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【考察】古文漢文の不要論について。感情論は排除したい。【古文漢文いる・いらない】

こんばんは。本日は、難化したことが先日話題になった”センター試験”の中でも、毎年のように論争?が始まる「古文・漢文」の是非論についてです。

私なりに考えてみましたので、ご意見いただければ幸いです。
ここでは古文漢文の「不要か否か」を議題にしており、その判断基準を”それぞれの目的に合致しているか否か”としたいと思います。

1.まとめ

古文漢文の是非を図るうえで、①義務教育に含まれる必要があるのか②センター試験の科目として採用される必要があるのかという論点がある。

①義務教育に古文漢文は不要ではない。むしろ”必要”

<根拠>
1.義務教育の目的(文部科学省リンク)には「様々な可能性を開花させるチャンスを与えること」が明記されている。
⇒古文漢文は”様々”に含まれる。開花させるチャンスを与える機会になっており、目的に反した科目ではない。

2.義務教育の重要事項として「蓄積してきた学術・文化の継承者としての国民教育の基礎」と明記されている。
⇒古文漢文は”蓄積してきた学術・文化”に該当するため、継承する者として教育の基礎を学ぶという目的に合致している。

②センター試験に古文漢文は不要ではない。
※こちらは”必要”と言い切るには根拠不足でした。

<根拠>
1.センター試験の目的(大学入試センターリンク)には「高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とする」
⇒古文漢文は基礎的な学習に含まれる。その達成の程度を判定することは目的に反していない。

2.「大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定することに資する(役立てる)」とある。
⇒古文漢文は点数化され、”大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等”を評価・判定するために役立てられている。目的に反する科目ではない。

【結論】
古文漢文は義務教育には必要。センター試験には不要とは言えない。

【私の思い】
センター試験に不要ではない=必要とは言えません。さらに家庭科、音楽、書道でも同じように「不要ではない」と結論付けることもできます。本来であれば、センター試験で「なぜ各科目が選ばれたか?」について知らないと、必要かどうかの議論はできません。調査していないのでわかりませんが、その選定基準を把握すれば「やはり古文漢文は(優先的に)必要」とか「他の科目のほうが重要だね」と議論できると思います。

今回は「不要か否か」を議論しました。
・他に優先するべき科目があるのではないか?
・目的がそもそも今の時代に合ってないのではないか?
という話は別の議論になるのできちんと分けて考えましょう。

2.義務教育の根拠(詳細)

1.義務教育の目的(文部科学省リンク)には「様々な可能性を開花させるチャンスを与えること」が明記されている。

義務教育には,憲法の規定する個々の国民の教育を受ける権利を保障する観点から,個人の個性や能力を伸ばし,人格を高めるという側面がある。子どもたちを様々な分野の学習に触れさせることにより,それぞれの可能性を開花させるチャンスを与えることも義務教育の大きな役割の一つであり,義務教育の目的を考える際には,両者のバランスを考慮する必要がある。

2.以下の点も重要な点として記載されている。蓄積してきた学術・文化の継承者として学ぶ必要があるということである。

人類が創造し蓄積してきた学術・文化の継承者,創造・発展者として,国家・社会の担い手としての国民教育の基礎教育

3.センター試験の根拠(詳細)

1.大学入試センターの目的(大学入試センター)には「基礎的な学習の達成の程度を判定すること」と明記されている。

2.また、大学教育のための能力を多面的・総合的に判定するために資するものと明記されている。

大学入試センター試験は、大学に入学を志願する者の高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とするものであり、各大学が、それぞれの判断と創意工夫に基づき適切に用いることにより、大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定することに資するものです。


以上です。

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