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香水をつける人は非現実的で非効率的だ

香水の存在価値はなんだろう。

そもそも香水なんてものはこの世に必要なのだろうか。

ヨーロッパでは香水の文化が根付いているらしいが、ここは日本だ。

日本人のほとんどは香水が嫌いだ。

その理由は、温泉という文化にあるとかないとか。

ヨーロッパの人々は香水を自分の体臭を消すために使うらしい。(だから香水がキツいのね)

その一方で、入浴の文化が根付いている日本人は無臭を好む人種であると言われている。

もちろん日本人にも香水をつけている人はいる。

そのほとんどはモテたいからだという先入観を私はもっている。


一般的に香りには好き嫌いがある。

だから香水をつけると他人から「臭い」と思われるリスクがある。

そんなリスクというデメリットを背負い、無臭を好む人種で溢れるここ日本で、香水をつけるメリットはあるのだろうか。

いや、メリットは確かにいくつかある。人から「いい香りだね」と褒められた時の喜びはこの上ない。(完全な主観)

それ以外には自分が好きな香りを纏っていると気分が上がるとか…。

これらのメリットとデメリットを比べたときに、果たしてメリットが大きいと言えるのだろうか。

こんな問いを何度も自問自答しては答えに詰まる。(デメリットの方が大きいことを薄々感じている)


人は物事を判断するときにはメリットとデメリットを比較し、メリットが上回ると判断された場合に行動を起こす。

でも時としてデメリットの方が上回っていることを承知で行動を起こすことがある。

それは曲げることのできない信念だったり自分の軸だったり。

だから人は時として非現実的であったり、非効率的な行動をするのだと思う。


私にとっての香水とは一体なんだろう。

何故私は日常的に香水をつけるのだろうか。

それは、私にとって香水をつけることはファッションと同じくらい、もしくはそれ以上の自己表現だから。

先に述べた、ヨーロッパの人々のように自分の体臭を誤魔化すためでも、日本人のように異性にモテるためでもない。

自分自身を表現するための手段が、香りを纏うことであり、香水をつけることなのだ。

例えばこんな感じ。

デニムに白シャツというシンプルなスタイルに、柑橘系の爽やかな香りを纏った場合。それはイメージ通りの爽やか「女子」だ。

じゃあ同じデニムに白シャツというシンプルなスタイルに、渋くて深みのある個性的な香りを纏ったらどうなるか。それはセクシーでどこか裏がありそうな「女性」になる。


世の中には女の子らしい万人受けするようなモテ香水がたくさんある。(クロエのオードパルファムとかディオールのミスディオールとか)

そういうモテ香水ではなく、クルジャンのバカラルージュやウードといった個性的な香りが私は好きだ。

こういう香水の良さは好きな人にしか伝わらないことを私は知っている。

香水に興味のない人にとっては、小学生が政治の話をされるのと同じくらい退屈でどうでもいい話になる。

私は香水をつけるメリットを知っている。

それを上回るデメリットも知っている。

今日も、大好きなクルジャンのバカラルージュの香りに包まれながら、この文章を書いている。

そんな私は非現実的で非効率的な人間なのかも知れない。

でもそれでいいじゃないか。

その方が人間味があるし。


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