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【愛着・AC 克服記録】Part 9 親の追体験

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「ながらで克服!」〜愛着障害・アダルトチルドレンを克服した中の人の話〜
#013 親の追体験 (Part 9 解説)

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この作業は、十分にノート療法を行って、感情が80%くらい蘇生できている状態からやらないと、全く意味がありません。この作業は、自分も、親も、負の連鎖の中に繋がれているのだ、と自覚するためのものです
途中の、泣いてます、は Twitter 掲載時のものです。現在は気持ちの整理もついて、ある程度冷静に編集できてます

9-1. 親の追体験


 母については断片的な経歴しか知らない (この、親のことをあまり知らないという状態、ACは無自覚だけど多いんじゃないかな?)
 母は僕の実家と同じ場所で、2人姉妹の長女として生まれた。僕の記憶にある祖父は、コミュニケーションがあまり得意ではなく、孫に対してもよそよそしかった。
 祖母はどうか?
 母親と似ていた、と仮定すれば、母の幼少期がどんな様子だったかは想像できる。現在、すこしボケ始めて、理性が弱まってきた状態では、わがままが多くなった、という事実も、祖母自身も AC であったことの傍証にはなるだろう。
 性別は違えど、なんとなくわかる、自分の親だから。
 寂しさと、虚ろさを感じ、愛情に飢えていたんだろう。

 母は地元の女子校、大学を卒業し、小学校の教師になった。
 なぜその道を選んだのか?それは聞いたことないし、興味なかったし、今も知らない (この作業を経て、今度聞いてみたいと思った)。
 でもなんだろう、ACの本質が依存であることを考えると、わかる気がする。児童に、「自己犠牲的に」奉仕したかったんだ。自分が愛情に飢えていたからこそ、せめて直感的に感じる負の連鎖の償いとして、誰かのためになる仕事をしたかったんだ。

(やばい、泣きそう)

 教師の仕事ってのは、現在では「絶対就きたくない職業」の筆頭に挙げられるほど激務だ。実際、僕が子供のころも、朝8時に家を出て、夜8時に帰ってきて、そのまま家で残業の続きをするという生活が、ずーーーっと続いていた。僕が自意識を持ち始めてから、大学進学で実家を出るまで、ずーーーっと。

(もう泣いてます)

 そんな過酷な労働環境の中で、父と出会えたことは、母にとってどれほど幸福だったことか。2人ともいまは定年して基本は家にいるが、父の活動を献身的にサポートする姿からも見て取れる。

(「今ここ」法使って現在に戻っても、書き出そうとすると、感情が、
止まらない)

 父はどんな人か。
 ちょっと欠点もあるけど、概ね安定型・健やかな大人のように感じる。ただ、それ以外の家族が全員、愛着障害・ACだから、性質が少し感染ってしまってる感は否めない。

(再掲載時注: これを書きながら考え直すと、父もまた AC のように思います。人とのやり取りが "状況・理性" ベースのものしかないから。少なくとも、父の実家の家庭環境は酷なものでした。父もまた、せめて自分が感じている飢餓感を、子供や生徒には感じさせないように奮闘していたんでしょう)

 そして父と結婚し、家庭を築き、兄が生まれる。
 この時の母はどんな気持ちだったんだろう。初めての子供を意図的に愛そうとしない人は、なかなかいないんじゃないかな?
 でも母はずーーと、自分の中にも子供を養っていて、しかも "愛情の本質" を知らないから、うまくできなかったんだと思う。

 その後、僕も生まれるわけだが、愛着障害になってしまった僕と、母の関係はどうだったか?
 僕の記憶には ”母に甘えた" というものが全く出てこない。確かに、母が学校から帰宅すれば、玄関あたりまで迎えに行ってた。でもそこまで。おかえり、とは言っても、そこから母には甘えず、くるっと振り返って、さーーっとテレビを見に戻っていた。

 母は帰宅後どうしたか?
 簡単に夕食の準備 (ほぼスーパーの惣菜) を出して、並べて、自分は食べずに部屋で残業に取り掛かる。僕は、「お母さんの手料理、ほとんど食べたことない」ことが、ずっと心の傷だった。
 でも、こうして考えると、ただただ悲しい。

 多分、僕が年上の女性が好きなのも、間違いなくこの辺が関係している。
 小学校の頃は、友達の家に遊びに行って、放課後の時間帯 (夕方) に、それぞれの家に母親がいること、それ自体がとてもうらやましかった。
 今恋愛対象が年上に限られるのも、年上の人に甘えて、この時満たされなかったものを取り返したいんだろう。
 一生、絶対に得られないのに。

 僕が幼少期の母は、とにかく機嫌も、身体の体調のどちらもずっと悪かった。それほどに、教師という職業が激務だったのだろうし、AC の対人不安や自己否定感の性質を考えると、教師でいること自体が果てしないストレスだったんだろう。
 家ではいつも、ヨーグルトが欠かせなかった。

 そういう母の生活をイメージすると、子供の僕がほとんど出演しない。
 AC でいい子だったから、もはや背景と同化していたのかも。ただ、生物学的に生存してて、成人の個体に成長すれば、それで良かった。
 その時も、目の前の、血が繋がっている、いい子な  "実在の子供"よりも、時に嵐を起こす、自分の中の、"仮想の子供" に意識が向くから、僕には情緒を割り振れない。

 だから、突発的に、僕が恥をかかせると激怒するのだ。まさに田房氏の本と同じ。
 そうこうして、僕が大学に入るころ、母も退職した。
 大学の進路相談は特になかった。
 お互い、相談する、という発想がなかった。

 どうして、僕ら兄弟はぐれなかったのだろう。おそらく、こうゆう母親的役割を、(エセ) 安定型な父が代わりに担ってくれた面があるから、皆あからさまな非行に走らず、一応社会的にまっとうに生きている。
 母は、子育てを、父に依存していたんだ。


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9-2. 親への憎悪の、その先へ


母の追体験作業はこの辺にしておく。
(現在までやっちゃうと、まじで辛くなる)
こうすると、母への攻撃的怒りは成仏していく。
母もまた、苦しんでいたとわかる。頑張っていたこともわかる。
許す・許さないではなく、その悲しい状態を、ただ、そのまま感じるのが大事。

(再掲載時注)
 この、親の追体験の本質的な効果。
 これまでは、自分に愛情を注いでくれなかった母親に怒りや憎悪を感じていた。しかし、この追体験の中で、愛情を注がれない乳児期・幼少期の自分を、母親視点で直視することになる。
 その時に、イメージの中の子供の自分が、「なんで愛してくれないんだ!」と訴える。その子供は自分自身だし、感情の蘇生の過程で幼児期までの感情が蘇っているから、気持ちがよくわかる。
 だから、今、母親目線になっている自分は、自然とその子供に対して、
「うわ、うわ、うわあぁぁぁぁぁぁ!愛情を注げなくてごめんね、でも私もわからないの」
と不思議と謝罪する

 この感覚に達すれば、最早、母親を憎悪して、殺してしまえば解決する、などという甘っちょろい考えでは、愛着障害・AC を克服できないことに気づく。
 この、気付きが、大事

 こう考えていけば、AC を克服しようとして、「親」との関係性だけを意識しても、何んんんにも変わらないことが、いかようにも否定できないほど、自明だ


 そう、変わらなければならないのは「自分」であり、変えなければならないのは「生き方のスタイル」そのものだ。


 その自覚なくして、自己肯定感を上げようとしても、ありのままの自分を受け入れようとしても、結局心の闇を見てみぬふりをして、頑丈な蓋で心を覆ってしまっている


 愛着障害・AC克服で最たる禁忌は嘘、それも、自分自身への嘘


 こうして、愛着障害ーACー生きづらさの3点で眺めることで、問題の輪郭がはっきりするだけでなく、"患部" がどこかも突き止めることができた。


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