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平成の黒歴史を振り返る~ぼくらはどこで道を誤ったのか?~



0.はじめに

令和もすでに5年が経ち、もうすぐ6年を迎えます。時の流れはいつでも駆け抜けてゆきますね。時代は世知辛いですが、やさしさだけは忘れずに抱きしめていきましょう。
今回は平成の闇、黒歴史を振り返りながら、時代の転換期はどこにあったのか、あのときどうすべきだったのかを考えてみます。


1.ベルリンの壁とソ連の崩壊~新自由主義の台頭~

ベルリンの壁とソ連の崩壊。世界が全面核戦争になることが「とりあえず」回避され、グローバリズムで世界がひとつになっていく。今思えば、そんな期待が人々の間にあったのかもしれません。
もちろん、グローバリズムによる通信、流通の革命は驚異的な利便性を生み出しました。世界中の食べ物を食べることができ、スマホ1つで動画を楽しむことも、買い物をすることもできる。私がこうやって記事を書けるのも、インターネット通信発展の産物ですからね。

けれども他方で世界の一体化により、国内産業が海外と激しく競争しなければならなくなりました。自由貿易が進行し、それまで保護されていた産業はダメージを受けました。
肥大化した行政をスリム化し、自由な経済活動を行うために規制緩和がどんどん行われました。労働者派遣や非正規雇用も拡大。バブル崩壊も合わさって低賃金で働く人も増えました。そこにかつての経済大国の威光はありませんでした。
競争の激化は大人だけでなく、子どもにも及びました。もはや子どもは「ただいるだけで」「ありのままいるだけで」尊重されるものではなくなってしまった。自分が生き残るために努力し、他人を蹴落としてでも成功をつかむ。そういうバトル・ロワイアル的な風潮が強まったのではないでしょうか。生きづらい世の中になってしまった。

この傾向は現在でも続いています。その好例が、投資関係のCM、広告です。よく聞くあのフレーズ、そう、
「国はあてにできない。自分の暮らしは自分で守ろう。老後資金を貯めるべく、資産運用を始めましょう。これからの時代を生き抜くために。」

一見まともなことを言っているように見えますが、この考え方には何か違和感があります。では、その正体とは何か?
それは、この考え方には
「福祉・共助の考え方がなく、徹底的な自助、自己責任論が根底にある」
ということです。
そう。「みんなで豊かになろう」でも「困っている人がいたら助けよう」でも「苦しむ人たちを減らす政治をやろう」でもない。「自分の身は自分で守れ」というわけです。
当たり前ですが、それができない人もいるわけです。しかしこの考え方はそういう人たちのことを考慮しない。だから、こういう考え方の人が増えれば増えるほど、社会には閉塞感が漂うことになります。それはそうでしょう。この考え方は「他人をあてにしない」のですから。

以前紹介したホームレスに対する差別発言についても同様です。発言者とその擁護者は「税金を払えない人たちを税金で救ってほしくない。自分はそんなことのために税金を払っているわけではない」とでも言いたいのでしょう。
つまり彼らは弱肉強食を肯定しているわけです。弱いやつが悪い、自分で稼いだ金は自分のものだから、関係ない人に配るのはやめてほしい、と。

こうした発言が生まれ、かつ擁護する人がいるだけでも現在の闇深さがよくわかります。が、それ以上に恐ろしいのは、この発言の何が問題かをよく考えず、義憤に駆られアンチコメントを書き込む大衆の愚かさではないでしょうか。
問題が起きたなら解決するために知恵を出し合えば良い。しかし、人々は解決ではなく「炎上」という手段を選択してしまった。それは言うなればゲームのようにただ消費しただけ。結果、問題となっている格差は何も解決せず、ただ憎しみだけが生まれる、という体たらく。

こうした異常な自己責任論が生まれるきっかけが、90年代のグローバリズムにあったと思います。
だからぼくらはしっかり考えるべきだった。グローバリズムは本当に幸せなのか?と。それをよく考えていれば、もう少しマシな世界線だったかもしれません。


2.阪神・淡路大震災~安全神話の崩壊と現代文明の虚構~

安全神話に支えられた高速道路は、突如襲ってきた大地震によって呆気なく破壊されました。阪神・淡路大地震です。
避難所は混雑し、衛生環境は最悪。都市化によってコミュニティが分断され、それが避難の遅れにつながったとの声もあります。
高度成長以降、無尽蔵に拡大していった高速道路、宅地開発。それは本当に私たちの暮らしを豊かにするものだったのか?反省するチャンスでもありました。被災地だけでなく、日本全体で見直す必要があった。
とはいえ、あくまで地震は天災。どんなに努力しても100%被害を防ぐことはできません。そういった「仕方なさ」はある程度までは認められる。
しかし、そんな言い訳が通用しない事故が10年後に起きることになるとは・・・。


3.福知山線脱線事故~スピードによって荒んだ心~

2005年、尼崎で乗員乗客100名以上が死亡する脱線事故が発生しました。当時その鉄道会社ではミスに対し懲罰的な仕打ちを加えており、それを恐れた運転士が急ぐあまり起きた事故と言われています。列車は1分30秒の遅れを取り戻すため、高速でカーブに進入。曲がりきれずに脱線しました。

たった1分の遅れと100名もの命、どちらが重いでしょうか?火を見るほど明らかですが、日本社会はどうやら前者を重く見たようです。電車が少し遅れただけでキレる乗客、4~5分遅れただけで繰り返し流れるお詫びの放送。この事故は一体何だったのか。
まるで成長していない。そこで言われるのはいつも、
お急ぎのところ恐れ入りますが」
のセリフ。
何をそんなに急いでるんですかね?
ぼくらはあの事故を機に、定時性より安全性を重視するようになったのではなかったのか?
昨年、でしたか。大雪が来るのがわかっていながら列車を運行したら、案の定雪で列車がストップ。数時間すし詰め、というのが京都でありましたよね。事前に止めることはできなかったのか?
できなかったんでしょうね。
誰かが急かしたのかわかりませんけど、どうせ止まるなら動かすだけ無駄に決まってます。尼崎の二の舞にならないか、これからの日本が心配でなりません。

正直、この鉄道事故は平成トップの黒歴史だと思ってます。グローバリズムは日本だけの責任ではないし、地震も人間の力だけではどうにもならない。しかし、これは明らかに100%人間が悪い「人災」です。きちんと対応していれば防げた。
風化しつつあるこの事故ですが、決して忘れてはいけないと思います。


4.東日本大地震と原発事故~現代文明の暗黒面~

最後に紹介するのは2011年3月に起きた東日本の地震と、それによって発生した福島原発の事故です。

原発は安全でクリーンなエネルギーだという「神話」が作られ、国民はそれを信じようとしてきましたが、この事故で化けの皮が剥がれました。安全でもなければクリーンでもないことが白日の下にさらされたわけです。
残念ながら「想定外の地震だった」という言い訳は通用しません。なぜなら既にチェルノブイリという前例があり、原発のリスクは明確だったからです。よって、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするのはお門違い。この事故はまぎれもない「人災」ということになる。
最近処理水放出のニュースがありました。もう12年前のことなのに、未だに弊害が出まくっているわけです。土地も、そこに住む人々の暮らしも産業も、めちゃくちゃになってしまった。一体これからどうするんでしょうか・・・。

凄惨な地震だったわけですが、これを機に東京一極集中が見直されるのでは?との期待もあったようです。しかし、そうはなりませんでした。むしろ、被災者が移住してきて一極集中はますます加速したとか。
東京電力福島第一原発。
この名前が、都市文明の闇を表しています。
東京に住む人間の電力を補うために設備が必要。しかし、人が多すぎて作る所がないし、仮に事故が起きたら日本の機能が停止してしまう。仕方ない、少し離れた地方に原発を造ろう・・・。というわけです。都市のために地方が犠牲になる。それは本当に正しいことなのか?
実際には電気を使うのは東京だけではありませんが、量としては圧倒的に多いでしょう。
これは沖縄の基地問題でも同様です。

この時、神戸の震災から16年経過しています。チャンスがあったんです。現代社会の在り方を根本から見直すチャンスが。しかし現実は変わりませんでした。
私たちは16年間一体何をやっていたんでしょうか?
自分たちの文明がどのように成り立ち、どんな犠牲とリスクの上にあるかを理解せず、いや、耳をふさぎ、ただ刹那的な快楽を増幅していったのではないでしょうか?
この点に関してはまた別の記事で深堀りしたいと思います。私自身も反省と懺悔が必要なことがあるので。


5.おわりに

というわけで、平成の黒歴史を振り返りました。サリン事件とか同時多発テロとかまだまだあるんですが、あまり詰め込むと訳がわからなくなるので今回は絞りました。
今回記事を書いていて思ったのは、まさに「歴史は繰り返す」ということ。
神戸の地震で露呈した日本の闇は、東北の地震でも同じように露呈しました。
そういう黒歴史が繰り返されないように、私たちは日々の行動様式、考え方、暮らし方、人との関わり方を見直す必要があると思います。そのヒントとして、昔の人々の知恵を参考にするのは役に立ちます。文明が今より発展していない時代の知恵ですから、今後文明がストップしたときに使えるのではないでしょうか。
私もいろいろ試そうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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