「教養」と「知的生活」と「日本人のアイデンティティ」と「世界の指針」

11月10日(金)曇り

昨日は午前中に整体に出かけ、特に目をやってもらったのでだいぶ楽になったというか、見えるようになった感じがする。目はどうしても酷使してしまうので、手入れが必要だなと改めて思った。


教養の問題と保守の問題というのは自分が考えていく二つのテーマかなと思っているのだけど、「教養主義の没落」や「アメリカの大学生が学んでいる本物の教養」を読んだりして考えているうちに、「教養主義の部分的復活」、みたいなものとして渡部昇一「知的生活の方法」が一つのきっかけとしてあったのではないかとふと思った。

この本は左翼運動やコミューン運動などに携わっていた父がその方向性の行き詰まりを感じていた時にこの本を読んですごく救われた、ということを言っていて、自分にとってはそういう本として記憶されているものなのだが、竹内洋「教養主義の没落」では全く触れられてなかった。竹内氏の中では「教養」と「知的生活」というものは切り離されているものと認識されていた、ということなのかなと思う。

しかし私などの目から見たらその違いはニュアンスの違いであってそう大きな違いとも思えない部分もあるが、この辺り「教養」から「知」へ、という概念の移動があったのかなという気はする。それらについては梅棹忠夫の「知的生産の技術」とか、戦後しばらくして出てきた言葉である印象がある。

「教養」になくて「知」にあるのは「実用性」だろうか。そういう意味では大正教養主義から福澤諭吉の「実学」志向への復帰、みたいにも考えられる。ただ「教養」にあったアイデンティティ志向が「知」にはあまり感じられない。「われわれは何者か、どこからきてどこへいくのか」と言った考えが「教養」には明らかにあるが(その際たるものが「君たちはどう生きるか」だろう)「知」には必ずしもないように感じられる。知にももちろん哲学や宗教が含まれてはいるが、主体的にそれらに関わる(その哲学を信奉したり宗教を信仰したりするという意味で)というよりは客観的にそれらの現象を見る、という印象がある。

この「知」に対する見方には、その個人の見方というものもあるが、世代的なものもあるように思う。梅棹ら今西門下の京大学派には「教養」は当然の前提として、例えば戦前の旧制高校的な「教養」が「戦争を止められなかった」という反省のその先に新たな知の可能性を見出そうとする、という意味での「教養という前提」があったような気がする。

それに対して、青年期に敗戦を経験した渡部昇一の世代には敗戦による日本のアイデンティティ消失に対する強いルサンチマンがあるように思う。これは石原慎太郎や江藤淳も同様だろう。その辺は大人で終戦を経験した福田恒存の世代とはまた違う保守志向があり、学生運動の激動を経験した西部邁の世代になるとまたその受け取り方も変わってくるように思う。ただ、基本的に「教養」というものに対する信仰というか少なくともその信仰の残滓は残っていたように思うが、一貫して日本に対するアイデンティティの回復を目指す志向はあったのだろう。

日本人は日本論、日本人論が好きだとよく言われた。今でもそうなのかはわからないが、戦前教育で確立されていた日本人観が戦後否定された時、「それではわれわれ日本人とはどういう人たちなんだろうか」ということを問いたい、知りたいという強い気持ちがそうした現象を生んだのだろうと思う。

司馬遼太郎の小説が読まれたのもまた同じような欲求からだったと思うし、「菊と刀」「ザ・ジャパニーズ」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などの外国人による日本人論が読まれたのも逆に自分たち自身による日本人観に自信が持てず、外国から評価されることで安心する、みたいなところがあったのだろう。それだけ敗戦によるアイデンティティの喪失は尾を引いたのだと思う。

一方で、その日本人評価に対する逆張りの形で左翼方面からいわゆる「日本人=悪」という自虐史観が生まれてきて、強い力を持つようになった。それは私たち1960年代生まれにとっては大きな重石というか足枷のようなものとして強く感じられていた。われわれの世代の保守志向は大学キャンパスや高校までの教育課程における左翼支配に対する幻滅や反発というものがかなり強い契機になっているなと思う。

その後も共産主義の崩壊や社会党政権・民主党政権への激烈な低評価、また現実の共産主義国家による虐殺や拉致などへの反発、という「反発という形の保守意識」は生まれ易くはあったがだからと言ってアイデンティティの確立は上手くはいかず、「天皇は左翼」というような倒錯した発言も見られるなどの混乱が出てきたりもしている。それは今はフェミニズムやポリコレの自治体・社会レベルへの浸透やその暴虐ぶりへの反発という形で続いている。

日本の保守がなかなか強い力を持てないのは、リベラルな環境の中で育ってきたわれわれが世界的に保守を成り立たせてきた宗教的な訓練や教育、忍耐などの美徳に耐えられないというところもあって、保守を称してもどうしても薄味なリベラル風味の「保守っぽいもの」の限界を超えられない感じがあるのだろうと思う。

そういう意味では日本の保守には(保守だけではないが)思想的なバックボーンというものがどうしても弱い。というか、日本はキリスト教のような強力な保守思想のバックボーンになるものが元々強いとは言えない。おそらくはそのために剣術とか軍事技術とかそういう政治行動を支える軍事的技術、あるいは「政治」そのものに重きを置く傾向が強いのだろうと思う。思想は動き出したら急には止まれないし旋回もできないものだが、(イスラエルの「やりすぎ」を見ているとよくわかる)日本の明治維新や敗戦後の大きな転回を見ていたら「これが天下の大勢である」というのが示され浸透したらあっという間に世界が変わってしまうという「思想より政治」みたいなところが日本ではとても強いと思う。

それは柳に風の柔軟性でもあるけれども、自分たち自身からしても自分たちが信用ならない、みたいなものも生み出している感じはある。

この日本人の思想的バックボーンの不足、みたいなものはこれだけ世界が変化している、その変化の激しさの中で日本人の対応力の弱さ、みたいなものを生み出している感じがする。技術志向の強さが高度成長の時代にはうまくハマったがIT化の時代には空回りしているみたいな感じとか。

よく言われるように、「思想に目が眩んでいるから現実を捉えられない」、ということも確かにあり、その面で右にしても左にしても思想が攻撃されているということはあるのだけど、逆に「思想がしっかりしていないから急激な変化についていけず自分を見失う」、ということもあるわけで、現代の日本の問題はむしろ後者なんだろうと思う。ソ連が崩壊して左翼的なロシアは無くなったのにいまだにロシアにこだわる左翼の人々などを見ていると、利権的なものもあるのだろうとは思うが「変化についていけない思想的貧困」の方に問題があるようには見える。

教養というものは自分を確立する、そういう意味での思想を確立するために重要なものなわけだけど、日本人はそれをむしろ「知」という方向に解体してしまった、ということなのかもしれない。アメリカなどは常に「自分たちはどちらの方向を向くべきか」といった国家戦略、軍事戦略、世界戦略を見直して、それに対して知識人と言える人たちは皆それなりの意見を述べられるわけだけど、日本はその国家戦略みたいなもの自体が共有されてない。

いわゆる「骨太の方針」みたいなもの(名前がダサい)もそれは省庁間の利害調整みたいな矮小なものになってしまっていてつまらないし、防衛計画大綱みたいなものも一般の知識人でちゃんと読んでいる人は少ないだろう。

教養というものの前提は、「世界は多様である」「世界は変化する」ことであり、それに対して「自分の何を変化させ何を変化させないか」を常に振り返ることだと思うのだけど、そこで原理原則から思考できず、技術に(つまり小手先の政治や軍事や経済的援助に)頼りすぎるのが日本の弱点なんだろうなとは思う。

なんか書こうとして忘れてしまったものもある(二つのことを同時に思いつくとどちらかを書いているうちにもう一つを忘れることがよくある)のだが、まあまた出てくるのを待つしかない。

日本のバックボーンというものについては、「天皇制ファシズム」だとか「超国家主義」だとか「国家神道」だとか呼ばれて(少なくともファシズムという評価は間違っている)きたものを、つまり明治維新以来日本が作り上げようとしてきたものをもう一度肯定的な角度を強めに振り返ってみることが大事だと思うのだが、日本の保守について書いてみると常に行き当たるのはその鵺(ぬえ)的な性格であって、ただそうした性格自身もより肯定的に見ていくべきなのだろうという気はしている。。

これはアメリカ社会がサラダボウルとかメルティングポットとか言われているのと似ているが、アメリカ社会を主導する思想はやはり綿々と受け継がれてきたものの方が重要で、日本についてはその思想のルーツの多様性が乗り越えるのが難しいところであり、思想性の多様性の中の統一みたいなものなんだろうと思うが、まあちょっと考えていかないとな、と思っている。

まあそう考えてみると井上円了などが苦労したのもそういうところなのだろうと思うし、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したりしたのもそういう礎にしたかったのだろうと思うが、この中にも日本人が入ってないのもまあ問題なわけで、なかなか難しい事業であることは間違い無いだろうなとは思う。

もし、そういう思想的バックボーンみたいなものを再建するのが難しかったとしても、そういう中でわれわれ日本人が生き残っていくための指針みたいなものを作ることが大事なのかもしれない。いろいろな可能性を考えながら考えていきたいところではある。

また日本人ローカルな思想だけでなく、世界の指針として語れるのようなものもまた考えていくべきだろうとも思う。

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