していきたいと思います。
一般人の方へ知識を共有したい時や
相手に内容を伝わりやすくするには
このテクニックは非常に重要です。
わかりやすく伝えられる人は
頭がいいと思われているように
「わかりやすく」というのは難しいことなんです。
しかし私の意見ではありますが
この
「わかりやすく」が科学の発展を止めている
可能性があると感じています。
なぜこのように感じているのか
理学療法士の立場から
私なりに書かせていただきますので
よろしくお願いいたします。
それでは始めます。
「わかりやすく」とはどういうことか
わかりやすく説明するとは
一体どういうことなのでしょうか。
ユーモアのある表現なども影響しているとは思いますが
私は
物事をシンプルに捉える
ということだと思います。
誰もが理解できる説明をするには
まずその複雑さを解決しなければなりません。
複雑さは難しさを生み出す原因に違いないからです。
そもそもほとんどの方は
複雑なものにはなかなか耳を傾けてくれません。
理解できないものは多くの人にとってつまらないからです。
ですから興味を引くような内容にするためにも
ある程度簡略化して考える必要があります。
実際理学療法士が興味を引くような内容も
「変形性膝関節症の治療」「機能解剖からみた〜」「肩関節の関節可動域制限の治療」
といったものであり
やはりシンプルにまとめられている内容
である場合が圧倒的に多いと思います。
このような考え方は実はかなり昔からありました。
今の科学はデカルト主義
実はこのように
複雑なものをシンプルに捉えて理解していく考え方は
100年以上前から科学で使われてきています。
この考え方はかの有名な哲学者デカルトが発祥です。
デカルトは
「自然は神が作った精妙な機械である」
というように述べました。
これはありとあらゆる生命を分解して考えていけば
生命の理解に至るのではないかという
考え方を生み出しました。
これが機械論的生命観です。
この考え方は現在あらゆる科学で
適用されており、そして間違いない発展を遂げてきています。
この「複雑なものを分解して考える」というのは
まさしく「よりわかりやすく理解する」という
行為と同等のものです。
昔から人間は
わかりやすさを求めてきた知的生物なのです。
しかし
このわかりやすさは人間故の愚かさからきているかもしれない
とも言えます。
わかりやすさは人間故の傲慢である
私見ではありますが
わかりやすく伝えることは人間故の傲慢さからきていると思います。
なぜかといえば
わかりやすくというのは
人間が理解するための方法
だからです。
例えば理学療法士は
解剖学、運動学、バイオメカニクス、生理学などの
基礎的学問から病態を紐解いて
患者の状態を解釈していきます。
しかしこの根本の基礎的学問とは何なのでしょうか。
これは
人間が人間を理解するための学問です。
これでは限られたスケールでしか
人間を理解できない。
しかしこのような事実はなかなか意識できるものではありません。
この学問ほどより人体をシンプルに捉えられる学問はないからです。
これらの学問をベースにより理学療法士たちにさまざまな情報を与えると
どうなるでしょうか。
私が危惧するのは
生命観の履き違えです。
生命は説明できない
過去の記事で何度も言っていますが
生命は複雑系です。
複雑系とは
さまざまな因子の組み合わせが起こることで
法則通りに全くいかなくなるというものです。
つまりいえば
人体に法則は当てはまらないというのが実のところです。
では現状どうでしょうか。
今理学療法を支える基礎的学問は
シンプルなものばかりであり
この複雑的な生命観を破壊せざるを得ない
ものであるといえます。
私たちは
わかりやすさを求めたが故に
複雑であることを忘れかけているように感じます。
「人体が複雑なんてそんなことは知っている」
というような声が上がるとは思いますが
ではなぜ目の前の症状や治療方法に対して
根拠の説明を求めるような風潮があるのでしょうか。
この行為は果たして生命が複雑系であることを
配慮した行為なのでしょうか。
残念ながら少なからず
日本の理学療法界隈は
この生命観を壊した科学の発展を遂げていると思います。
わかりやすさが発展を止めている可能性
このように生命は複雑であり
我々に簡単に理解できるような領域のものでありません。
だから分解して考えるわけですが
今後の科学の発展に重要なのは
複雑なものを複雑なまま理解するということです。
複雑なものをシンプルに考える
この時点で生命の本質が変容します。
本質を変えない学問の追求が
生命の理解に至るのです。
しかしわかりやすく伝えるのは患者には重要です。
複雑なものを説明すると
かえって患者が混乱して症状の悪化につながる可能性があるからです。
しかしこれは
私たち理学療法士には当てはまりません。
私たちはこの生命が複雑系であることの
生命観を壊さない理解をしていく必要があります。
わかりにくいことに文句は言ってはいけません。
本当に難しいものは説明すら難しいのです。
そしてそれこそ、わたしたちが治療させていただいている患者
すなわち生命なのです。
今の理学療法士には
この複雑さを受け入れる度量が必要です。
わかりやすさは理解の正義ではありません。
人間はどんな反応を見せるかはわからない
ということを念頭において
治療に臨んでいただきたく思います。
本日はこれで以上です。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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