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変わること、変わらないこと

年末の29日と30日にかけて東京へ。
大学時代の同期たちに会うのが目的。ひょんなことから忘年会が企画されたのだった。

宮崎・羽田の両空港が激しく混み、チケット代も高くつくこの時期になんで向かったかと言えば「会いたかった」からの一言に尽きる。一泊二日の短い日程だったが、チケット代が高くついても申し分ないくらい濃い一日だった(在京していた29〜30日のあいだはほとんど寝ていないので、一泊二日とは言えども感覚上は文字通りの「一日」だった)。

2008年の4月に僕らは出会い、2012年の3月に散っていった。
2018年は出会って10年の節目。あのころ、20歳そこそこの世間知らずでナイーブだった僕らは、いつの間にか三十路になっていた。単位取りやアルバイトを気にかけ、恋愛ごとに悩み傷つき、これからの人生を希望と絶望の天秤にかけてはかっていたあのころ。心を砕くことはそんなことばかりだったが、10年の歳月が流れれば、関心ごとももっと別のことへ移り変わっていく。働くことが生活の中心となり、人によっては結婚をし、子どもが生まれ家庭を持つ。人と人との関係性や、状況の変化によって悩むことも傷つくことも、そしてなすべきことも変わっていく。言い方によってはそれを「成長」や「大人になった」と表現するのかもしれないが。

忘年会に来ていた同期は10数名。もっと少ないと思っていたのでなかなか上出来。
2年一回くらいは顔を合わせている者、卒業以来会っていない者、よりどりみどり。
10年も経てばみんなオッサンオバサンに片足突っ込んでいるから、それなりに見た目が変わってしまっているだろうと思っていた。

しかし、予想を反しみんな変わっていなかった。いや、本当に。そのことに爆笑する一同(メンズは誰もハゲていなかった)。
そして、中身だって成長したのかと思いきやまったく変わらず。それはみんな一緒だった。
「なんか別れて半年くらいな気がする。え、10年も経ったけ!?」
そんな言葉が誰かの口から出てきた。いや、本当にその通りだった。

年齢を重ねているのは確実だ。意外にも(?)結婚している者が多かったし、子どもがいる者、もうすぐ出産を迎える者も。会社で管理側の人間をしていたり、バリバリの営業マンだっているし、フリーランスで働いていたりと働き方だってさまざまだ。一人ひとりの人生が同じ道ではなくなり分岐するようになってきた。

しかし、それにもかかわらず大学時代のメンバーがそろってしまうと「あのころ」と変わらないものがそこにはあった。成長していくにつれて、さまざまな「顔」を持つようになっていくが、大学時代のメンバーと対面した途端に、僕も彼らもその当時の顔が姿を表す。関係性は何も変わらないままだった。違う姿や内面になっていることを期待するけれど、そんな簡単に変わるものではない。でも、案外その期待の裏切りに心が救われたりする。

もちろん変わっていることだってある。
それぞれ違う人生を歩むようになって、その経験に裏打ちされた発言の説得力のあること。話していて自分の変わっていなさがちょっと恥ずかしくなったりもした。
そしてなにより、意外とみんなドラマチックな人生を大学卒業後に歩んでいる。ドラマに映画や小説ができそうな物語。そんな物語をみんな持っていた。ドラマみたいな出来事って実はそこらじゅうに転がっているし、多くの人が経験しているもののようだ。

「20歳のあのとき、10年後の30歳はもっともっと大人になっていると思っていた。でも、案外変わらないものだね」

みんな、そんなもんではないだろうか。
何年経とうが、どんな経験を積んでこようが、変わらないものは変わらない。
ただ、それは決してネガティブなことでない。いつまでも子どものような幼さと、痛々しい若さを持ちづける中で、いろんな経験を自分のフィルターを通して経験していく。それがその人の個性と魅力になっていく。

変わらないんだけど、確実に人間としての魅力をは増している。
そんなことを久しぶりに会った一人ひとりと話していて思った。

さらにまた10年後の僕は変わっているだろうし、変わっていないだろう。
そんときはよろしく! 40歳の自分。

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