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しめかざり探訪記[2]――山口 一筋ナワではいかない!? 小郡の丸いしめかざり

 今回は2002年12月30日に訪れた山口県小郡町(現在の山口市)の「しめかざり探訪」を振り返る。小郡がまだ新幹線「のぞみ」の停車駅になる前の話である。【前回はこちら

■あすは山頭火の地

 私にとって、小郡といえば俳人・種田山頭火(たねだ さんとうか1882-1940)。山口県に生まれた山頭火は漂泊の人生を送ったが、晩年に6年間だけ小郡の草庵に暮らした。
 私は山頭火の句が好きで句集は事あるごとに読んできたが、この草庵での日々を綴った「其中日記」(ごちゅうにっき)はなぜか読まずにきてしまった。
 しかし今がその時なのだろう。早速本を入手し、満を持して「昭和八年一月一日」のページをめくる。運が良ければ昭和初期の小郡のしめかざりについて書かれているかもしれない。

 「門松や輪飾りはめんどうくさいので、裏の山からネコシダを五六本折つてきて壺に挿した、これで十分だ」(「其中日記」)

 ガクッ。
 出端をくじかれたが、いやいや、山頭火らしい。本質は「形」ではなく「気持ち」にあるということ。少なくとも、昭和8年の小郡に門松と輪飾りがあったことは確かだ。これを収穫としよう。
 ネコシダを挿し終えた山頭火は、その後3日間飲み歩き、踊り続けた。

 気を取り直して、小郡の歴史を下調べしておく。小郡は山陽道の宿場町であり、かつては椹野川(ふしのがわ)の河港であった。明治以降は山陽本線、山口線、宇部線の分岐点となり、水陸ともに交通の要所として栄えた。
 私は、「小さな郡(さと)」という奥ゆかしい地名と、人・モノ・交通が力強く行き交うスクランブル感とのミスマッチを面白がった。きっと今も昔もたくさんの旅人が往来し、様々な店が軒を連ねているのだろう。
 息苦しいほどの雑踏と、踊り歩く山頭火を思い描きながら、いそいそとリュックに探訪グッズを詰めた。

■「橙とミカン」のきもち

 10時14分。小郡駅に着いた。ゴーストタウンだった。

 当時のメモには、小さな文字で力なくこう書かれていた。ショックが大きかったのか、町の風景をほとんど撮影していない。当時を思い起こすと、確かに「スクランブル感」はなかった気がするが、「ゴーストタウン」は言い過ぎだったかもしれない。期待が膨らみすぎた故のこと、小郡の皆さま、怒らないでください。

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↑小郡駅のホーム。現在ではこの駅名標は移動されている。

 とにかく、嘆いても仕方がない。すでに航空代だけで3万円の出費だ。手ぶらでは帰れない。喝を入れて線路沿いを歩く。露店は見つからない。すると重い足取りの先に大きなスーパーが現れた。店の外にはワゴンがいくつか並んでいる。近づいてよく見ると……しめかざりだ! 
 ワゴンには様々なかたちのしめかざりが並んでいる。舟型、メガネ型、鶴型、ゴボウジメに房を垂らしたようなもの。
 中でも興味を惹かれたのは、リース風の丸いしめかざり。

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 装飾の「橙とミカン」の組み合わせが気になる。というのも、しめかざりには「橙を1個」付けるのが一般的だからだ。愛媛や茨城のように「橙を2〜3個」付ける土地もあるにはあるが、小郡のような「橙とミカン」という組み合わせは見たことがなかった。

 この理由をどうしても知りたいと思い、店員さんに作り手を紹介してもらえないかと頼んでみた。しかしダメだった。残念だが、まぁ当然だろう。私はそれらしい肩書きも実績もないただの旅人だ。別の土地では露骨に嫌な顔をされ、店から追い出されたこともある。しめかざりは「文化」であると同時に「商品」だ。作り手が減少している今、同業者かもしれない人間に易々と貴重な仕入先は教えられない。

 ワゴンに戻り、不甲斐なくしめかざりを見つめる。
 すると、大きな橙と小さなミカンが「親子」のように思えてきた。そもそもしめかざりの橙は、音読みが「代々」と通じるため、その家が代々続きますようにという願いが込められている。家長と次期家長、もしくは先代と当代。家族が代々繋がっていくさまを、橙とミカンで表現したのかもしれない。そう思うと、少しだけ作り手と話ができたような気がした。

 今後さらに露店は減り、大型スーパーに吸収されていくだろう。
 しかしスーパーには「作り手」がいない。誰がしめかざりの意味や飾り方、ワラの下準備の大変さ、その土地ならではの風習を伝えていくのだろう。

■素のかたち

 さて、装飾を観察したあとは、土台の藁(わら)の造形が気になってくる。
 そんな時に私がよくやるのは、「装飾を外す」ということ。つまり、橙や裏白など、藁の上に付いている装飾を全て取り去る。そうすることで土台の造形がしっかりと観察できる。
 その丸いしめかざりは装飾を外され、素の姿となった。

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↑正面から見たところ

 正面からみると可愛らしく凛とした佇まい。しかし角度を変えて横から見ると、かなり太い輪が二重にかさなっていて、その突然のボリュームアップに驚く。

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↑横から見たところ

 なぜこのような造形になったのか。正面から見えないのだから、一重でもよかったのではないか。
 しばらく考えて、ハッとした。そうか、左右対称形にしたかったのだ!
藁には「モト(根元)」と「ウラ(先端)」があるため、一重の輪では対称形にならない。そこで、二つの輪を重ねることで左右対称の美しいかたちを生み出した。

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 しかし、製作の労力を倍加させてまで、対称形にこだわったのはなぜか。そこで思い出したのが京都の「鳩」のしめかざり。見た目の印象はかなり違うが、構造は小郡のものと同じだ。面白いのは、飛び出した左右の藁束を「翼」に見立てていること。

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↑京都の「鳩」のしめかざり

 そうなると、この小郡のしめかざりも「翼」を広げた鳥に見えてくる。この場合は「鳩」というより「鶴」だろう。前回の探訪記をお読みの方は「また鶴か」と思われるかもしれないが、ここ小郡も九州ほどではないが「鶴」のしめかざりを見かける土地だ。その可能性は高い。

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↑小郡で見かけた「鶴」

■描くと見えてくる

 結局このスーパーでは7種類ほどしめかざりを購入。
近くの公園にそれらを運び、ひととおり撮影する。

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↑メガネ型。よく見ると小さな梅の枝が挿してある。これで「松竹梅」となる。

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 時間がある時には、走り書き程度にスケッチもしておく。絵にすると曖昧さが排除され、「ユズリハは互い違いなのか」「ワラの輪は単純に重ねているだけではないのか」と沢山の発見がある。

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 しかし公園でこんなことをしている人間は子供たちにとって格好の獲物。
「何これ〜」「何描いてんの〜」と私を包囲し、しめかざりに手を伸ばす。
わああ、今は触らないで、頭に載せないで、橙を取らないで。
 そして母親がやって来て「やめなさい」と小声で言う。私は愛想笑いをして、「不審者ではない」というオーラをしぼり出す。これがしめかざり探訪のデフォルト。

■揺らぐ「青い山」

 公園をあとにし、14時25分発の「おき94号」で益田(島根県)に向かう。山陽と山陰を縦断する山口線だ。
 座席に着いてリュックを下ろすと、思いのほか疲労感があった。結局、小郡ではしめかざりの露店を見つけられず、作り手にも出会えなかった。
 こんな時に必ず浮かんでくるのが、山頭火の有名なこの一句。

 「分け入つても分け入つても青い山」

 この「青い山」は私のリトマス試験紙。
 物事がうまくいっている時には、もう少しで到達できそうな希望の山に見える。しかし気持ちが落ち込んでいる時は、どんなに分け入っても永遠に届かない絶望の山としてそそり立つ。
 今日はどちらに見える?
 山は薄曇りの向こうでぼんやりとしていた。そんな時は淡々と歩を進めるのが肝要。山の天気はすぐに変わる。

森 須磨子(もり・すまこ)
1970年、香川県生まれ。武蔵野美術大学の卒業制作がきっかけで「しめかざり」への興味を深めてきた。同大学院造形研究科修了、同大学助手を務め、2003年に独立。グラフィックデザインの仕事を続けながら、年末年始は全国各地へしめかざり探訪を続ける。著書に、自ら描いた絵本・たくさんのふしぎ傑作集『しめかざり』(福音館書店・2010)、『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』(工作舎・2017)がある。
2015年には香川県高松市の四国民家博物館にて「寿ぎ百様〜森須磨子しめかざりコレクション」展を開催。「米展」21_21 DESIGN SIGHT(2014)の展示協力、良品計画でのしめ飾りアドバイザー業務(2015)。2017年は武蔵野美術大学 民俗資料室ギャラリーで「しめかざり〜祈りと形」展、かまわぬ浅草店「新年を寿ぐしめかざり」展を開催し、反響を呼ぶ。収集したしめかざりのうち269点を、武蔵野美術大学に寄贈。
2020年11月には東京・三軒茶屋キャロットタワー3F・4F「生活工房」にて「しめかざり展 渦巻く智恵 未来の民具」開催予定。
https://www.facebook.com/mori.sumako


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