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#10 洗礼 〜新入社員挨拶〜

グループ会社全体の合同新入社員研修初日。

午後は外部の講師によるビジネス研修

人事部の研修担当が舞台の隅に立ち、おもむろに講師の紹介を始める。

本が何冊出版され、累計発行部数がいくらで、こんなキャリアを積んで、現在はこんな肩書だと、いつの間に声高になって紹介に熱が入る。

どうやらそれなりに著名な人のようだ。

たいそうな紹介から満を持するようにその講師の人が舞台に上がってきた。

遠目から見る限り、髪は白髪混じりだが、短く整えられ、清潔感がある。

歳は50歳前後だろうか。

背は高くはないが、割腹の良い体型のせいで大きく見える。

しかし威圧感はなく、優しい表現を長年積み重ねた顔がおぼろげに見える。

「皆さん!こんにちは!」

明るい声色が少し低めの声に乗って響く。

ちゃんとしてそうな人だ!

第一印象でそう思わせるものをその講師は持っていた。

しかし、講師は始めに「簡単な自己紹介」と言って、今しがたの研修担当者からの紹介を更に誇張し、ポイントを強調し、自分がいかにすごいかを熱心に語りだした。

(これは……自慢話の公式発表だ…)

簡単な自己紹介が15分後に終わりを迎えた。

(15いったら、それはもう簡単とは言えないやろ……)

よく恥ずかしげもなく語れるなと思うが、これはプレゼンテーションなどで自分がいかにプレゼンターとして相応しいかを認識させる常套手段だ。

(まーすごいのはわかったよ……)

その後に本の宣伝10分ほど入る。

(研修わい!!)

自慢話の第2段とも言える宣伝を終え、ようやく本題の研修に入る。

研修の内容はずばり「ビジョン」について。

(これは…完全にいっちょ上がりでしょ…)

長い自慢話と宣伝で、すっかり講師に対して懐疑の念を抱いていたところに「ビジョン」という綺麗なワードが乗っかり、見事なまでのインチキ講師が出来上がったかに思えた。

しかし、それは僕の誤った先入観であったとすぐに気付かされる。

研修内容は実践的で非常に為になる内容であった。

(え?やっぱりちゃんとしてる人だ!)

講師の言葉に何度も感心し、今後、社会人として仕事をする上で大切な考え学ぶことができた。

同時に、良い企業に入ると良い研修を受けられるという、至極当然ではあるが、重要な掟を体感する。

研修が終わり、拍手喝采の中、講師の人が舞台をおりる。

僕も惜しむことなく拍手を送った。

そして再び、研修担当者が壇上に立つ。

「はい!研修お疲れ様でした。」

(少し早く終わったな!)

「明日からは約100人ずつのクラスに別れて研修を行います。」

(そうなんだ!)

「全体で集まる機会が今日で最後になりますので、少し時間がかかってしまいますが、せっかくなので

せっかくなので?

会社ごとに壇上に上がってもらって、顔と名前だけでも皆に覚えてもらいましょう!」

(…………)

思わぬ展開に会場全体が微かにざわつく。

(会社ごとに………壇上に……上がる?)

研修担当者の提案内容を飲み込みきれず、頭の中で順を追って整理する。

(僕は………うちの会社で………1人だから)

(1人で壇上に立つ………)

(……)

(…………)

(………………)

えーー!!すごい嫌ーー!!!

しかし、状況は有無を言わさず進んでゆく。

(ちょっと待ってくれ……1人は辛いって………)
 
始めに、親会社の新入社員が呼ばれ、その号令と共に悠然と188人が立ち上がる。

当然であるかのように僕の横に座っていたムカつくい女も立ち上がり、何故か僕を見下す様に一瞥を送る。

なんやっ!!こいつホンマに………)

呆れるほどの性根の悪さを感じるも、抗う事のできない窮地に追い込まれている僕の中には闘志よりも、弱気が幅を利かせ、その冷たい視線が更に心を萎縮させる。

そして親会社の新入社員は皆、表彰台の1位の段に登るように堂々と舞台に上がっていく。

研修担当者から1人1人、名前と簡単な挨拶をするように指示がある。

人数も多い事もあって、そのほとんどが名前の後に「よろしくお願いします。」とだけ付けて、次の人へマイクを手渡して行く。

親会社の挨拶を終えると、また次の会社が呼ばれ、騷しく人が動く。

そして再び、舞台上に多くの新入社員が並び、次々に挨拶して行く。

これは…まさか………

進行が進むにつれて、状況を整理し、嫌な予感が確信へと変わっていく。

呼ばれる会社の順番は参加人数が多い順に列挙された資料に沿っている。

つまり、僕は最後の最後にたった1人で呼ばれることになる。

(終わった……完全に終わった……晒し物だ……公開処刑だ……)

刻一刻と公開処刑の執行が近づく。

鼓動が次第に高鳴っていく。

そうこうしているうちに1つ前の会社が呼ばれた。

(え?もー次かよ……)

心臓の鼓動が1段階ギアを上げ、一層強く、早く脈を打つ。

そして、その会社の新入社員4人が舞台に上がろうとした時、思いもよらぬ研修担当者の発言が状況を急転させる。

あ!最後の会社は1名か!

自分のことを言われていると気付き、いっきに心拍数が上がる。

「1名だけってのも可哀想なので、一緒に来ちゃいましょう!」

(今、完全に可哀想って言いやがったな…)

研修担当者の無駄に明るい声での呼び込みが微かな不快感を湧き立たせた。

「1名の方も出てきてください!」

1人で400人の新入社員の前に立って挨拶すると言う公開処刑は免除されたが、あえて、明確に可哀想だからという理由で、後からから呼び出されるのは、それに匹敵する辱めであり、気が楽になる感覚は一切ない。

会場が微かにざわめき、多くの人が頭を振って視界を広げ、これからどこかに現れるたった1人の出現を見逃すまいと会場中に鋭い視線を張り巡らせる。

(うわー…めちゃくちゃ出づらいやん…)

そんな中、更に気持ちを滅入らせる自分の境遇に気づく。

(ちょっ待って……今……会場のど真ん中に座ってるやんけ!!!

400人の会場のど真ん中で1人立ち上がる情景を俯瞰で見るように想像し、事の重大さを認識する。

(よりによってなんで僕はこんな所に座ってんだよ……)

立ち上がりたくないと心の声が子供のように泣き叫ぶ。

しかし、下手に間を開けたほうが返って会場のざわめきを助長すると直感し、心の声を押し殺して、すぐさま立ち上がる。

次の瞬間、水面に落ちた滴が波紋を広げるように、立ち上がった僕を中心に会場にいる400人の注目の輪が広がり、視線が僕に向けられる。

膨大な視線の集中に気圧され、硬直しそうな身体を無理矢理動かし、舞台へ向かう。

その道中も絶え間なく視線が降り注がれ、人を揶揄するような微かな声が所々で静かに沸き立ち、会場全体のざわつきとなる。

(辛い……)

そう思うと同時に、反骨精神が微かに湧き上がる。

そのためか、ここで腰を低くし、小走りで舞台に駆け付けるのは、自らを卑下し、同期に対して自らへりくだることになる気がした。

だから、あえて胸を張り、ゆっくり歩いて、同情の類を一切寄せ付けないよう努める。

舞台上で既に待っていた4名は優しい笑顔で迎えてくれていたようだったが、僕に対する僅かな優越感を含んでいる様に感じた。

既にマイクはその4名のうちの1人に手渡されており、総勢400人の新入社員挨拶の大鳥を任されることが決まった。

4名が順々に挨拶をしていく中で余計な考えが頭を過る。

(最後の最後でよろしくお願いしますだけってのは流石に物足りないか…)

(いや!ここは無難に済ませるべきだ!)

(ここで少しはかまさないと!

(なんでここでかます必要がある?)

(このチャンスを無難に済ませたら、それこそ可哀想な1人ぼっちを受け入れた事になる)

(なにがチャンスだ!ここで下手こいたらそれこそ公開処刑だぞ!)

研修担当者からの可哀想な新入社員扱いのせいか、はたまた、行き場のない反骨精神によるものか、僕の中で守りに入るか、攻めに出るか意見が別れた。

考えがまとまらないまま、ついに僕の元へマイクが運ばれる。

マイクを受け取り、そのマイクを口元へ近付けるわずかな時間の中で会場全体を眺めて400人の注目がたった1人に集まっていることを痛いほどに感じる。

そして、先程までのざわめきが嘘のように消え、静かに僕の発声の瞬間を固唾を飲んで待っている。

いよいよだ。

僕の声が沈黙を破る

「えー、澤村晃河と言います。えー、ご存知の通り、私の所属する会社の新入社員としては自分1人ですので、この研修を機に少しでも皆さんと仲良よくできたらと思っております。よろしくお願いします!」

攻め過ぎず守り過ぎずのちょうど良いラインを見事についた気がした。

僕の挨拶に研修担当者が反応する。

「そうですよー!ここに居る皆が同期ですからね!皆さん仲良くしていきましょう!」

(お前さっき1人で可哀想って言ったろがい!)

「はい!よろしくお願いします!」

ここはさっさと返して一刻も早くこの舞台から降りることを優先した。

横に目をやると、一緒に登壇している4人が良くやったと言わんばかりの表情で僕を見ていた。

この時、舞台に僕を含んだこの5人が同時に立ったことは必然か、はたまた、ただの偶然か…

今思えば、未来を示唆していたのではないかと不思議に思うが、そんなことを当時の僕は知る由もない。

長きに渡る総勢400人の新入社員挨拶がとうとう終わりを迎えた。

僕は親会社からの洗礼をなんとか乗り越えたのだ。

このあたりからか、不思議な感情が芽生え始めていることに気付く。

入社からの約1週間であまりに次々と困難な状況を経験したせいか、それが微かに面白くなってきている。

そして、ありがたいことに困難は僕を飽きさせることなく、次々と目の前に立ちはだかる。

つづく

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「#1入社初日〜期待と衝撃〜」

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