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文句ばかり言っていたあの人にとって世界はどう見えていたのか

昔、文句ばかり言っている人との付き合いにとても悩んだことがある。逃げ出すしかないくらいに悩んだものだ。

今思うと、その人は
「正しいのは自分なのに、誰もわかってくれない」
という思いでいっぱいだったと思う。

正しいはずの自分を、皆が「そうじゃないだろう」と否定し、文句を言えば「あぁはいはい」と適当にしか聞いてもらえず、時にはたしなめられる。
だからますます「私のほうが正しいのに」「私の正しさを認めなさいよ!」と怒りが募っていく。

そういう毎日は、すごい苦しいと思う。

コロナ禍で、正しいことをしていても報われない、これまでの常識が通用しないということを、私も経験した。そういう人はたくさんいて、特に医療職をはじめとしたエッセンシャルワーカーのみなさんは、正しいこと、人の役に立つことをしているのに、報われないという思いでいっぱいだったことと思う。

これまでの常識が通用しない日々のなかで、唐突にあの人のことを思い
「あぁ、あの人にとって、人生はままならないことばかりだったのだろう」
と唐突に感じた。

もちろん、その人の「正しい」という思いは、客観的な位置から見れば「ずれている」。それは改めるべきことだし、その人が改めない限り、他の人や世間とはずれまくる日々が続く。それは、その人の問題点でもある。

自分が苦しいからといって、他の人を巻き込んでいいわけじゃないし、その人の正しさや苦しさに巻き込まれた側が、逃げ出すのはまた自由だ。そうやって、その人の周囲から誰もいなくなってはじめて、「おかしいのは自分かもしれない」と気づくこともあるだろう。

ただ私の個人的な問題として、その人にとっての苦しさ、なぜ文句ばかり言わずにいられなかったのか、なぜ周囲に認めさせることにあれほどこだわったのか、そのようなことが、腑に落ちる気がした。

その人は、(主観的には)本当に苦しい日々を送っていたのだろう。その苦しさの源がどこにあるか気づいて初めて、苦しさから解放されるわけだけれど、「周囲に正しさを認めさせること」に力を使いまくっているその人は、苦しさの源を見つめるだけの余裕がない。

本当に(主観的には)大変で、理不尽な思いをしていただろう。人生が本当にしんどかったのだろうと、心から思う。

繰り返し書くけれど「だから周囲を巻き込んでいい」という話ではないし、その人に変えるべき点があるのは確かだ。そして周囲の人間にも、巻き込まれないよう逃げ出す自由、理解する自由、逆に理解しない自由もあっていい。

追記

介護をしていたとき、現実とは違うことを言う祖母に対し
「現実とは違うけれど、祖母にとっての世界はこういう世界なんだ」
と理解して付き合っていた。だから妄想を無理に正すことはしなかった。

妄想の中で、怖い思い、理不尽な思いをしている祖母に、
「そうじゃないだろう」
とさらに叱りつけたら、祖母の逃げ場がなくなるのは分かっていたから。

介護のときは、自然に祖母の立ち位置、祖母から見えている世界のことを思いやることができた。それなのに、上述の文句ばかり言っている人に対しては、そう思えなかったのが、今となって不思議でもある。

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