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【大長編読解】プルースト『失われた時を求めて』第1部 コンブレーを読む part3

前回に続き、『失われた時を求めて』の読解をしていきます。

前回の記事はこちら


今日の一文

いったい何時になったのだろう、と私は考えるのだった。汽車の汽笛が聞こえ、それは遠く近く、森にさえずる一羽の小鳥の歌声のように、たがいを隔てる距離を浮き彫りにしながら、私の心のなかに寂しい野原の広がりを描き出していた。
その野原を一人の旅人が、次の駅へと急いでいる。そして新しい土地や、慣れない行動や、今なお夜の静けさのなかで心につきまとう見知らぬ家の灯火のもとでつい先ほど交した歓談や別れの挨拶、あるいは近づく帰郷の楽しさなど、こういったものが彼の心をかきたてるので、今たどっている細道は、今後も彼の記憶に深く刻みこまれることになるだろう。

前回の記事では、目覚めた際に認識される闇が、精神にとっては快く穏やかな闇である、ということが語られていた。今回はその続きなのだが、早速話が脱線している。いきなり孤独な旅人の話が始まり、読者は
「なんじゃこりゃ」
と言わずにはいられないだろう。
これは作者の「夢」なのか、目覚めている状態で単に空想しているだけなのか。
私は「考えるのだった」とあることから、
意識はあるのだと推測すれば、これは目覚めている状態での空想だと考えることはできる。ただ、汽車の汽笛が聞こえている、というのは本当に聞こえているのか、単に空想しているだけなのか、判別できなかった。
しかし、「私の心のなかに描き出していた」という表現があるので、この一文以下が「空想」にあたるのかもしれない。


考察

問題は、「なぜこのような空想が書かれているのか」という点にある。
プルーストは比喩やたとえ話をするが、突発的に語り始めるのでその意図がすぐにはわからないことがある。当初私はわからなくても飛ばして読み進めていたが、今回記事にするにあたっては自分なりの答えを出すべく、何度も読み返している。そうしないとプルーストの真髄に迫ることは決してできないと思われる。
ここで描かれているのは「孤独」である。
旅人は一人であり、「新しい土地」や「慣れない行動」、「見知らぬ家」という文言がそれを裏付けている。「細道」という表現も寂しさや心細さ、不安を感じさせる。
「私」は作家であり、自己の作品創造のために、このような風景を思い描いたのだろうか?
その可能性はあるかもしれないが、ここでは比喩を用いた「私」の人生の回想シーンのようにも見える。つまり、ここでの旅人は作者である「私」その人であり、描かれている孤独や不安は、彼が社交界に出入りしたときや、旅行に行ったときの心理なのかもしれない。
最後の、「今後も深く刻まれることだろう」という表現は、本書のテーマ「記憶」に関する表現であり、伏線になっていると考えることができる。

※コンブレーで過ごした日々や鐘塔の思い出は、後にマドレーヌ(コンブレー時代の思い出の象徴)を口にすることで一気に蘇る。

そのあと私は、頬を枕に寄せ、マッチをすり、時計を見て12時であることを確認する。どうやら寝床からまだ起き上がっていないようだ。まだ眠たいのかもしれない。
そして、先ほどの「何時だろう」の疑問を解消すべく、時計を確認している。
今回はここまでにします。
次回もお楽しみに!




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