愛着_AC_構造_雛形_Figure_5

【愛着・AC 克服記録】Part 8 愛着障害とは?アダルトチルドレンとは?その構造を論理的に解く

リンク
愛着障害・アダルトチルドレン 克服記録
ADHD 克服記録
書籍部
Radiotalk
「ながらで克服!」〜愛着障害・アダルトチルドレンを克服した中の人の話〜
#010 愛着障害・ACの構造を解説 その① (Part 8 解説)

note (Link) Radiotalk (Link)
#011 愛着障害・ACの構造を解説 その② (Part 8 解説)
note (Link) Radiotalk (Link)
#012 愛着障害・ACの構造を解説 その③ (Part 8 解説)
note (Link) Radiotalk (Link)
バックナンバー

(2018.10.19 Twitter より推敲・再掲載)

8-0. 前置き

(ここから述べる愛着障害・アダルトチルドレンの仕組みは、現在の "愛着障害+アダルトチルドレン複合理論" の雛形となるものです。概念として未成熟な部分もありますが、克服には十分です。詳細な理論は Theory の方でまとめます)
 この辺りからは、もはや「愛着障害」や「アダルトチルドレン」という、"一部の人が抱える苦しみ" を超えて人生論、生きるとは?という内容になっていきます。
 少し前なら、これらの単語への拒否反応がすごかった。
 なぜ拒否するのか?それは、向き合ったら耐えられないから。
 ここを克服することが、生き辛さの峠越えだ。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

8-1. 2度目のカウンセリング ― 愛着障害・AC は関係性の苦しみ


 とりあえず、ノート療法をしながら、愛着障害と AC の違いを考えていた頃の近況。
 9月末日、僕の、2度目のカウンセリングが始まった。この時の心理状態は、田房さんの書籍のおかげで少し前向きだった。カウンセラーT氏に単純に身を委ねるだけでなく、自分の理解を深めるための情報を得ようとしていた。

T氏と会った頃の感想ツイート

 新しいカウンセラーの人 (T氏) と話して、変化しつつある認識。つい先週くらいまでは、「なんとかして愛着障害・アダルトチルドレンを "治そう"」と躍起になって、本とか読みまくっていた。けど、T氏は、「回復に重要なことは、私と酵母マンさんがどうゆう関係を築けるか、にかかっている」と言う
 また、T氏は「酵母マンさんのカウンセリングのゴールは?」と問う。その時は「ほー」と感じただけだし、ゴールってそりゃ人付き合いが自然とできて幸せになることじゃい、と思っただけだった。
 数日前から、ノートを使って感情を吐き出すという作業を経る中で、T氏の言葉について、とある疑問が出てきた。「そもそも愛着障害とは "治療" するものなのか?」そして「"治療" するってことは、健康な状態に "戻る" ということ、であるなら治療後の姿を自分が違和感なく受け入れられるはずだ」
 そもそも、なぜ僕の悩みに対して "治す" という言葉を使うかを考える。それは、本の中で "愛着障害" という "診断名" を与えられ、"精神科医" の人が "クリニック" で治すものだと教えられてきたからだ。でも例えば、足が遅い人が人並みのスピードになることを ”治った" というのか?、成績が悪い人が人並みにまで成長したら、頭が "治った"?
 スポーツとか勉強のことは成長とか克服とかいうのに、心の問題は治る、治らないという。でも、愛着障害・アダルトチルドレンではなくなった状態というのは、人生で経験したことのない境地なのだから、"治してまともに戻る" というスタンスでは克服できないなと感じた。
 今までの考えでは、自分はマイナスからスタートしていて、なんとかゼロに到達しなきゃという苦しみがあったが、認識が変わった現時点をゼロとして、未体験のプラスの領域に進んでいくと考えれば、気楽になるし、楽しんで克服できそう... 以上

もう1つツイート

あと、カウンセラーT氏に「愛が足りてないよね」とも言われた。愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛とりあえず10ポーイント!内Pのウッチャンに言ってほしい。

 愛のことを全く分かってない様子がよくわかる笑。
頭に引っかかった概念が、「関係性が大事」と「愛が足りない」だった。

 そして、"治療" という概念そのものに、疑念を抱くようになった。世の中にある、さまざまな精神疾患と呼ばれるものとも比較することで、「愛着障害」「アダルトチルドレン」の実像が浮き彫りになってくる。
 これらは "関係性" に起因する苦しみだ。

(再掲載時注: ここからさらに考え続けた結果、うつ病、双極性障害、境界性パーソナリティ障害など、あらゆる "心の問題" は、愛着障害+アダルトチルドレン複合理論で解決できます。詳しくは Theory 2 をご覧ください)

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

8-2. 心が健やかな人の心の中は?


 そろそろ、「愛着障害」と「アダルトチルドレン」の構造の話に移る。

画像1

 

行きましょう、まずは愛情を注がれて、良い環境で育った「健やか君」。大人になった今でも、感情と理性は対等に意見表明できます。この "愛情"については、後で説明します。ここでは「愛情を知るお母さんから、 "乳児期" に適切にケアされた」という認識で良いです。


画像2

 そして、そのまま良い環境で育ち続ければ、2つの特徴を持った人間に成長します。
1.  感情と理性が同調的に成長し、密接につながっている = 溝が生じない。
 だからこそ、健やかな人は、自分の感情に従い、かつ理性的に判断して行動できるのです。
2. そのため、自分の内面で分裂が生じない (←重要)。

 考える上で難しいところは、家族が健全でも、学校や職場のいじめ、思春期や成人期の過剰なストレスなどの、危険な刺激があったらどうなのか?ここについては考察が至ってないです。ただ、そうゆう人は「健やかだった経験がある」という点が違うように思う。
(再掲載時注: 現在の認識では、このような危険な刺激が原因で、感情と理性の分断が起きれば、もともとが健やかな人でも、愛着障害・アダルトチルドレンのような状態になると思います。)

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

8-3. 愛着障害・AC の人の心の中は?


画像3

 では、愛着障害・ACの人ではどうでしょう?
 まず、乳児期に母親からの愛着が得られなかったことを、左上の青筋で表しました (この意味は後ほど説明)。

 父親の愛着ではだめなのでしょうか?
 そこは、難しいし、僕にはわからない。ただ、僕は父親には愛着を感じていたように思うから、父親だけではだめなのでしょう。乳児期に最も接する人 = 母親の影響が強いのです。

 そうゆう乳児は、「生育環境」の影響で愛着が満たされなかった感覚を埋めるために、親に依存します。親に依存するためには、感情を押し殺して置き去りにせざるを得ないので、理性だけが成長し、ACになってしまう、となります。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

8-4. アダルトチルドレンのメカニズム


 飛び飛びで説明したので、ギャップを埋めていきます。
 こうゆう時は、表面から見るとわかりやすい (ここからは、説明しやすいように文体を変えます)。

画像4

① 症状 ー 依存

 自分以外の他 (人・物・事・運命・宗教) など、あらゆるものに自分の生きる意味や価値を求める。もっと言えば、「それらのものが飢えている自分に意味・価値を "与えてくれる"」と考えている。
 だから、あらゆる感覚の矢印が「他→自分」になる。外から奪わないと、外から自分に何かが返ってこないと、生きられない。

親の興味・関心、物質的・状況的愛情
恋人の愛
子供からの愛、尊敬
仕事の成果・社会的成功
他人からの評価、羨望、尊敬、抑圧
創作物の評価
支援者からの "感謝"、庇護者からの畏怖
神の寵愛

全て依存。

 依存しているから、様々な症状が出る。
 親や恋人から愛されるか不安、他人の顔色が怖い、依存対象が消えると生きられないから強迫的になる、子供からの愛を確実に手に入れるために支配的になる、仕事が自分に価値を与えるからワーカホリックになる、神が存在理由だから宗教にはまる (これはある意味最強)。

 依存したらだめ、自分で考えなさいと言われても、依存する生き方しか知らないから別の何かに依存する。自分で決められないから、友達に、先生に、親に、子供に、恋人に、神に、決めてもらう。運命感じる、なんてのもその1つ。
 他に身を委ねることは、依存だ。

 依存というと、ギャンブルやアルコールが想起される。
 これはわかりやすい。
 ギャンブルは脳の報酬系を激烈に刺激する。アルコールも物質的に脳を刺激する。これらは、生き方のスタンスというより、その対象に自分を奪われてしまっている、というのが妥当な表現だ。この物質的な依存症は、気持ちの問題ではなく治療が要る病気。しかし、その根底にあるのは、愛情の飢餓だ。

 つまり、「何かが足りない、愛着障害」が根本にあることで、「依存しなくては生きられないスタイルを取ってしまう、ACという状態」が生まれる。そして、ACという状態が原因となって、さまざまな "症状 = 苦しみ"に苛まれる。
 この、原因ー結果の関係を2つ抱えていることが、愛着障害・ACの本質。

だから、
愛着障害だけを克服しようとしても、その前段階のACの克服が必要
→完全には克服できず、再発
ACだけ克服しようとしても、その原因である愛着障害が置き去り
→完全には克服できず、再発

 こうして考えれば、「アダルトチルドレン克服しました」「元AC」の言葉が虚ろに響く。
(再掲載時注: AC 克服者の中には、無意識に愛着障害克服にも成功している人がネット上にはたまに見受けられます。しかし、本当に克服した人は、記録を残して、さっさと自分の人生を歩んでいく。ネット上でいつまでも、AC 克服者を気取っている人は、いまだ囚われているんです。)

― ― ― ― ― ― ― ― ―

② 原因 ー 「表裏一体性」と「連鎖性」

 あえてこのタイトルにしたのは、この2つが、完全な克服においてめっっっっっちゃくちゃ大事だから。
表裏一体という言葉を言い換えれば、”1つに2つ
克服に必要なものは、ここでは説明しないが、"2つで1つ"。
「対になってる」という概念が大事。
連鎖性」はそのまま、克服に重要。

まず、愛着障害によって生じる AC の原因を考える。

Q: AC の原因は何でしょう?

そう聞かれると、どう答えたくなりますか?

 感情と理性の溝を修復して、「やった!克服できたかも!」と思っていた僕でさえ、当時の認識では、「いや、親とか家庭環境でしょ?」と答えてしまうだろう。
 だから親との葛藤になり、怒りを持つのか、なんとか親を変えようとするのか、あるいは縁を切って克服したことにするのか。
 いずれも、概念のるつぼに嵌り、答えには一生たどり着けない。

 ここ数日 (Twitter 掲載時)、昔の自分をまとめたり、考察したツイートを何度か眺めるうちに気づいた。

 AC という状態が生まれる根本の原因は、今の自分を起点として、「未来の方向」に舵を切らなければ解けないんだ


画像5

 どうゆうことか?
 この図にあるように、AC は愛着障害によって、生まれながらにして感情が抑圧されている。この状態の AC は、生き延びる戦略として、親に依存する。依存するために、自分の感情を抹殺していく。成長するにつれて、感情の抹殺を続けながら、理性が凶悪化していく。そして、成人した AC の中には、”置き去りにした子供 (感情)" と "毒親化した理性" の2人が同居した状態になる
 インナーチャイルド = 子供 (感情) というのは比喩表現でありつつ、本質的な言葉だと、今感じる。
 この構図ってのは、言ってしまえば、自分の中に「仮想の家庭と親子関係」が存在してしまっていることになる。AC の人は、"感情を抹殺した" 瞬間から、今現在まで、「成長できない子供」をずっと養育しつづけているのだ。

 そんな人が、幸運にも結婚し、子供を授かるとどうなるか?
……「仮想の家庭」と「実在の家庭」の二重生活になってしまう。

 しかし、どちらの家庭にも、存在するのは毒親だけ。だから、「仮想の家庭」の子供も愛情を受けないし、「実在の家庭」の子供も当然受けない。
 前者はどうなるか?前述した、依存スタイルを続けて、外に愛情・価値を求める
 後者はどうなるか?
(書きたくねー)
 子供が愛着障害になる。

画像6

さて、愛着障害の子供はその後どうなるか?
毒親の元で成長し、AC状態になる。
ある人は独り身で一生を終える。
またある人は恋人を作り、子供を授かり、そしてACが生まれる。
地獄、ただただ、終わらない地獄
こうゆう負の連鎖の中に、自分という存在がある。

画像7

 確かに僕も、「連鎖性」については結構前から気づいていた。
 でも、その根本原因が "インナーチャイルド" と "毒親" は同時に生まれ、その存在は「表裏一体」であることに気づいたのは、昨日くらいだ (Twitter 掲載時)。ここに気づかないから、「自分は負の連鎖の末端にいる被害者」の意識が強くなる。
 潜在的には、加害者でもあるのだ。

 この「被害者性」と「加害者性」の関係を認識してしまうと、一方的に親を責めることが何を意味するか、わかってくる。
親を責めることは、結局自分の存在を責めることになるのだ

 自分が親に依存するために、抹殺し続けてきた感情は、ノート療法で成仏させて、かろうじて蘇生させることができる。しかし、この蘇生が進めば進むほど、怒りの矛先は愛情を注いでくれなかった母親に向かう。しかし、母親もまた、負の連鎖の中で、愛情を注がれなかった AC なのだ。では、やり場のない怒りをどうしたらいい?

僕は、母を経験するという作業をしてみた。


Next

Part 9 「親の追体験」

この記事が参加している募集

サポートの目安はアサヒ・ザ・リッチ1本文です。