見出し画像

ストーリーを伝える/タカハシコウキのテーマについて

「ストーリーを伝える」をテーマに、2020年よりフリーライター/フォトグラファー/マーケターとして活動をしている、タカハシコウキと申します。

今回は活動の「ストーリーを伝える」について、記事に経緯を記していきます。

「伝えることにはパワーがあるんだ」 ライターという選択

テーマに至った理由やフリーランスとして活動している理由、そして3つの業務領域はすべて同じ理由から始まっています。

すべてのはじまりは大学2年生のころ。就職に向けて自己分析をしたことにあります。

何か夢があるでもなく、大学も「学力的に入学できる一番良いところ」で選んでいた自分にとって、自己分析はかなりヘビーな活動でした。
自分は何が好きで、何を良いと思って、何ができて、何がしたいのか。似たようで違う問いが頭を覆っていきました。

そうしたときに気休めとなったのがTwitter(現:X)でした。たくさんの人が自身の興味のあることについて呟き、繋がり、言葉を交わす世界。
当時はWebライター全盛期で、タイムラインに1日一度は「【書きました】」から始まる、ライターさんの投稿が流れてきました。そこである記事を読んだとき、いまの自分につながる想いが湧いてきたのです。

それはある大学への入学を推奨するために、大学教授へインタビューをするという記事でした。

内容は
・何の研究をしているのか
・なぜこの分野の研究を始めたのか
・やりがいとなっているのはどんなことなのか
ともの。

インタビュアーの堅苦しさを感じさせない文体、それでいて鋭い質問。それによって語られるインタビュイーの知られざる物語。

記事が終わる頃には、インタビュイーへの認識が「大学教授」から、「物好きが講じて仕事になった素敵な人」へと印象が変わっていきました。そしていつの間にか、その方の研究や志を無意識に応援している自分がいました。

さっきまで知らないかった人を、好きになっているという驚きの事実。
「伝えることには、こんなパワーがあるんだ」

自分もこんなことがしたい。そうしてもともと本好きだったこともあり、ライターを志したのです。

ストーリーが生み出すパワーへの気づき 高校生のころの原体験

ライターという職業が決まったものの、では一体何を書くのか。文章を綴るのが主な活動がゆえに、ライターにはたくさんの分野や方向性があります。

そのなかでヒントとなったのが、自身の原体験でした。
そうしてそこから「ストーリーにはパワーがある」という、さらなる気づきを得ることができました。

ヒントとなった原体験は、高校生の頃の部活動の出来事です。
私は子どもの頃からサッカーに励んでおり、高校では全国大会にも出場するような強豪校へと進学しました。しかし強豪校のプレイヤー私とではサッカーに関して何もかもレベルが違い、大きな挫折を味わいました。

しかし入学してしまったものは仕方がありません。だからせめて、やりきってみようと思いました。何もかもレベルが違うなら他の人よりボールに触れるしかありません。

たまたま学校の所有するグラウンドが自宅の近くだったことから、私はグラウンドの鍵の管理を任されていました。この役割を、私は目一杯活用することにしたのです。

みんなが来る前、一番にグラウンドへ行き誰よりも早く自主練をする。練習が終わった後、そのまま居残り、ボールが見えなくなるまで自主練をする。
そんなことを繰り返し、2年生の終わりが近づいた時のことです。

コーチが声をかけてくれました。
「お前が頑張ってることは知っているし、見ている。だから試合で結果を出してみろ。」
そしてコーチは私を、上位チームに推薦してくれたのです。

たった数秒の、数語のやりとりでしたが、今も記憶に残っているほど嬉しい言葉でした。

誰かが応援してくれるだけで、こんなに嬉しいなんて。
こんなに「頑張ろう」と思えるなんて、知らなかった。

それ以降私はいっそう練習に励むようになり、コーチの推薦もあって、控えチームに入ることができ、レベルの高いメンバーと練習試合に出場することもできました。控えチームにいたのは短い間でしたが、自信につながる経験を得られました。

この一連の出来事のターニングポイントとなったのは、紛れもなくコーチの一言がきっかけでした。たった一言、これまで見ていたことと抱いている想い、つまりストーリーを伝えるだけで大きなパワーを生み出された。

「ストーリーを伝えることにはパワーがある」

それが、私の原体験から得た気づきでした。

情報が価値を増す現代社会 「ストーリーを伝えることには価値がある」

原体験があった一方で「ストーリーを伝えること」が社会的に価値があるかどうかは疑問がありました。仕事としていきたい以上、その分野の将来性は重要なポイントです。

この点に対しては、大学時代に学んだ二つ事柄から「ストーリーを伝えることには価値がある」と確信を持つようになりました。

まず最初に学びがあったのは、経済の授業で紹介された「囚人のジレンマ」という例題でした。
授業でこの例題が提示された理由は「人間は他者を疑ってしまうため、双方にとって一番損な結果に行き着く」という経済学の仮定する「経済人」の否定でした。しかし私にとっては別に意味がありました。

状況的に不可能ではあるものの、この二人が情報を交換できていれば、双方にとって一番良い結果に辿り着くことができるのでは?ということ感じたのです。
「情報には、学問的に価値がある」という気づきを得た瞬間でした。

そしてその後、経営学の授業で現代におけるマーケティングを紹介された際に、「ストーリーを伝えることには、実社会において価値がある」と確信を抱くようになりました。

授業では「現代はマーケティング4.0という社会に突入している」ということを教わりました。
端的に言えば、技術が発達してものづくりが容易になったことで差別化が難しくなり、その結果、こだわりやコンセプトといった無形の部分で差別化がなされるようになってきたという内容でした。

のちにフィリップ・コトラーの書籍「マーケティング4.0」を読み、また様々な知見を深めることで、こだわりやコンセプトに基づいた差別化がブランディングだということを知りました。

このブランディングを成すためには、消費者に対ししっかりと情報発信をし、理解してもらうことが不可欠です。
こうしたことから実社会においてこだわりやコンセプトの情報、つまりストーリーを伝えることは、サービス本来の価値に新たな価値を付加する効果があるということがわかりました。

ある企業や、あるサービスのこだわりやコンセプトといったストーリー。
それらをたくさんの人へ伝えることができれば、ブランディングがなされ、適切な評価を得られるようになるのではないか。
そうすれば価格競争の激しい現代でも適切な値段設定が可能となり、経済の仕組み的に社会は今よりもっと豊かになるのではないだろうか。

またストーリーを伝えることには、発信される側に自信をつけるという効果もあると思っています。

ストーリーを発信すると、なんらかの形で読者から反響を得られるようになります。その反響は受けるのは、書き手である私だけでなく、企業やサービスの担い手である「人」でもあるでしょう。

企業やサービスの担い手である「人」が、読者から例えば「応援しています」「頑張ってください」といった反響をもらう。その結果、企業やサービスの担い手である「人」は自信を得ることができます。

これはまさに高校生頃の私の実体験と同じです。
ストーリーの反響によって自信をつけた企業やサービスの担い手である「人」は、これまで以上の力を発揮し生産性が高まったり、新たなサービスが開発したりといった可能性がある。

「ストーリーを伝えることは、新たな価値を生み出すこと」
それがテーマに込めた私の想いです。

「誰もが胸を張って、自分のストーリーを持てる社会づくり」をしたい

これらを考えた際に、私が掲げたテーマの先にはどんな世界があるのだろうか?と考えるようになりました。

「ストーリーを他者に伝えることで価値が生まれる」ということは、逆説的に考えると「ストーリーが増えれば、価値が増える」となります。
さらにそれを展開すれば「価値が増えるということは、社会が豊かになる」、つまり「伝えられるストーリーがあることは、社会を豊かにする」と考えてれます。

誰もが自分の判断でストーリーを発信し、価値を生み出せる。それが私の描く理想の世界です。

発信することも返事をすることも、決めるのは自分です。誰かに強制されることではありません。
それでも発信をしたいと、返事をしたいという意思がバタフライエフェクトとなって価値を生み出し、より良い社会を作っていくのです。

しかし社会では、ストーリーを持っていても手放さざるをえないケースが多くあります。
返事にしても、「みんながしていないから」、「わざわざ伝えることでもないから」といった心理的なハードルがあるでしょう。

そうであるならば、仕事を通してその状況を変えていきたい。
そうすれば、社会に対してより多くの価値を提供できるのではないか?
そうして「ストーリーを伝える」活動を積み重ね、「誰もが胸を張って、自分のストーリーを持てる社会づくり」をしたいと思うようになったのです。

フォトグラファー活動の始まり

いっけんするとバラバラに見える3つの業務領域ですが、私の中では「ストーリーを伝える」、「誰もが胸を張って、自分のストーリーを持てる社会づくり」という線の上に、それぞれが存在しているのです。

フォトグラファーの始まりは偶然でした。
大学在学中に「今のうちに学んでおきたい」と、ライティングの専門学校へ通っており、そこで先生よりアドバイスを受けたのです。
「正直、出版業界は市場が縮小しており、WEBライティングといえど影響は免れない。だから少しでも生き延びるための技術を持っていくと良い。
おすすめは写真撮影のスキルです。なんといっても編集者が楽ですからね」

そうして始めたフォトグラファー活動ですが、仕事をしていくうちにこれもまた「ストーリーを伝える」、「自分で、自分らしさに価値を与えることのできる社会の実現」につながる仕事だと気がついたのです。

写真は、媒体の特性上一瞬を切り取ります。もしかすると本来ストーリーを表すには不向きな媒体なのかもしれません。
しかしだからこそ、被写体への指示やライトの当て方などを工夫することで、見る人へ強い印象を与えることができます。そしてその強い印象は、見る人の積極的な行動である「想像」を掻き立たせるのです。
いわば、想像の余白がある。

この点は文章にも似ていると感じています。わざわざ読むという積極的な行為を通すからこそ、綴られているストーリーを心に届けることができる。

そして記事には写真を使われることが多く、一方で写真にはキャプションを加えられることが多い。
つまりライターとフォトグラファーは、相乗効果を生み出せる職業なのです。

やがて物撮りスタジオに入社し、ライター/フォトグラファーとして本格的に活動を始めました。現在は物撮りスタジオを退職し、独立しています。

マーケター活動の始まり

一方でマーケターとしての活動は必然といえる始まりでした。
ライターとして活動していくうちに、同じクオリティの記事を納品したはずなのに公開先によってPVがつく媒体とPVがつかない媒体があることに気がついたのです。

これは単純な話で、公開先のメディア力に違いがありました。
もとから人気のWEBページに記事を公開すればその分だけ反響をいただける可能性が上がり、情報が伝播することで関係の薄い人にも記事を読んでもらえる可能性が上がります。マーケティングの4Pにも似た仕組みが働いていたのです。

裏を返せば人気のないWEBページはどんなテーマを扱ってもPVが跳ねにくく、時間が経っても人気のないWEBページのままになってしまう可能性が高いという残酷な事実が浮かび上がってきます。PVが跳ねた場合には、しっかりとそのチャンスと掴まねばなりません。

ではなぜ人気のないWEBページが存在してしまっているのか。
そこには様々な要因があります。
例えば会社やサービスの知名度、社長や社員のメディアでの発信内容、それらを受けた方々の共感の声、UIやUXの洗練さ、メディアとしてのコンセプト……ほんとうに様々です。

しかし一ついえるのは、メディアはやり続けなければPVが跳ねることもないということ。そのためにはメディアを存続させつつ、雪だるまのように少しずつ強くしていく必要があります。

つまり会社として、しっかりとサービスを販売して利益を確保し、メディアに戦略上の意味を持たせ、必要な投資をすることが求められるのです。

ストーリーを語るだけでは生きていけず。かといって夢のない生活はおもしろくない。

「自身のテーマである『ストーリーを伝える』には、ときとして、ストーリーに価値を感じていらっしゃるクライアント様へのビジネスの支援も必要となる」
そう考え、マーケターとしての活動を始めることとしたのです。

「ストーリーを伝える」ことで、「誰もが胸を張って、自分のストーリーを持てる社会づくり」を

現在の私の夢は自身の活動を通して、たくさんの方の「ストーリーを伝えること」。
そしてその積み重ねによっっていつか、「誰もが胸を張って、自分のストーリーを持てる社会づくり」が実現すれば良いなと思っています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?