混浴と分断。
10月31日AM9:35 アムステルダム中央駅。
アムステルダム中央駅は東京駅に外観がそっくりで、どこか親近感が湧く。
どうやら、アムステルダム中央駅は東京駅をモデルにしたそう。
いや、東京駅がアムステルダム中央駅をモデルにしたのか。
まぁ、どっちでも良くてとにかく次の目的地に行くためにここに来た。
慣れない土地では、電車の切符を買うだけで一苦労。
駅員さんに行きたい場所をカタコト英語で伝え、切符を買えた。
この切符を買う作業だけでも、買えると達成感を味わえる。
電車の改札を見て、どこから出発するのかを何度も確認し、近くの人にこのプラットフォームで合っているかを確認する。
優しく答えてくれてほっこりとして一安心しながら、電車を待つ。
約5時間、電車に揺られて辿り着いた場所は、ドイツ!
オランダとはまた違い、あまり整備が行き届いていない混沌とした雰囲気が逆に落ち着く。
今回はドイツ編。
ベルリンの壁などドイツの歴史やドイツの混浴サウナでの体験、実際に訪れて感じたことを書いていきたい。
1、恥じらいの美学
「見えそうで見えない」
ドイツのサウナに行くとそんな感覚は一切ない。
90℃ほどの丁度よい暑さに香ばしい木の香りが鼻を覆う。
ただ、目の前には真っ裸の女性が寝転んでいる。
「!?!?!?」
しかし、彼女には動揺が全く見えない。
それもそのはず、ドイツのサウナには基本的に男女の区切りはなく、混浴なのだ。
だからこそ、施設はとても広く、まるでアジアのリゾート地に来たかのような内装をしている。
友人同士やカップル同士、お一人など年齢もバラバラの人たちが素っ裸で、サウナを楽しんでいる。
オランダ同様に性に対してのオープンさや感覚の違いをひしひしと感じた。
一方、サウナのクオリティーはというとかなり高い。
ドイツ発祥と言われているアウフグースは本当に格別だった。
ドイツの混浴サウナを体験して感じたことは、最初こそ戸惑ったが30分もするとそれがもう当たり前で、サウナをリラックスして楽しむことができた。
他人の身体をジロジロ見る人はいないし、1人1人がサウナを楽しみリラックスしている。
女性の裸を見て、何も思わないわけでは決してないが、堂々と目の前で寝転んでいると逆に見る気が起きないのはなんでだろう。
恥じらいがあったり、隠そうとするからこそ、見たくなってしまうような感覚。
日本では中々味わうことができない体験ができてとても楽しかった。
オランダ同様に自分を正直に出すというか、ありのままの自分を開放している感じがした。
これが文化として当たり前としてあり、異性という垣根を越えて同じ人間として、同じ空間を楽しんでいることに楽しさを覚えた。
2、分断の歴史と今
1989年11月9日。
高さ3メートルの壁が28年の時をえてついに崩壊した。
「ベルリンの壁崩壊」
社会の授業で少しだけ勉強した記憶があるが、学生時代の自分からしたらテストで良い点を取るための、暗記する答えの1つでしかなかった。
そんな考え方が稚拙な時から数年が経ち、実際にこの場所を訪れたことで他人事から自分事になり、このベルリンの壁の歴史や背景を知りたくなった。
旅をしたことがある人は共感してくれるかもしれないが、旅で訪れた国のニュースが流れたりするととそれはもう他人事ではなくて、旅をしている最中に出会ったあの人は大丈夫だろうか。など世界の出来事に対して、他人事ではいられなくなる。
だからこそ、これからも日本をはじめとして生きているうちに色んな場所に行きたいし、そこに住む多様な価値観を持った人たちと出会い、交流をしたい。
少し話がズレたので本題に戻る。
1961年にこのベルリンの壁は建設された。第二次世界大戦の影響を受け、ドイツはアメリカ陣営の「西ドイツ」とソ連陣営の「東ドイツ」に分断されていた。
そして、資本主義の西ドイツの経済が発展に伴って、市民は豊かな生活をしていた。
その一方で、社会主義体制の東ドイツの経済は硬直化していたため、東ドイツ市民の暮らしは貧しかった。
当時はベルリンの壁が建設前のだったので西ドイツ市民の豊かな暮らしは東ドイツ市民の耳に簡単に入り、多くの人が西ドイツへの憧れを抱いた。
そうして、大量の東ドイツ市民が西ドイツに密入国する事態が起こっていた。
それを問題視した東ドイツのトップたちは労働力を失い、これ以上の経済危機は国の存亡にも関わるため、ベルリンの壁が建てられた。
この壁が建設されたことで本格的な分断が始まり、ある日突然大切な人に会えなくなった。
この壁を渡ろうとして亡くなった人は136人もいる。
上の2枚の写真はかつては国境の検問所として置かれていた。
ドイツの今を見ると30年前にそんなことがあったなんて想像もつかない。でも、それは実際に起こっていて、それによって辛い思いをしている人たちは今もいる。
3、「見える壁」と「見えない壁」
ベルリンの壁はそれによって明確な線引きが突然、理不尽にされて多くの人の自由が奪われた。
ただ、このような「見える壁」以外にも「見えない壁」が私たちの中に存在しているのではないか。
「本音と建前」
人と人とのコミュニケーションの中に、「見えない壁」が存在していると感じる。
家族、友人、恋人、職場の上司や同僚など、、、
人と人の間には色んな関係性があり、コミュニケーションもそれによって変わってくる。
家では父の役割を持つ人は、会社では部長だったり、飲み会の盛り上げ隊長であったりと私たちは関係性に応じて、色んな役割を演じている。
だからこそ、どの自分が「本当の自分」なんだろうと考えることがあるけど、役割の中で現れるどんな自分も「本当の自分」である。
そして、その人が好きか嫌いかよりかは、「この人といる時の自分が好き」だと思う人と一緒に過ごしていきたい。
そして、人に対して自らがオープンでいること。
自分の考えや思ったことを相手に正直に伝える。
「これを言ったら相手に嫌われるんじゃないか」と思って、
自分の意見を押し殺すのは自分にも相手にとっても良いことではない。
その人の人格を否定するのは違うけど、相手のためを思って勇気を出して伝えることは結果として相手のためにもなる。
そして、なによりも自分にも相手にも正直な自分でいられることが気持ちが良い。
まとめ
混浴サウナで男女関係なく、人間同士が同じ空間でリラックスをしている世界がある一方で、3メートルの壁によって分断していた過去を持つ国。見る視点を変えると、色んな顔を見せてもらった。
あとは、終始真面目に語っていたが、実際は混浴サウナで異性の裸を見れることは普通に嬉しいし、ドイツビールもソーセージも美味しくて最高でした!