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工作舎の隠れ推し本#02 アインシュタインの最初の妻 ミレヴァの生涯『二人のアインシュタイン』

note連載企画「工作舎の隠れ推し本」の第2回は、アインシュタインの最初の妻であるミレヴァの生涯を綴った『二人のアインシュタイン』です。記事の最後に、プレゼント企画の詳細が書いてあります。ぜひご応募ください。


『二人のアインシュタイン』
D・トルブホヴィッチ=ギュリッチ 田村雲供+伊藤典子=訳

朝ドラにはならない人生、だがそれがいい!

「あなたのいない人生を見た 私は輝いてた」
2023年アカデミー賞を席巻した映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の主人公エヴリンは、夫にこう言った。
エヴリンは中国系の移民一世。ランドリー店を経営し、生活に追われている。老いた父親とも一人娘ともうまくいっていない。申告書類の不備で国税局から呼び出しを受けた。
そんな現実から逃避するように、彼女は無限に分岐する多元宇宙にジャンプする。夫との結婚を選ばなかった世界の彼女は、なぜかカンフーを極めて映画デビューし、ゴージャスなセレブ女優になっていた!
現実に戻った彼女は茫然とつぶやく。
「あなたと一緒に行くべきじゃなかった」

19世紀末当時、女性に門戸を開く大学はまだ少なかった。『二人のアインシュタイン』の主人公ミレヴァは、ヨーロッパの周縁地であるセルビアからスイスにやってきて、工科大学で数学や物理学を学んだ。そこで、ドイツからやってきたアルベルトと出会って惹かれ合い、妊娠し、卒業試験をパスできず、大学を中退して彼と結婚する。今風にいえばキャリアパスのつまずきである。
しかしミレヴァは家事や育児を黙々とこなしつつ、アルベルトの立てた仮説を数学的に証明して彼の仕事に貢献する。それが彼女の生きがいとなった。「私たちは二人で一つの石(“アインシュタイン”は一つの石という意味)なのです」と彼女は言った。ここまでは朝ドラが喜びそうな理想の妻そのものである。
彼らのパートナーシップは、アルベルトが特殊相対性理論を発表した1905年にクライマックスを迎える。そして、そのあとの二人の人生はどんどんずれていく。

幼い二人の息子とミレヴァ

アルベルトと正式に離婚したとき、ミレヴァは40代半ばだった。彼女はそれから30年生きる。経済的に常に不安定だった。彼女はその学歴にふさわしい仕事を得ることはできなかった。長男は外国へ行ってしまった。次男は心身に問題を抱えていて、「私が死んだらこの子はどうなるだろう?」と心配の種だった。彼女自身も病気がちで、セルビアの実家もトラブル続きだった。こういう現実は朝ドラにはならない。
クライマックスのその後も人生は続いていく。凡庸に、面倒くさく、汚れや摩耗が少しずつ重なるようにして人生は続いていく。ミレヴァのような優れた才能を持たず、あるいは才能を自覚する機会すらなく、高等教育を受けることもなく、何者かになろうと考えたりもしなかった多くの女性たちと、同じ地面で、同じ歩みで、疲れたり苦しんだりしながらミレヴァは生きていく。本書を読んで私がじわじわと感動を覚えたのはそこだった。
ミレヴァの物語は終わっていない。今も続いている。

本書の著者デサンカは、ミレヴァより2回りほど下の世代の科学者である。セルビア系の両親のもとクロアチアに生まれ、数学と物理学を学んだ。デサンカ自身は大学教授となって学問的キャリアを全うしたが、彼女もやはり「ミレヴァは私だ」と思ったのではないか。この本は、デサンカが「なんとかして彼女のことを伝えなくては」という思いに駆られて書いたものだ。
デサンカは、多大な共感と同情をもってミレヴァを描いているが、だからといってミレヴァの内面に必要以上に踏み込んで「泣きの演技」をさせてはいない。
本書のミレヴァは寡黙である。目立つのがきらいで、無駄な笑顔を見せず、余計なことは語らない。言いたいことはいっぱいあったのかもしれないが。
彼女が多元宇宙に飛んで、ありえたかもしれない無限の可能性を見たとしても、「あの男と結婚していなかったら私はもっと輝けた」とは言わないような気がする。真剣な眼をして、唇をきゅっと結び、多元宇宙論が成立するための数学的証明を思考し始めるような気がする。

スイスの自宅で次男と暮らしていた頃のミレヴァ

ミレヴァについては、2020年にフィルムアート社から復刊されたインゲ・シュテファン『才女の運命』(松永美穂訳)で一章をあてて紹介されている。同書のミレヴァについての記述の多くはデサンカの原著を参照している。また、小林エリカ『光の子ども3』『彼女たちの戦争』などにもミレヴァが描かれている。これらの本でミレヴァに興味を持った方には、ぜひ『二人のアインシュタイン』を読んでいただきたいと思う。(李)


著者紹介

デサンカ・トルブホヴィッチ=ギュリッチ(Desanka Trbuhovic-Gjuric)
1897年クロアチアのクラビナに生まれる。ザグレブとプラハの大学で数学と物理学を専攻。ギムナジウム教師となり、その後大学教授となる。1969年に、ミレヴァ・マリッチ=アインシュタインの初めての包括的な伝記として本書を出版し、アインシュタインの栄光の陰に葬り去られようとしていたミレヴァの復活をはかる。アルベルトとは対照的な資質の持ち主だったミレヴァの人間として、研究者としての魅力を、激動のヨーロッパ事情とともに描きだす。クロアチア語で書かれた本書が1982年に私家版ながらドイツ語で出版され、ようやく国際的な流通の可能性が見えはじめた翌1983年、ベオグラードで逝去。 デサンカもまた早すぎた女性科学者・ライターだった。

書籍情報

『二人のアインシュタイン』
D・トルブホヴィッチ=ギュリッチ 田村雲供+伊藤典子=訳
●本体2400円+税 ●四六判上製 240頁
1995.12
刊行

本書目次

著者まえがき アルベルト・アインシュタインの陰で
1 兵士と入植者
2 少女の世界から学校へ
3 新たな決意・チューリヒへ
4 工科大学:学生生活・アインシュタインとの出会い
  編者の付記 往復書簡の公開
5 南スラブの女友だちとの交遊
  編者の付記 ミレヴァとアルベルト
6 結婚・ベルンでの生活
7 偉大な年「一九〇五年」
8 チューリヒからプラハへ・ミレヴァの孤立と憂うつ
9 三度目のチューリヒ・深まる亀裂と苦悩
10 ベルリン・戦争・別離
11 離婚・ミレヴァの病気
12 父親の死・弟との断絶
  編者の付記 ミロシュ・マリッチその後
13 息子の病気
14 ノーベル賞
15 母親と妹の死・ミレヴァ倒れる
16 孤独な死
編者あとがき ウェルナー・G・ツィムマーマン
訳者あとがき 田村雲供+伊藤典子



プレゼント応募方法

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当選した方には、DMメッセンジャーメールにて連絡いたします。期日は「2024年2月9日(金)」まで。皆様、どしどしご応募ください!

次回の更新は2024年2月9日(金)。紹介書籍は、オスとメスの相互補完的差異の巧妙なメカニズムを浮かび上がらせた『セックス&ブレイン』です!


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