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【短編小説】それは困りますね。♯一つの願いを叶える者

note一周年記念を祝して、書き上げた短編です。

私の夫の帰りは遅い。
私は夕食を作って、彼の帰りを待つ。時間はいつも大きく変わらないので、職場からどこにも寄らず、真っ直ぐ帰ってきているようだ。
職場の飲み会などの誘いも、付き合い以外のものは、今は極力私を理由に断っているらしい。家に帰って、私が作った夕食を美味しそうに食べてくれるのを見ると、私の口元も緩んでしまう。

でも、私は夫の心の中に、一人の女性がいることを知っている。

その女性の名前は美空みそらという。
彼の大学時代の恋人だったらしい。もちろん、本人にお会いしたことはないし、会話を交わしたこともない。
私が彼女の名を知ったのは、彼の寝言からだった。

夫は気づいていないが、寝ている時に、かなりはっきりと寝言を口にする。
ある日、彼が寝言で言ったのが、彼女の名前だった。
最初は浮気をしているのだと思った。だが、彼の普段の生活を見ている限り、外で女性に会う機会はないと思い直した。彼の仕事は外資系IT企業のシステム寄りの営業だが、取引先に行く時には、必ず他の営業を伴うし、飛び込み営業などは行わないから、まず、職場で一人になることがない。

飲み会と称して、女性と会っている可能性もなくはなかったが、本当に、年に数えるくらいしかないし、やはり、一人では参加をしない。
私がこれだけ詳しく、彼の仕事内容を把握はあくできているのは、私の大学時代の同級生が同じ職場にいるからだ。私と彼が知り合ったのも、彼女の紹介がきっかけだ。

彼の浮気相手でないとはいえ、寝言で名を呼ぶ美空とは、何者なのか。
これは、彼の大学時代の先輩に話を聞いて判明した。
夫は大学卒業と同時に、彼女と結婚することまで考えていたという。だが、大学を卒業したら出身地に帰りたいと考える彼女と、こちらで働きたいと考える彼とで、意見が合わず、結果別れることになったと聞いた。
でも、夫は、その美空さんのことを忘れることができないのだろう。

私は、夫に美空さんのことを、直接問うことができなかった。
連絡を取っているわけでもないし、会っているわけでもないようだ。
私と接する時の彼はとても優しく、私は愛されていると感じられる。たとえ、彼の心の中に他の人がいるとはいえ、今の生活は幸せだと思うのに、それに波をたてる必要はないだろうと思われた。

そんな夫が、珍しく取引先の方と飲んで帰ると言うので、私は一人で、自宅で夕食を取っていた。やはり、一人だけの夕食は、味気なく感じてしまう。
私も何かお酒でも準備して、飲めばよかったかもしれないと、考えていると、隣に気配を感じた。まだ、夫は帰っていない。私は家に一人だけのはず。視線を斜め上に向けて、私は持っていた箸を、テーブルの皿の上に転がしてしまった。

真っ白なもやの塊が、私の隣に立っていた。
よくよく見ると、人の形をしている。短い髪、体の線を拾わない、ゆったりとした服を着ているように見える。表情ははっきりせず、年齢や性別は分からなかったが、子どもや高齢者ではない、成人した人のシルエットを取っていた。

その白い靄は、腕をおぼしきところを広げて、こう言った。
「貴方は選ばれました。貴方の願いを一つ叶えましょう。」
発せられた声も合成音のようで、やはり男性か女性かは分からない。
「貴方は誰ですか?」
「私は貴方の願いを叶える者。貴方の願いを一つ伺ったら、それを叶えて差し上げます。」

「はぁ。」
「貴方にも叶えたい願いがあるでしょう?お金でも地位でも名誉でも、本当に何でもいいんですよ。」
突然、願いを叶えると言われても、咄嗟とっさには願い事なんて思い浮かばないものだ。しかも、一つのみなんて。
彼がこの場にいたら、何と答えるかしら。
私は、この場にいない夫のことを思い、その返答内容を推測して、気が重くなった。

「あの。」
「はい。決まりましたか?」
「先ほど、選ばれました。と言いましたよね?他の人の願いも同じように叶えているのですか?」
「そうですね。選ばれた方であれば。」
問われたことのないことを聞かれて、戸惑っている様子が見受けられる。表情は分からないのに。

「で、あれば、私の夫が、その願いを叶える人に選ばれることもあるということですよね?」
「無いことではないです。ただ、願いを叶えると私のことは忘れてしまいます。既にその方は選ばれて、願いは叶えてしまっているかもしれません。」
「いえ、それはありません。」
「なぜ、分かるのですか?」
「私が彼と結婚しているからです。」

もし、私と同じように、彼の前に願いを叶える者が現れたとしたら、彼が願うのは、きっと以前の恋人である美空さんと結婚することだと、思うから。
そして、私はそれを嫌だと思う。
なぜなら、私は彼のことを愛しているから。

「決まりました。」
「はい。何でしょうか?」
「私の夫の目の前に、一つの願いを叶える者が現れた場合、彼の願いを叶えると思います。」
「当たり前ですね。」
「それを全て夢にしてください。」

「夢・・ですか?それは、願いを叶えたということを、無しにしろということでしょうか?」
「そうです。できますよね?」
「もし、その人の前に、一つの願いを叶える者が現れなかったら、その願いが叶えられる機会は失われますが、それでもいいのですか?」
「私はそれで構いません。でも・・そうすると、貴方に何か不都合があったりしますか?」

私の言葉に、相手は何か考え込むように、口をつぐんだ。そして、しばらくした後、おもむろに口を開いた。
「通常、私は願いを一つ必ず叶えなくてはいけませんが、条件付きというだけなので、大丈夫でしょう。ただ、貴方の願いを叶えるまでは、私の記憶が貴方から消えないことになる。それは困りますね。」

「なぜですか?」
「私の存在は、言ってみれば、この世界のことわりから外れているのです。だから、わずかでも私の痕跡こんせきが残るのは、この世界にとって困るわけです。」
説明してもらったが、いまいち理解ができなかった。私が首を傾げていると、相手は深くため息をついた。どことなく人間らしかった。

「何か、その対象の彼の写真とかはありますか?」
「・・そこの写真立てに入っている写真の、グレーのスーツを着ているのが彼です。」
指で示したフォトフレームには、結婚式で取った写真が飾られている。ウェディングドレスを着た私が、彼にお姫様抱っこをされているところだ。

白い靄の人は、その写真の元に行って、写真に写っている彼をじっと見つめた後、こちらを振り返って言った。
「貴方の願いは、彼の目の前に、願いを叶える者が現れた後、叶えた願いを夢にする、つまり無かったことにするということでいいですね?」
「そうです。」
「では、貴方の願いが叶った場合、それを知らせます。その際に、一瞬私の記憶が戻り、そして消えます。・・私はこの場から消え、貴方はこの事を忘れます。」
「分かりました。」

私が頷くと、相手は私に向かって、てのひらかざして、微笑んだようだった。


なぜか今日は、いつもよりも帰りが遅いな。と思っていた。
夕食は、温め直さないといけない。普段帰ってくる時間に合わせて、夕食を作っているが、既に冷めてしまっていた。
帰る途中で何かあったのだろうか?遅くなるという連絡も、特になかったんだけどな。

こちらから連絡を取ってみようかしら。
そう思って、スマホを取り上げた時に、私以外誰もいないはずの部屋の中で声がした。

「貴方の願いは叶えました。」

その声を聞いた途端、私の頭の中に、以前の『一つの願いを叶える者』とのやり取りが、ばっと浮かんだ後、徐々に薄くなっていった。

私は、手にしたスマホから、愛する夫に電話をかけた。
顔が自然と笑っていることにも気づかずに。

本編に出てくる愛する夫の願いを叶える短編は、以下のリンクからご覧ください。


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「願い」リクエスト、一つの願いを叶える者が出てくる短編を書いてくださる方、随時募集中です。9月22日に、短編を書いてくださった方がいらっしゃいましたので、紹介しています。

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