見出し画像

【振り返り】苦手だからやらないはちょっと

いやこれ説教じゃないんですよ
これまでの自分に言っているんです

昨日、活字が苦手なことを記事にしたのですが、こうして2か月以上文章を綴っている自分を俯瞰で見て「おまえ苦手なこと楽しんでるじゃん」て思ったんです。

過去にこんな記事も書いています
端から見ればなんの取り柄もない
ないないづくしの私です
あ、慰めてほしいとかではまったく無いですよ

そんな自分のこと以外にも今タイピングしている動機があって
お世辞にも上手ではないことをアウトプットしている人がいたんです
誤解が無いように、私はその人を笑ったりはしていませんよ
おそらく多くの人がその行為を見て「へたくそ!」って思うんです
だけれど私はその人が生き生きと活動しているのをみて、それでいいじゃんって思ったのです。

そもそも関係ない人の罵声はスルーでいい
99%に否定されても応援してくれる1%にフォーカスすればいい
都合の良いことだけ汲めばいい
相手も都合よくストレス発散のために罵声を放っているのだから真に受ける必要はない
そもそも誰かに迷惑かけているわけではない
見たくない人は見なければいい
わざわざ見て嫌がらせをする人は無視
1%のファンにありがとーって言えるメンタルは本当に健康的

そんで自分を振り返ったときに特に若いころ
完璧主義とまではいかないけれど
「もっと準備が整ってから」と言い聞かせて
カタチができてもアウトプットできなかったことがたくさんありました

あ、これすごく言いたいことだった
「表現」て生ものです。
これは学者でもなんでもない地方のおっさんが40年生きてきて納得していることなんだけど
「その時の表現はその時にしかできない」だから尊いということ
ちょっと恥ずかしいとか、まだ早いなんて理由でカタチを残さないのはもったいない
瞬間的に創造して高揚してあふれ出た思い
それを押し殺して 自然と薄れて忘れてしまう
未来の自分に何か壁が立ちふさがった時に
誰かの言葉では無くて
確かにあの頃の私はカタチを作った
それが必ず後押ししてくれる
振り返ればカッコウ悪い自信や自慢であっても
大切に持ち続けてほしい
そんなことを他者に思うと同時に、これまでの自分にも思ったっていう話です。

そこで言うと毎日ワーワー言い合っている妻ですが
真逆の行動パターンの彼女に気付かされた部分は大きい
「そんな思ってるならやればいいやん」
そんなタイプ
ちなみに彼女はカナリ京都寄りの滋賀県出身で、今の実家は京都の中心地です
だから関西弁は脚色ではありません「せやんなぁ」とか慣れない返事をされます
うちの3才児がどっちの言語になるのか楽しみです

あぁ、いずれ音楽を投稿しようかな
なんて思ったりしました
「あの頃の感情がもったいない」
し、そもそも40を過ぎた今でも価値観はあまり変わらない

歌詞を綴るのが好きだったんです
それを今はこうしてnoteで綴らせてもらっています
必要な誰かの心が軽くなるといいなぁって思って。
そいう自己満足であり、捉え方によっては余計なお世話です
当時まぁまぁ触っていた楽器を使って地味に音楽活動をしていました
だけれどライブというスタイルではなくてアルバムを作って近い人に配ったりしていました

もっと完成させなきゃとか、もっと上手になってからって思うが故に怖くて広くアウトプットできなかった
もしかしたらnoteなら許されるのだろうか
歌詞のテキストはさておき、音をポチっと鳴らすかどうかは個人の判断だから迷惑ではないのだろうか

せいぜい黒歴史
誰かの悪口を言うわけでもないし
恥をかいても死ぬわけではない
なんなら出さないままいずれ死んでしまう
嫌いと言われても「ですよね」で完結する
なんて、つらつら言いながらアウトプットのハードルを下げているセコイ私です

小さな勇気をたくさんくれてありがとうございます
顔の見えない世界だけれど 顔はそれほど重要ではないです
自営業者の私は取材やなんかで顔をさらしまくっている例外ですけれど
メチャクチャ小さくてもいいから
小さな「ありがとー」を集めて誰かに感謝できるマインドを育んで
水やりを怠らず 悩むことをあきらめず そういう者に わたしはなりたい

あれ、巨匠の詩になりそう

相変わらず、まとまらない話
たぶん編集したいって思うけど
「面倒くさい」が勝ってこのままになるかもしれません
間違いが正しいとも言える
生ものだからね表現は


この記事が参加している募集

#自己紹介

230,057件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?