「いのちの電話」に電話をする前に
さっきから迷っています。
どうしたらいいのだろう、と。
思いついたのが、
「いのちの電話」に電話してみることです。
これを思いついたのは初めてです。
いつも誰か相談できる人がいたから、
こんな時間に電話してもいいという、
ありがたい友達がいたから、
なんとか今まで生きてきました。
ある人のエッセイに出てきた言葉で、
とても印象深いものがあります。
「深夜に友達に電話をしなくなったら
本当に大人になったと言える」
というものです。
だから極力、深夜のメール止まりで、
電話はしなくていい生活を、
頑張って作り上げてきました。
例えば15年前のわたしが、
今の精神状態になったとしたら、
自殺未遂をしていたでしょう。
でも自殺はしないということを、
はっきりと決めることが出来たので、
この点では心配ありません。
自殺はしない、何があっても、
こう考えられるようになったのは、
親の立場で物事を考える年齢になったり、
遺体処理現場に遭遇したり、
いろいろと自殺について、
深く考えられるようになったからです。
若い頃は、
うつ状態から来る希死念慮に対して、
無力のまま自殺未遂をしました。
さて。
どうしてわたしは今、
こんなことになっているのでしょう。
自殺しようと思っているわけではなく、
かと言って、
明日からの生活を迎えられそうにない。
今日はいろいろなことがありました。
いや、4月になってから、
たくさんの問題課題が降ってきました。
就活再開は、
なるべく嬉しいこととして考えて、
りんりんの人の入れ替わりも、
季節的に仕方がないと受け止めて、
昨年の秋からの膝の疾患にも、
耐えられる根性がついたし、
母もほぼ元気だし、
友達も少ないながらに元気だし、
ヘルパーさんは優しいし、
担当のGさんは安心できる人だし、
何の不満もありません。
でもやっぱり、不安は大きいです。
母に反対されてまで働くことが、
いいことなのかどうかわかりません。
母に限らず、
年長者はだいたい働くなと言います。
若い時には働いていないと、
働けと言われたものですが、
病気のことを知っている人は、
この年齢から新しい仕事は無理、
仕事は出来ても人間関係が無理、
口を揃えて言います。
普通の人でも大変なんやから、と。
だから就活で仕事を始めても、
簡単には辞められません。
どんなにひどい職場だったとしても、
最低半年は働かないといけません。
たぶんこれが一番の、
不安要素なのだと、
書きながらわかってきました。
就活のゴールは採用ではなく、
働き続けることです。
これが目の前になってきて、
不安定になっているのでしょう。
主治医に一日6時間は長いと、
言われたのも大きいです。
一日5時間までの診断でしたが、
6時間でもいいかと思ったのです。
でも主治医の目には、
一日一時間の無理を重ねることで、
30年かけて作った平穏な生活が、
崩れることがわかるのでしょう。
かといって、
また障害のことを隠して働いて、
具合を悪くして、
病気退職するのは辛すぎます。
就労移行支援事業所を経由せずに、
障害者就労することはまず無理と、
主治医に言われました。
一年間勉強させてもらって、
確かにこの一年がなければ、
働くための準備が、
心身共に出来なかったと思います。
働きたいけど不安がある。
ぜいたくな悩みです。
しかも、
母がわたし名義の通帳や、
自分の生命保険があることを、
内緒にしていたのに言い始めました。
お金はあるから働くな。
なんとぜいたくな悩みでしょう。
なんだかダラダラ書いてきて、
「いのちの電話」に電話するのが、
面倒になってきました。
読んでくださってありがとうございます。
こんなわたしでごめんなさい。
これからもよろしくお願いします。
イラストは「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。ご覧の通り電話です。電話に呼ばれているような気持ちになる素敵なイラストです。このイラストを見ても電話だとわからない世代が多くなっているのだと思うと、浦島太郎になった気分です。
【シリーズ:初めての就活~番外編~でした。】
これは、木曜日の深夜に書きました。ただの愚痴記事になったので、公開を見送ろうかと思ったのですが、今日読み返して、自分のほんとうのところだと思えたので、公開することにしました。
不快な思いをなさったなら、ごめんなさい。
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