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しめかざり探訪記[1]―――鹿児島  「ナンゲンノガホシイノ?」

お正月になると家の内外に掛けられる「しめかざり」。新年の福を授けるトシガミ様をお迎えする標(しるし)とされている。しかし、そのかたちが地域や家によって大きく異なるということは意外と知られていない。私はそんなしめかざりの多様性に魅せられて、この20年ほど日本中を歩いてきた。先々で書いた当時のメモをもとにしながら、「しめかざり探訪記」として振り返ってみたい。
第1回目は17年前の鹿児島から。この頃は私も若く元気だった…。

■作り手自身による露店

 2003年12月29日。午前9時5分発のJAS573便で羽田から鹿児島へ向かう。20Lのリュックの中には、一眼レフカメラ、カロリーメイト、しめかざり用の梱包道具、そしてリバーサルフィルム(PROVIA 100F)が15本入っている。フィルムはかさばってしょうがなかったが、当時の私はまだデジカメの性能を信じられずにいた。

 午前10時55分。空港に到着。暑い! 今日は最高気温18度まで上がるらしい。ダウンを着込んだ私には暖かいというより暑いという感覚だ。おそらく日本人の「正月」のイメージも、北と南ではだいぶ違うのだろうと想像する。

 まずはバスで西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)へ。駅前では年の市が開催されていた。豚の角煮が大きなブロック(断面の横幅30cmくらい)のまま並び、さつま揚げも山積みにされている。魚屋では立派なキンメダイやマダイが何匹も並び、その赤くキラキラした鱗の波が私を高揚させる。さあ、肝心のしめかざりはどこに?

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 道端のちょっとした空きスペースにゴザやダンボールを敷き、農家単位でしめかざりの露店が出ていた。親子孫の三世代で営んでいるふうのお店や、老夫婦二人で出している店など様々。なによりありがたいのは、どの露店も「作り手自身」が店を出しているということ。そのおかげで、露店に並んだしめかざりの意味や使い方を、作り手に直接尋ねることができる。

 当たり前のように思うかもしれないが、東京では必ずしも「作り手=出店者」ではない。それは昔から「藁の本体部分を作るのは農家、裏白や橙などの飾りを付けて販売するのは鳶(火消し)」という文化があるからだ。

■まるでブーケのよう

 東京の話は別の機会にして、今日は鹿児島。少し離れたところに、一人で店番をしているおばあさんがいたので近づいてみる。そして店に着いたとたん、私は心の中で叫んだ。「なに!? このかたち!?」驚きすぎて笑いそうだった。

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 そのしめかざりはブーケのような形状で売られていた。東京のしめかざりを見慣れた私には理解不能のかたち。平静を装う私に、おばあさんは「ナンゲンノガホシイノ?」と言った。当時まだ「しめかざりリテラシー」の低かった私には宇宙語に聞こえたが、今ならわかる。おばあさんは「何間のが欲しいの?」と言っていたのだ。1間は6尺で約180cm。つまり、しめかざりは色々な長さがあるから、あなたの家の間口が1間なのか2間なのか半間なのか教えなさい、ということだった。

 自宅の玄関の幅を「間」で言えずにモジモジする私の横で、地元の人が「1間と半間を2個ずつちょうだい」とサラっと言った。玄関だけでなく、家にある様々な入口の数とその長さを把握しているだけで、「きちんと家を見ている人」という感じがしてカッコよかった。しかしこれが鹿児島では当たり前。

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 ところで、まだブーケの形状の謎が解けていない。早速おばあさんに尋ねてみると、このしめかざりは渦巻き2個が1セットになっていて、使用する際には渦巻き部分を左右に開くそうだ。だから購入時に「間(ケン)」の情報が必要だった。

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■「鶴」ではないの・・・?

謎が解けてこれでスッキリするかと思いきや、また新たな謎が生まれてしまった。そもそも、なぜ二つの渦巻き(前垂れ)を合体させたのか。一つの渦巻き(前垂れ)だけでも、1間や半間など好きな長さを作ることができたはず。おばあさんはこの「二つの渦巻き」の理由はわからないと言ったが、私が思うに、このしめかざりは「鶴」を象っているのではないだろうか。左右に伸ばした前垂れが翼となり、中央に付いた橙が鶴の頭となる。この仮説の根拠は、全国的にみて九州には「鶴」のしめかざりが圧倒的に多いということだ。

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↑福岡県福岡市の尾の長い鶴のしめかざり

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↑熊本県球磨郡の「双鶴」(左右80㎝)のしめかざり

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↑天地約110㎝の大分県由布市の鶴

 この鹿児島の露店でも、あのブーケ型とともに様々な鶴のしめかざりが並んでいる。鶴は長寿の象徴であり穀霊神としての側面もあるため、しめかざりのモチーフとしては珍しくないのだが、それにしても九州のバリエーションの多さには眼を見張る。いまのところその理由は不明だが、個人的には九州の稲にヒントがあるのではないかと思っている。

 さて、いくつかの露店を回って大小様々なしめかざりを購入し、その大荷物を抱えて鹿児島の名勝、仙厳園(せんげんえん)と重富荘(しげとみそう)に向かった。歴史ある建物には昔ながらのしめかざりが掛けられている可能性が高いからだ。実際、仙厳園も重富荘も先のブーケ型と同じ構造のしめかざりだったが、両脇に控える立派な門松と相まって、とても壮麗な印象を受けた。こうなると、「松林を越えようとする鶴」に見えてくる。

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↑薩摩島津家別邸、仙厳園

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↑島津家ゆかりの別邸、重富荘

■最近の「お飾りカード」

 その後も周辺のしめかざりをバタバタと撮影し、近くにある磯工芸館で大好きな薩摩切子を一瞬だけ愛でたあとは、もう時間との勝負。1時間以内に本日収集したしめかざり達を梱包して自宅に発送せねばならない。しめかざりは大きいのでコンビニのダンボールでは小さすぎる。商店街をまわり、煎餅屋さんでどうにか大きな箱をゲット。店舗脇の駐車場で瞬時に梱包し、コンビニへ走って発送完了!

 こんなに急ぐのは電車の時間があるからだ。今晩は長崎に宿泊するため「つばめ20号」に乗らねばならない。汗だくで西鹿児島駅に戻ると、売店の「とんこつ弁当」に釘付けとなった。そうか、昼食を食べていなかった! 買おう、買おう、とんこつ弁当。今日はカロリーメイトに手をつけずに済む。

 とんこつ食べて日が暮れて。途中、鳥栖(とす)駅で特急「つばめ」から「かもめ」に乗り換えると、隣に座った50代くらいの女性が話しかけてきた。阿久根(鹿児島県)での墓参りの帰りで、福岡まで行くという。その女性は「しめかざり」に特別な興味があったわけではないが、阿久根の街でしめかざりを全く見かけなかったことを不思議におもい、タクシーの運転手にその理由を聞いてみたそうだ。運転手は言った。「最近は皆、印刷されたカードを玄関に貼るんですよ。」 

 この「カード」は、「お飾りカード」や「紙門松」などと呼ばれ、高知、岡山、千葉、北海道など、他県でもよく見られる。多くは短冊状の紙に門松が描かれ、それを自治体が配布したり、HPからダウンロードしたりする。わざわざ自治体が「カード」を配布する理由は、緑化推進(松林の保護)、ゴミの減量、家計の負担軽減、など様々。

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↑参考:千葉県某市の門松カード

 核家族やマンション住まいが増えたことも要因の一つだろう。一概に良し悪しは言えないが、このカードを貼る人の多くが「じゃあ、しめかざりは飾らなくていいや」と考えることは想像に難くない。「阿久根でも、私が小さい頃はしめかざりを飾っていたと思うのだけど…」とつぶやく女性の頭の中に、数十年前の阿久根の街が広がっているのを感じて、私もノスタルジックな気持ちになった。

 20時56分。「かもめ」が長崎駅に着く。明日はどんなしめかざりと出会えるだろうか。


森 須磨子(もり・すまこ)
1970年、香川県生まれ。武蔵野美術大学の卒業制作がきっかけで「しめかざり」への興味を深めてきた。同大学院造形研究科修了、同大学助手を務め、2003年に独立。グラフィックデザインの仕事を続けながら、年末年始は全国各地へしめかざり探訪を続ける。著書に、自ら描いた絵本・たくさんのふしぎ傑作集『しめかざり』(福音館書店・2010)、『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』(工作舎・2017)がある。
2015年には香川県高松市の四国民家博物館にて「寿ぎ百様〜森須磨子しめかざりコレクション」展を開催。「米展」21_21 DESIGN SIGHT(2014)の展示協力、良品計画でのしめ飾りアドバイザー業務(2015)。2017年は武蔵野美術大学 民俗資料室ギャラリーで「しめかざり〜祈りと形」展、かまわぬ浅草店「新年を寿ぐしめかざり」展を開催し、反響を呼ぶ。収集したしめかざりのうち269点を、武蔵野美術大学に寄贈。
2020年11月には東京・三軒茶屋キャロットタワー3F・4F「生活工房」にて「しめかざり展 渦巻く智恵 未来の民具」開催予定。
https://www.facebook.com/mori.sumako


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