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紺野登の構想力日記#10

イノベーションのためのジャーナリングの教科書【2】


◇ ドラッカーが用いた〝秘法〟

ジャーナリングは、現代のデジタル社会の知的作法として、その重みを増している。ということを前回書いた。

そしてこれも前回書いたことだが、ぼくがジャーナリングに関心を持ったのは、ピーター・ドラッカーの回想からである。
ドラッカーは、ジャーナリングについての見識を、自身の思索と実践に、徹底的に活用した先人の一人だった。

ジャーナリングは日記、日誌と訳される。日記といって間違いではないのだが、ドラッカーが見出したジャーナリングの意味は、単に自分の内面に向き合うという以上に、自身の思考と行動の鍛錬としての有効性であった。

ドラッカー曰く、あることを為すために日々意識的に自覚的に生きる上で、ジャーナリングは、思考・実践・振り返りという自己フィードバックプロセスを、自ら持つことになる。
彼は、日々ジャーナリングをつづけ、9か月単位で、実践と振り返りのフィードバック分析をおこなったと、著書のなかで述べている。
ジャーナリングは、実践者のためのツールだと、ドラッカーはみずからの経験をもとに言うのである。

ドラッカーには、ジャーナリングに目覚めたエピソードがある。 

あるとき15~16世紀のヨーロッパの変革の背後にある力は何かについて考察をめぐらしていたドラッカーは、それがカトリックのイエズス会とプロテスタントのカルヴァン派であることを見出した。

15〜16世紀のヨーロッパといえば、中世カトリックの伝統的世界観が大きくゆらぎ、「新航路の発見」、「ルネサンス」、「宗教改革」という3つの激流が、ヨーロッパの歴史に大変革をもたらし、さらには世界の歴史にも大きく影響を与えた時代である。そして今、われわれが「ポストモダン」などという言葉で過去のものにしようとしている「近代」の出発点とされるのが、この15〜16世紀のヨーロッパである。

ドラッカーは、とくに宗教改革の側面に着目した。16世紀、ローマ=カトリック教会を批判したルターに始まるキリスト教の改革運動が、社会変革と結びつくとともに、キリスト教世界を二分する新旧両派の激しい宗教戦争を巻き起こした。そのなかで、宗教改革を進めたカルヴァン派(プロテスタント)と、それに対抗してカトリック教会の革新運動を進めたイエズス会(カトリック)の、両者(ともに1536年創立)の構想力こそが、近世から近代への地殻変動を引き起こした内的な力であった、と洞察した。

そして彼は、カルヴァン派とイエズス会、両者に共通するのが、自分たちの目標と結果を照らし合わせていくフィードバックの高い能力であったことに気づいた。
さらにそのフィードバックの方法として、両者がともに用いていたのがジャーナリングだった、ということを突き止めたのだ。

敵対するカルヴァン派とイエズス会が、両者ともにジャーナリングをそれぞれの運動の手引きとして使っていた?
なるほど、現代のフォードとトヨタの生産システム競争みたいなもんである。
それをドラッカーが見つけ、〝秘法〟として自分でも使っていたのだ。

これは面白いぞと、ぼくも思った。このときから、ジャーナリングが研究の一つのテーマになった。

◇ ナポレオン、ダ・ヴィンチ、モーツァルトの日々の鍛錬

たとえば、当時(15~16世紀のヨーロッパ)のプロテスタントの牧師たちは、重要なことをおこなう際には、目標を決め、9か月後にそれを見直してどれほど到達できたか、いかに過去の性癖を変えることができたかを省察し、そこから変革について多くの示唆を得たと、ドラッカーは分析し、自らこの方法を実践している。

何かカギになる決定や活動を行うときには、「何が起きてほしいか」を書き記すこと。9か月か12か月後に、その期待と実際の結果を比較する。私はこの方法をもう何年も行ってきた。
(『明日を支配するもの-21世紀のマネジメント革命 』P.F.ドラッカー)

彼はまた、次のように言っている。

 歴史上の偉大な偉業を成し遂げた人たちーナポレオン、ダ・ヴィンチ、モーツァルトーは、常に自分自身を管理してきました。歴史の中で、人々は自分の強みを知る必要性がほとんどありませんでした。1つの強さを発見する唯一の方法はフィードバック分析によってである。フィードバック分析は、完全に無名のドイツの神学者によって14世紀に発明され、その150年後には、ジャン・カルヴァンとイグナチオ・デ・ロヨラによって、ふたたびとりあげられ、それぞれが自分たちの信者の教育にそれを組み込みました。
 成功するキャリアは、計画されたものではありません。成功するキャリアは、自分の強み、仕事の方法、価値観を知り、つねに機会に備えているからこそ、その機会がおとずれたときに発展するのです。自分がどこに属しているかを知ることで、勤勉で有能だが平凡な凡人が、優れたパフォーマーに変わることができるのです。自分の力で仕事をして、自分の力で結果を出している人は非常に少ない(少数の偉大な芸術家、少数の偉大な科学者、少数の偉大なスポーツ選手)。(『Leadership Perspectives』Alan Hooper 編集、2003、Chapter.20)

ところで、ドラッカーの先祖はもともとはイベリア半島にいたユダヤ系の人々で、それが16世紀後半に起きたオランダの独立運動あたりからオランダに移り住み、おそらくアムステルダムで、主に宗教関連の書物を出版する出版社を営んでいたらしい。そこでは、海賊版のコーラン(イスラームの聖典)の印刷なども扱っていたらしい。
ぼくはここ10年ほど、かなり頻繁にオランダを訪れ、オランダのイノベーション社会の成り立ちとそのありようを、さまざまな側面から見てその智慧を学ぼうとしてきた。2012年にはその知見を『幸せな小国オランダの智慧』(PHP新書、2012)という一冊の本にまとめた。そのなかで、ドラッカーの出自についてもいろいろ調べてわかったことなどを、オランダとドラッカーのつながりとして書き残した。

 15世紀のヨーロッパにおける出版活動の中心はイタリアおよびドイツで、それぞれ42%、30%を占め、続いてフランス16%、オランダは8%だったという。これが16世紀から18世紀にかけて、オランダは印刷・出版業の重要な中心地として急速に発展していく。
 出版業のような創造的産業は、印刷機など設備面の集積だけでなく、創造的人材や知的ネットワークがあってはじめて成立する。オランダは条件が整った地域だった。17世紀にはヨーロッパの書物の過半数はオランダで印刷・出版されたという。なかでもアムステルダムと、次いでヨーロッパ最古の大学都市で、のちにシーボルトによって西洋初の日本学科が設立されることになるライデンが拠点だった。
 ちなみに経営学者のピーター・ドラッカーは、スピノザ同様、イベリア半島からオランダに逃れてきたユダヤの家系で、17世紀には聖書、法話集、一説ではオスマントルコの闇市で売っていたコーランなど、宗教書専門の出版社を経営していたという。元来の名前である「ドラッカー」(drukker)はオランダ語で印刷人、あるいはプリンターを意味する。
(『幸せな小国オランダの智慧』紺野登、PHP新書、2012、pp.197-198)

そうなのだ、「ドラッカー」という名前は、オランダ語で「印刷屋」という意味なのだ。
印刷屋と聞くと、今の時代ではローテクの古い産業といったイメージだが、15世紀にグーテンベルクによって発明された活版印刷技術は、当時のまさに最先端技術であった。その最先端技術を、16世紀から17世紀にかけて全ヨーロッパに波及させたのは印刷業者であり、彼らはいわば最先端技術の担い手だった。なかでも聖典を扱う印刷屋は、最高の知識を流通させる知の商人であったのだ。

ドラッカーが宗教的な知識について詳しいのは、そうしたいわば先祖代々の家系によるもので、イエズス会とカルヴァン派の構想力に着目したのも当然のことであったかもしれない。

◇ イエズス会の世界戦略はジャーナリングで支えられていた

さて、イエズス会といえば、日本では東京・四谷にある上智大学で知られている。

イエズス会には、ジャーナリングの教科書なるものがある。創始者のイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)が、『霊操』というジャーナリングマニュアルのようなものを残しているのだ。
「霊操」という日本語はまがまがしい印象を与えるが、これは「Spiritual Exercises」(ラテン語では Exercitia spiritualia)をそのまま漢字で訳したからこのような聞きなれない言葉になっている。
ぼくらにとって体操というのが身体のエクササイズであるのと同じように、霊操はいわば「精神のエクササイズ」ということになる。

イグナチオ・デ・ロヨラは若くして勇敢な騎士であったが戦いで負傷し、病床で回心してキリストに仕える騎士になる決意をした。洞窟での1年間に及ぶ祈りと苦行、その霊的体験をもとにして『霊操(心霊修業)』(1548教皇認可)を著した。

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◇ イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」の方法論

彼は、就寝前に自分の至らない点をあげ、それについて瞑想した。これを数か月続けたイグナチオは、過ちを全く犯さなかった日がまったくないことに気づき失望し、自分を傷つけてさえいることに目覚めた。そこから彼は、どんなに小さなことでも、日々行なった「正しいこと」を10個思い出そうと考えるようになる。そしてそれを日々書き留めておくのだ。これを続けたところ、しばらくすると自分が以前より強くなったと感じるようになった。これが 霊操の基となった。

体操で身体を鍛えるように、内面を鍛えるのが「霊操」だといったが、このやり方をイグナチオは小冊子にまとめ、教えを広めるための教科書として活用したのである。霊操の教科書には、1回1時間を毎日5回行う手順が示されている。それが4週間続けられ、約1か月にわたるエクササイズが1単位となっている。
つまり、5時間×28日 を要するということになる。この正規コースのほかに「ショートコース」も設定されていて、こちらは8日間のエクササイズである。
また1日に60〜90分を9か月続けるとする場合もあり、ドラッカーが自身の実践について言っていた「9か月」とは、このコースに相当する。これはちょうど人間の妊娠期間にも近い。
こういった過程で新たな自分を生み出すための実践を、一定の時間を費やして行なうのが「霊操」である。ここにジャーナリングの手法が大きな役割を果たしているのである。

イエズス会は、プロテスタント分裂後のキリスト教世界で近代的な組織力と行動力を誇った。イエズス会は、中世に起源を持つ修道会にくらべ、圧倒的に若くて新しい修道会であった。その若さと新しさゆえに、組織づくりも、宣教の方法も、宣教の地域も、経済基盤のつくり方も、すべて自分たちの才覚と知恵で切り拓いていかなければならなかった。
果たして彼らは、これまでなかったまったく新しい宗教組織をつくり、信徒たちを独自の方法で教育し、非ヨーロッパ世界へと進出していった。そして未知の地を霊的に征服するという宣教のグローバル化を成功させていくわけだが、そこには聖と俗の入り交じった構想力と、それを実現するためのさまざまなイノベーションがあった。
そうした彼らの世界戦略の実践において、宣教師たちの確固たる意志と意識を持続させる装置として、「霊操」すなわちジャーナリングが大きな力を発揮していたのである。

◇ ジャーナリングは資本主義を生む原動力にもなっている

いっぽうのカルヴァン主義については、こちらの教義はけっこう厳しい。

カルヴァンは、職業は神から与えられたものである(職業召命観)として、得られた富の蓄財を認めた。これにまつわる研究をしたのが、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1904~1905年)であることはいうまでもない。

マックス・ウェーバーはカルヴァン主義の倹約的生活精神が資本主義を生んだといったが、この倹約、質素、勤勉、勤労の精神を支えていたのがジャーナリングであった。まさにジャーナリングは、資本主義を生み出す内省的原動力だった。

歴史的名著『プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神』のなかで、ウェーバーはかなりの紙幅を割いてベンジャミン・フランクリンについて語っている。ベンジャミン・フランクリンといえば、アメリカ合衆国の政治家であり外交官であり、いっぽうで避雷針を発明するなど物理学者、気象学者としての科学的業績も残している、まさにマルチタレントな偉人である。
現在の100ドル札にもその肖像が刷り込まれている。

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ウェーバーはなぜ、ベンジャミン・フランクリンに注目したか。それは、アメリカ建国の父でもあるフランクリンのなかに、宗教的な要素(プロテスタンティズム)から資本主義の精神への転換を見出すことができるというのがウェーバーの仮説で、それを証明すべく探求したのだった。
ウェーバーは、フランクリンが体現していたプロテスタントの価値観によって、その意図せざる結果として資本の蓄積が起き、資本主義が萌芽したと考えた。

そして、そのベンジャミン・フランクリンこそ、ジャーナリングの実践者でもあった。毎日、日記をつけるという習慣こそが、彼を成功に導いたといわれる。

◇ なぜジャーナリングは ToDo リストより効果的なのか?

「時は金なり(タイム イズ マネー)」の言葉で知られるフランクリンは日々スケジュールを守り、それを日記に記していた。『ベンジャミン・フランクリン自伝』には、小さな日記帳に、1日の時間割とそのフィードバックを記していた。
そして毎朝毎晩、みずからに問うていたという。

朝には、「今日、どんないいことをしようか?」
夜には、「今日、どんないいことをしただろうか?」

読者の中には「ToDo」リストを作って仕事をこなしている、という人も少なくないかと思うが、フランクリンにいわせれば、ToDo リストでは時間管理はできない。それよりもきちんとスケジュールを記述する方が効果的だ、といっただろう。
その理由は、ToDo リストでは、リストアップされたアイテム(活動やプロジェクト)に固執してしまいがちで、そうなるといつまでも時間を浪費してしまう。それよりスケジュールに即して、それぞれの活動に割り当てられた時間を割くほうが、時間管理を効果的に行うことができるからである。

◇ ベンジャミン・フランクリンの13の徳目

フランクリンはフリーメーソンのメンバーだったといわれるが、今でいえば青年経済団体のようなものだ。
フランクリンには、彼自身が試行錯誤の末に編み出した、良い習慣を身につけるための手順と方法があった。「フランクリンの13徳」である。
フランクリンは自ら設定した13の徳目について、毎週1つずつ「今週の課題徳」を決め、その徳の実践に取り組み、手帳に実行できたかどうかを毎日チェックして書き残し、自分を鍛えたという。

第1 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
第2 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
第3.規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第4 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第5 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
第6 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
第7 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
第8 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第9 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
第10 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第11 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
第12 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
第13 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。
(『フランクリン自伝』岩波文庫、松本慎一・西川正身訳 より)

フランクリンの13徳については、『知識創造の方法論』(野中郁次郎、紺野登、東洋経済新報社、2003)のなかで、「コンセプト創造とその知の日常的作法」として紹介したので、その部分を引用しよう。

フランクリンは現世の幸福を望む者にとって、得を積む事は有利であるという信念のもと、これらを定め、完全に身に付けるべく努力しました。これらはフランクリンが若いころ、発奮して、自らの生来の性癖や交友などを克服し、精進しなければならないと、これらの徳目を樹立したといわれています。(略)日々、知のエクササイズを実践するのは、知のディシプリンのためであり、フランクリンが初期の資本主義の時代に持っていた倫理観と同じく、私たちが生きる「知識社会の精神」に基づくべきものと思われます。はたしてそれが今後どのようなものになっていくのかはわかりません。日々実践あるのみです。(『知識創造の方法論』p.231-232 )

◇ 精神のエクササイズを

ジャーナリングは、前回も書いたように、たしかに現代社会においてはポジティブ心理学における一種のセラピーのようなものでもあるが、根本にはわれわれの精神力を高める、フィードバック、訓練という側面を持っている。

世の中には、創造的で疲れを知らずに仕事をなしとげていく人もいれば、その逆の人もいる。ぼくは自分では後者だと思う。何か思いついても根気がつづかず、まとまりのない感じになって、いつも反省する。自分にないのは「精神力」だ。ジャーナリングはその精神力を維持し高める「秘法」といってもいい。

ジャーナリングは、自らの目的に対しての注意力、集中力を高める修養といった効用もある。もちろんそこまでのことを求めない人も多いだろう。しかし、もし、自分が何かを成し遂げたいと願うなら、ジャーナリングはかなり有効な、精神と意志の鍛錬法でもある。(つづく)


紺野 登
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、18年)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、18年)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、20年)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) などがある。
Edited by:青の時 Blue Moment Publishing

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