#19 盲目の剣豪 〜射出成形不良の確認〜
「あー、ごめんごめん!ちゃんと説明するね!」
新入社員である僕の指導係で技術部の先輩である冨樫さんは軽く謝りを入れたうえで、先程まで繰り広げられていた意味不明で摩訶不思議な業務の説明を始める。
冨樫さんはどこから説明していけば良いかを少し悩んだあと、その判断を一旦、僕に投げてきた。
「えーっと…どの辺が分からなかっとかあるかな?」
「全部です!!」
「そうだよね!じゃぁ!……」
軽く微笑んだ後、腹をくくった様子で冨樫さんは説明を始める。
まず、これらの部品は樹脂射出成形という技法で成形されたプラスチック製の部品であり、これをモールド部品と総称しているという。
(ほう……じゅししゃしゅつせいけい……)
おそらく、10回連続では言い切ることはできないだろう。
トライと言っていたのは、試作のことで、試作1回目をTRY1と呼び、略してT1。
今回の部品は試作の3回目だからT3と呼ぶとのこと。
(なんだ……ただの試作か……)
何処かからの挑戦状のようなものではないという事に一先ず安心する。
型とは、金型のことで部品の形状をかたどって掘られており、そこに樹脂を流し込む事で部品を成形しているとのこと。
(肩じゃなくて、型か………)
なんとなく肩では無いことは分かっていた。
その金型は、成形した部品を取り出すために開く構造になっており、その金型の割り線をパーティングラインと呼び、略称でPLと言うとのこと。
(肩じゃないなら、そりゃPL学園の話ではないよね!)
当然である。
バリや反り、ショートとは樹脂成形における不良事象の種類用語であるとのこと。
(ほう……色々種類あると……)
ゲートとは射出成形機から金型に樹脂を流し込む入口のこと。
(………まー、なんとなく………)
SOPとは、標準作業手順書のことでStandard Operating Procedureを略してSOPと読んでいる。
(…………)
FAIは初回製品検査のことでFirst Article Inspectionを略してFAIと読んでいる。
(……………)
「まーとりあえず、こんなところかな!」
(覚えられるかーーー!!!!)
膨大な情報量に脳の処理が追いつかない。
特に英語のスペル3文字の説明については右の耳から左の耳へと気持ち良いくらい綺麗に通り抜けていった。
詰め込み教育とは言え、先程まで散々会話から置き去りにしていた事が嘘の様に、とても丁寧に冨樫さんは説明してくれた。
面倒くさそうにせずに事細かく対応する冨樫からは、新入社員指導に対する熱意を感じる。
その場に一緒にいる構造グループリーダーで老け顔の桐ヶ谷さんも口数は少ないが、所々で補足を入れてくれた。
そんな様子に少しだけホッとしている自分がいることに気づく。
結局のところ、仕事をやりながら、少しずつ覚えて行こうという事になった。
そのうえで冨樫さんは早速実践と言わんばかりに口を開く。
「あ、それで!PLの部分って金型の割れ目だから、バリって言う出っ張りが起こりやすくて、実際これがそのバリだよ!」
先程、桐ヶ谷さんが開口一番に「ダメ!」と言い放った例のバリに改めて対峙する。
説明を受ける前は何をどう見たら良いのか分からなかったが、今の僕は違う。
「この辺に出っ張りがあるってことですね?」
先程、桐ヶ谷さんと冨樫さんがしきりに睨みつけ、執拗に触っていた部分を改めて確認し、自らの指で擦るように触ってみる。
(そりゃこんな所に出っ張りがあったらダメよ!)
そして、2人の真似をして真剣にその形状を執拗に触れる己の指を睨みつける。
(この辺に出っ張りが……………)
一度、形状から指を離して改めて肉眼で位置の確認を試みる。
(……………ある………はず……………)
触れる指を親指から人差し指に変えて、再び指の腹を押し付けながら当該部分の形状に触れる。
(……………)
少し部品に触れる指の圧を強める。
(…………)
少し指の角度を変える。
(………)
今度は部品に触れる指の圧を弱めてみる。
(………)
(………)
(………)
(なーい!出っ張りなんて無い!)
どう指を当てても出っ張りの類は検出できない。
「え、どこですか?」
冨樫さんが顔を近付け、改めて指でバリが有るとされている場所を指し示す。
「ほら、ここだよ!ここ!」
示された部分を再び、指で触る。
(んー……………)
(……………ん?)
(んーー………)
やはり、これと言って何も感じない。
当然の様に指摘を受けるそのまだ見ぬバリを自分は認識する事ができていないことに対して焦りの色が少しずつ込み上げる。
(待て……落ち着け………集中しろ……)
ここでバリを認識できなければ、この仕事について行けない。
そんな思いからか、僕は無意識にゆっくり瞳を閉じる。
視覚の情報を遮断し、指先に神経を集中させる。
さながら、盲目の剣豪が視覚以外の全ての感覚を研ぎ澄まして敵に相対するように、眉間にしわを寄せ、首を少し傾ける。
(……………)
剣豪の殺気が伝わったのか、その場にいる冨樫さんも桐ヶ谷さんも口を開かず、物音をたてず、ただ静かに新入社員が目を閉じてプラスチック部品の一部を指先で擦っている状況を固唾を飲んで見守っている。
(…………)
(…………)
(…………)
『…ジリ…』
(ん?……)
『ジリジリ』
(うお?………)
『ジリジリジリ』
(おーー!!)
人差し指の腹の部分に微かにジリジリとした感触を受ける。
(こ、これがバリか!!!)
それは確かに、鏡面の様に滑らかな面とは異質の微かながらに確実な出っ張りがある。
(ん?………ちょっと待て………)
バリを認識できる感覚に照準があったうえで思う。
(え?これ?………これが……ダメ?)
今、自分は盲目の剣豪になってまでようやく感じることができた僅かなバリ。
出っ張りと言うにはあまりに小さ過ぎる。
(ウソだろ……こ、これをダメと言ってるのか……こいつらは……)
バリを見つけられた喜びと、理想的な形状から、ほんの僅かにはみ出した異形を不良と咎める世界観への衝撃が錯綜する。
それと同時に、不快な窮屈感が込み上げる。
それは、不良と言うには、あまりに小さな出っ張りと、不良と言うには、あまりに小さなやんちゃしかしてこなかった自分を重ね合わせ、この会社からしたら、自分も不良として認識されたよう思えたからかもしれない。
しかし、これが社会人としてモノづくりに携わる厳しさと言うことなのかという身を引き締めるような思いが浮かび始める。
何に使われるかもよく分からない部品のほんの僅かな出っ張りに触れた事で、世界に誇る日本のモノづくりの一端に触れたような気がした。
そんな様々な思いが入り乱れている間に桐ヶ谷さんと冨樫さんは一通り全ての部品を確認し、不良の類を全て洗い出す。
気が付くと試作品の確認を終え、この確認結果をベンダーに連絡すると言う話になっていた。
そんな中、突如として僕の耳を突き刺すような言葉が冨樫さんのハキハキとした口調に乗って聞こえてきた。
「じゃ、せっかくだし、澤村君から新たにグループに加わった挨拶がてら、T3の確認結果をベンダーにメールしようか?」
「………はい!?…あ、え?、僕ですか?」
僕の動揺を意図的に無視するように、冨樫は話を進める。
「桐ヶ谷さん、良いですかね?」
冨樫さんが桐ヶ谷さんに確認する。
「おーいいんじゃない!」
桐ヶ谷さんはにこやかにゆっくりと了承を下す。
(えー………オレが連絡するのかよ………)
社内の人にメールするのも慣れてないため送信ボタンをクリックするの度、やけに緊張する段階において、ましてや社外の人にメールするのは気が重く、憂鬱でしかない。
しかし、この瞬間まで社外の人にメールを出すということに気を取られ、肝心な事を忘れていた。
それを思い出させるかのように冨樫さんが付け加える。
「じゃ、メールしてもらえる?英語で!」
(えっ?………………えぃ………えっ………)
つづく
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