見出し画像

【短編小説】束の間の幸せの中で

「なぁ。」
「なあに?」

私を下から見上げて声をかけられたから、私はその視線を正面から受け止める。

「お前、今幸せ?」

そう問いかけられると、直ぐには答えられなくて、躊躇ためらっていたら、彼はおだやかな笑みを浮かべて、私に向かって口を開く。

「俺は、幸せ。」

躊躇ためらいのない言葉に、私の目の前はぼやけていく。

「どうした?もしかして、感極かんきわまった?」
「・・自分でもよく分からない。」

こちらを揶揄からかうような表情を浮かべた後、彼は体を起こして、私の背中に手を回す。彼の手の温かさを感じながら、本当は泣いてる理由が分かってるんじゃないかと、私はかんぐってしまう。そう思うほどに、彼の手つきは優しくて、私の涙は余計止まらなくなる。

彼は覚えてないけど、私はこのやり取りをもう何回も繰り返してる。
数えきれないほどに。


クリスマスが近づいた週末、私たちはターミナル駅の改札で待ち合わせした。クリスマスのせいか、それともその先の年末年始のせいか、毎回、この待ち合わせ場所は混んでいる。

1年ぶりに会った彼は、私の顔を見つけると、直ぐに近くに走り寄ってきた。その様子を見て、私の心ににじむのは、大きな安堵あんど感。大丈夫だろうと思いながら、いつも最初にこちらのことが分かるのかと心配をしてしまう。

「久しぶり。」
「うん。元気そうで何より。」

学生でもないから、お互い背が伸びたり、大きく面立ちが変わったりということはない。1年会わなかっただけで、お互いのことが分からなくなるということは基本ないはずなんだけど。彼に限っては、それが当てはまらない。

「まずは食事しようか。」
「何か食べたいものある?」
「前回は何を食べたんだっけ?」
「中華だった。今日は洋食にしようか。」

そう答えると、彼は「吉良きらの好きな物でいいよ。」と言って、笑う。

私たちが1年に一度、クリスマス前後に会うようになったのは、何がきっかけだっただろう。お互い社会人になって、久しぶりに会おうという話になって、2人で会ったのが、たまたまクリスマス前だった。どうせなら、早いクリスマスも祝おうと、プレゼントも用意したんだった。

その時に、彼が過去の体験や感情を忘れてしまうことを打ち明けてくれた。だから、「思い出話はできないよ。」と言って、空笑いをしたんだった。その笑みがとても寂しそうで、私は目が離せなかった。でも、同時にとても失望した。私が彼に好意を持ったきっかけになった出来事も、彼は何一つ覚えていなかった。

「これ、美味しいね。」
「一人だと、食事を作らなくていいというだけで、助かるよ。」

食後のコーヒーを飲みながら、彼は「前にも話したかもしれないけど」と前置きして、私に自分の特性を話してくれる。私は毎回初めて聞いたような様子を装う。彼はその度に首を傾げて、「吉良には絶対、前に話してると思うんだけどな。」と呟く。自分の秘密を打ち明けられるほどに、私は信頼されてるんだなと、口元がにやけそうになるのを抑える。

「日常生活に影響はないの?」
「ないよ。昔話をするようなこともないし。」

何も質問しないと、私が初めて聞いた風にならないと思って、問いかけるけど、もう、この事については聞くことがないくらいに知ってる。彼は私と会ったことは覚えてるらしいけど、話したこと、食べたもの、何をしたかは、次に会う時には全て忘れてしまってる。

夜のイルミネーションを見ながら、私は彼の手を取る。驚いたように私を見る彼に顔を近づけて、私は彼に囁く。

「私は、ずっと、赤穂あこうくんのことが好きだよ。」
「・・。」

彼への愛の告白も、会う度に私からしてること。でも、彼はそれを覚えてない。

告白を受ける度に、とても嬉しそうな笑みを浮かべて、私を抱きしめてくれることも、そのぬくもりも、私は覚えているけど、次に会う時、彼は忘れてる。

「本当は、ずっと吉良と一緒にいたい。」
「・・そうだね。叶うことなら。」

もし、同棲して、生活を共にしたら、私とのことを忘れることも無くなるんじゃないかと、かなり高い確率で推測されるのだけれど、私たちはそれに踏み切れない。私たちは恐れてる。万が一、彼が私の事、私の存在自体を忘れることがあったらと。

「本当にいいの?」
「うん。もちろん。」

もし、いつか私たちの間に子どもができたとしたら、それをきっかけに、同棲や結婚に踏み切ることができるだろうか。結局、私たちは自分で決め切れずに、天に運命を委ねてる。そんな私たちに、いい結果を天が与えてくれるとはとても思えない。私たちはいつまでこの不毛な関係を続けるんだろう。先の見えないこの関係を。

「俺、こんなに幸せなのに、この事も忘れるんだろうな。」
「・・・私が覚えてる。」

腕を目に当て、私から視線を逸らして呟く彼に向かって、私はそう答える。

「辛い思いさせてごめん。」
「全然辛くないよ。」

「俺は辛いことも、嫌なことも直ぐに忘れられる。だけどお前はそうじゃない。」
「大丈夫だよ。同じくらい、嬉しいことも、楽しいこともあるんだから。」

「拒んでくれても、逃げても構わない。一時、寂しく辛く思っても、俺はすぐに忘れられるから。」
「・・私のことを忘れるなんて言わないで。」

私は、何度でも、彼に愛の告白をして。
彼と体を重ね合わせて。
束の間の幸せを、享受きょうじゅする。

彼が全てを忘れてしまっても。
また、新しい彼と恋をする。

「こんなに幸せなのに、この事も忘れるんだろうな」
というセリフありきで本作を作成。
過去の思い出を忘れる理由として、『思い出したくないから頭の奥にしまった』『ずっと平穏で残るほど刺激がない』があげられそうです。
ずっと、幸せだったら、逆に記憶に残らないということらしい。それがいいことなのか、悪いことなのか・・。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。