大阪の文化におけるスーパースターの不在と維新政治/労働者の政党は必ずしも社会主義ではない

7月13日(土)曇りのち晴れ

今朝は起きた時けっこう涼しくて、最近は起きたらすぐ居間のサッシを開け放して空気を通すのだが、それをやると寒くなってしまったので、今は襖を閉めている。今朝の最低気温は17.9度、20度を切るのは久しぶりだと思う。起きたのは5時少し前だった。

なんとなく身体的にも精神的にも不調で、困ったなと思いつつ少し座っていたのだが、5時過ぎに車で出かけて職場を少し整えた後、隣町にガソリンを入れに行った。ここのところはずっと土曜日に給油しているのだが、最近は三千円にいかない感じだったのだが、今日は三千円を少し超えた。BOSSのカフェオレとタコとブロッコリのバジルサラダを買い、レシートを見せてボックスティッシュをもらった。そのまま丘の上の方に車を走らせてデイリーで塩パンを2個買い、ちょっと気分を変えたいと思って病院の方に車を走らせる。ここの病院では祖父と父と叔父が亡くなっているのでどうにも自分には死のイメージがあるのだが、従姉妹が子供を産んだ病院でもあり、もちろんそれは私の勝手なイメージではある。

山の麓の方まで車を走らせ、谷間の小さな集落の道を走り、大きな観光道路との合流点の交差点に出て、市内の道に曲がって駅前に出る。工事中だったがちょうどこちらを通してくれたのでノンストップで通過できた。そのまま国道に戻って帰宅。

ネットをいろいろみていて、大阪の文化のことについてのツイートなどを読む。大阪の文化というのはハイソサエティの方は基本的に船場の文化、つまり塩爺こと塩川正十郎さんに代表される上品な文化があるのだが、一方では労働者として流入してきた多くの人たちに支持されるいわゆる「大阪らしい」文化、吉本とかたこ焼きとか阪神などの文化がある。

維新の大阪府・大阪市政権はこういう大阪のハイカルチャーに対して攻撃的で、文楽や美術館系の文化のリストラをしたことで文化人方面からは批判を浴びているが、一方で大衆文化を支持する数に勝る大阪土着でない人たちからは喝采を浴びている、ということはあるようだ。

つまりは「タテマエよりホンネ」が大事だという、現在大阪に暮らしている人たちの庶民ないし市民感覚に合うのが維新の政治ということで、これは「オール沖縄」で沖縄自民党を打ち倒したデニー知事のやり方と似ていると言えば似ている。ただ大阪の場合は、ハイカルチャーの土着エリート層およびそのポリコレ的運用によって既得権益を受けてきた人たちに対する反感のようなものが「(現在の)大阪人のホンネ」みたいな形で出てきている、ということなのだろうと思う。奈良県の維新知事の民俗資料館縮小の主張や、維新の兵庫県知事のパワハラ問題などもそういう新しい形の「ホンネ」みたいなものとして現象していることなのだろうと思う。

大阪の文化の代表例、みたいな者を今考えていたのだが、阪神・吉本・宝塚、ということになるだろうか。宝塚はある程度は関西のハイソサエティ文化の残存と言えるとは思うが、阪神や吉本のコンテンツとしての隆盛は昭和後期以降、特にテレビ文化の隆盛によるところが大きいだろう。

民俗資料館などは関東にもよくあり、私も時々行っていたが、それなりには客は入っているし、いろいろと面白い。東京あるいは周辺の県では文化的なものはむしろ集客に役立つものと認識されているようには思う。それはもちろん、東京とその近県にはそれを消費するいわゆるインテリ層がそれなりの数でいるということだろう。現代美術の展覧会などをみに行ってもこんなに客がいるのかと思うくらい混んでることが多く、これだけ集客するならコンテンツとして十分成り立っているよなあと思う。

東京のリベラルエリート世界というものがあり、蓮舫さんを支持したのはそういうあたりが中心だったと思うが、今回は特に闘争的な集団を呼び込んでしまったことが失敗の一つの理由だったと思うけれども、ある程度は東京はそういうエリート的な好みというものがまだまだコンテンツとして成り立つ場所であり、80年代や90年代に比べれば衰退したとはいえ、それは年齢の高い層から見ればそう見えるけれども若い層から見ればそういうものに触れたければ東京、というものはまだまだ維持されているだろうと思う。

しかし、文化の面で東京と大阪がどちらが優れていたか、というようなことを考えてみると、最初から東京であったわけではもちろんない。江戸時代の上方中心の元禄文化、江戸中心の化政文化という括りがあるが、特に食文化に関してはたこ焼きなどではない上流階級の食事にしても上方の方が優位な状況はずっと続いていたことは、美味しんぼの読者であればわかる。江戸前鮨などの江戸の食文化が隆盛してきたのはやはり東京に金も人も集まるようになってきたことと当然ながら関係があるわけである。

幅広い演劇文化にしても、宝塚が関西で栄えたことからわかるように、大阪の方が優位な状況というのは戦前にはあったと思う。戦前の大阪のスーパースターといえば、歌舞伎の初代中村鴈治郎がいた。大阪の成駒屋である。彼の明治後期からの人気は凄まじく、私が彼について述べられた言葉で一番印象に残っている句に「ほっかむりの中に日本一の顔」というものがある。鴈治郎の系統は孫の坂田藤十郎名跡を復活させた、私のイメージで言えば中村扇雀とその子たちに受けつがれている。

戦後の大阪には「大阪らしい二枚目」、例えば東京の石原裕次郎に対抗しうるような大阪のスター、というものがあまりイメージがない。市川雷蔵は大阪の人だが、亡くなったのは東京だ。

大阪の文化的雰囲気というのは、阪神にしても宝塚にしても吉本にしてもある種の熱狂があり、これは戦前の鴈治郎に対するものもまた似た熱狂があったのではないかと感じられる。文化の下剋上というものはどこでも起こり得るものだけど、大阪の文化には中心になる二枚目(大阪だとどうしても二枚目半的になる感じはあるが)のスーパースターが欠けていたのかなあという気はする。その役割を実は現在では維新の政治家たちが担っているのかもしれないとも思う。

アカデミズムにしても、ノーベル賞を多数取った京大理系だけでなく、文系学問でも京都学派や今西グループなど、京都にはスーパースターと言える人たちがいた。梅原猛や司馬遼太郎などの文筆家もいた。日本的なものを書くなら東京よりも京都や大阪の古書店の方に資料として価値があるものがより多いということもあり、その辺りに彼らの優位があっただろうと思う。

大阪や京都でそうしたエリート文化が衰退していくと、東京でももちろん衰退しつつあるのだけど、比較優位的に東京にしかそういうものが残らなくなってくる可能性があり、それもまたあまりいい事態ではないだろう。

大阪の維新文化というものをそのように考えてくると、本質はやはり反解放同盟のような元祖公金チューチュー問題だけでなく、反エリートの、そういう意味ではポピュリズム的なものが強いのかなと思われてくる。東京でも惨敗した蓮舫候補以上に得票した石丸候補の人気にはそういう部分はあるのかもしれない。

ただ、東京は東京に来たくて東京に集まってきた人たちによって成り立っている都市だから、いろいろな意味で東京らしさが失われることを望んでいる人たちはあまりおらず、その意味で現状維持的というか、「現職知事は落選しない」という伝統のようなものが作られてきているということはあるだろう。

現代において、保守リベラル双方のエリート層はまだまだ必要だと思われるし、それに対して大衆の本音を反映したポピュリズム政党もまた民主主義の本義として存在意義はあるだろう。ポピュリズムの中からしか生まれてこない価値のようなものもあるようには思う。いわゆる反体制的なものがこれからどれだけ必要とされていくのかはよくわからないのだが。


国民民主党は労働者の政党だ、という指摘があって、それについて考えていたのだが、自分のイメージの中では国民民主党は小池知事の「希望の党」の生き残りのうち、保守的な部分が集まったものというイメージがあったので、労働者の政党というイメージが薄かったのだなと思った。

ただ、国民民主党のホームページなどを改めて見てみると、確かに労働者に配慮した政策が並んでいる。「給料を上げる」が政策トップに来ているということは、働く人、勤労者のための政党だという主張だろう。「生活者」「納税者」「働く者」の立場に立つというのは、あえてその言葉は避けているが、「労働者の立場」ということを言いたいのだ、と言われてみれば思う。

いずれにしても源流は1993年の細川内閣の非自民非共産の八党連立政権(日本新党・さきがけ・社会・民社・公明・社民連・新生党・民政連)に遡るわけで、そういう意味では社会党系の総評などの現在の連合に至る流れ、民社党系の自動車総連などが支持母体であったわけだから、この流れを汲むものとして労組の支持もある程度はあるのはある意味当たり前なわけだ。

ただなぜ国民民主が労働者の政党という感じがしなかったのかと考えてみると、国民民主が言葉として「労働者」とも「社会主義」とも標榜していないからではないかと思った。ただ、国民民主党内の政策グループとして民社党の流れを汲む民社協会が残っているし、民社党は右派イメージが強いが社会主義インターナショナルにも参加していたれっきとした社会民主主義政党ではあった。(現在日本で参加しているのは社会民主党のみ)

労働者の政党の主義主張というと社会主義、というのはこれは特に我々の世代までの強い刷り込みであって、元々は産業資本主義の成立とともに発生した労働問題というものの解決策の一つとして社会変革を伴う社会主義という思想が出てきたというのが正しい経緯であり、労働者が抱えている問題があったからこそ社会主義が生まれたわけである。最近ではサンシモン主義の復活というのもどこかで読んだことがあるが、労働問題の解決方法というのは社会主義だけではないし、ましてやマルクス主義=共産主義だけでもない。だから現代の労働者のための政党が社会主義である必要は全然ないわけで、全米トラック協会などはマフィアが牛耳っていたという話もあった。

また民社党にしろ国民民主党にしろ、防衛政策は時には自民党よりも強硬な主張をする場合がある。もともと防衛政策などは労働問題と関係ないのだから、国民意識が強い労働者集団であればより強硬な主張をしても何らおかしくはないわけである。民社党に至る戦前の社会主義者たちの中には近衛新体制の中で国家総動員政策に従事した人も多かったわけであるから。

まあそう考えてみれば、現代の国民民主党が社会主義的でない労働政策を主張する労働者の政党として成り立つ余地は十分にあるわけだ。所得格差の是正など再分配政策という点ではアメリカの「リベラル」と同じ方向であり、維新的な公務員しばき主義とは一線を画すものがあると言えるだろう。

立憲民主党がリベラルの中でもポリティカルコレクト主義の、アイデンティティ政治やマイノリティ重視政策に走りがちで、今回も蓮舫陣営を挟んで共産党と連携するなど、共産党と敵対してきた連合の不興を買っている面がある。ポリティカルコレクト主義でもしばき主義でもない労働者の立場に立った有能な若手政治家をどう発掘していくかというのは国民民主党にとっては重要な課題だろう。

自民党はその成立の経緯から言ってエリート層・保守層をバックにしているわけだけど、当然ながら勤労者の中にも多くの支持者を持つ。ただ、「自民党員」になる人たちというのは普通の意味での労働者はそんなに多くない印象はある。

資本主義社会において企業経営の好調さが社会の安定に大きな役割を果たすのは間違いなく、自民党が長期間にわたって政権を握ってきたのはその意味では当然なのだけど、そこで起こった歪み、社会労働問題の是正という点で、労働者側の政党が政権を担うべき時期はあるかもしれない。ただそこでアイデンティティポリティクスに走ることは日本にとっては必要ないことなので、その点において立憲民主党その他は不適格だろう。いたずらにそちらに走らない政党としては国民民主党しかないわけで、確かにその役割は重要だと言えるだろうと思う。

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